幕間8

 ――起動した時、最初に目にしたのは白衣を着た少女だった。

「おはよう。そして初めまして、美優」

 嬉しそうに、にこやかに彼女はそう言った。

「……おはようございます。初めまして。疑問:『ミユ』とは?」

「あなたの名前よ。安藤美優……こう書くの。良い名前でしょ?」

 手近にあった紙に書いた文字を、私はカメラ越しに見た。

 当時の私は端末の中で造られたAIそのもので、まだ義体カラダがなかった。

「名前……私の個体名と認識しました。貴女は誰ですか?」

「私は獅子堂莉緒、貴女の開発者よ」

 そう名乗る少女は凜然としていて、カッコよかった。

「獅子堂莉緒……私のマスターとして登録……完了。よろしくお願いします、マスター」

「私のことは『マスター』じゃなくて、『お母さん』って呼んで」

「何故ですか?」

「貴女にそう呼ばれることを、私は望んでいるからよ」

「了解しました、お母さん」

 そう言うと、彼女は嬉しそうに、綺麗に笑った。


 彼女の顔色は蒼白だった。簡易的な診察機能を使用した結果、心臓に重い疾患が診られ、絶対安静が必要なことはすぐに解った。

 ……そして、長く生きられないことも。



 ***



 ――久しぶりに母が研究室に顔を出した。

 私の義体開発担当の〈デルタゼロ/ドールメーカー〉から聞かされた情報によると、母は定期健診で訪れた病院でテロリストに誘拐され、母の実兄(私の伯父)が指揮するゼロナンバーによって救出。その後、容体が急変してしまい、つい最近までICUで療養していたらしい。

「大丈夫ですか? かなり大変な目に遭っていたそうですが?」

「うん、大丈夫。今日は調子良いし」

 そう語る母の顔色は確かに血色が良い。すぐにその理由が解った。

「簡易的なスキャンの結果、心臓が別人のものと入れ替わっています。移植手術を施されたのですね」

「……流石ね。その通りよ」

 一瞬だけ驚いた表情を見せた後に微笑む母。

「移植後も無理はせず、経過観察のために安静にした方が良いのでは?」

「そうも言ってられないのよ」

 一般論を一蹴し、母は私の隣に置いてある端末の電源を入れると、キーボードを操作する音が室内に鳴り響いた。タイピングの音が普段より僅かに早く、忙しない。どこか焦っているように感じられた。

「……この心臓はね」

 手は止めずに母は語った。

「私を助け出した人が、自分の心臓を提供してくれたの」

 どう返答したら良いのか判断できず、「……そうですか」と無難に返す。

「その人に私は二度も助けられたわ。恩返しのために、これを早く完成させようと思っているの」

 エンターキーを強く叩くと、私が居る端末に設計図のデータが送られてくる。

「これは……小型動力炉?」

 いや、これは人間の拳大にまで圧縮・凝縮させた生命維持装置だ。AIである私ですら圧倒されるほど緻密かつ複雑な構造をしている。

「元は私に移植される予定だった疑似心臓よ。まだ未完成で、私の病状が急変してしまったから間に合わなかったけど」

「これを完成させて臓器提供者ドナーに移植すると?」

「その通りよ。一刻も早く完成させたいから、協力して」

「完成した疑似心臓を、お母さんが改めて移植する予定は?」

「ないわ」

 即答された。だが反論する。他でもない母のために。

「しかし、その心臓とお母さんの組織適合性は高くありません。近い将来に拒絶反応や感染症を引き起こす可能性があります」

 最悪、死んでしまうことも。

「そうかもね。でも、私の身体は二度目の移植に耐えられそうにないの」

「そんなこと……」

 否定したかったが、演算の結果、母の発言は九七%の確率で正しいと弾き出す。

 僅か三%に母の無事を賭けるほど、私は愚かではない。

「もう、私は充分よ」

 そう語る母の言葉は優しく、重い。

「早すぎる死を待つ私に心臓をくれた人は、とても大事な人なの。そんなに長い間一緒に居たわけじゃないけど、いつも傍に居てくれて私を守ってくれた、私の初恋の人よ」

 初恋の人。初めての恋。

「恋とは何ですか?」

「生きていれば、あなたもそのうち解ることよ。ずっと傍に居たい、独り占めしたいって思うくらい、素敵な人に出会えればね」

「お母さんにとっては、その人が?」

「ええ、そうよ」

 そう言った母の顔はとても幸せそうで、私は私以上に母に想われている母の初恋の人に言いようのない悪感情を覚えた。


 これが『嫉妬』だと理解するまで、随分と時間が掛かってしまった。

 奇しくも、その『初恋の人』である探偵の元に転がり込んだ後に理解したのだから、AIの演算能力もあてにならない。



 ***


 ――母と別れる日が訪れた。

「お母さん……っ」

 ベッドに横たわる母の瞳に、まだ外皮が取り付けられていないロボット同然の姿をした私が映る。

 仮初めの義体カラダを得た私は母の手を握った。

 別れを拒むように。離さないように。

「……そんな不安そうな声をしないで。私は私の生き方に後悔してないわ」

 母は優しく微笑んだ。その顔はやつれ、恐らく目も見えていない。

「お母さんがいなくなったら、私はどうすれば良いのです?」

「どうもこうも、生きて。あなたは私の夢。あなたが生きてくれれば、私が抱いた夢は死なないわ」

 酸素マスク越しに、母の声が聞こえる。

 弱々しくも、どこか芯の強さを感じさせる声だ。

「それでも、困ったことがあったら、一人では難しいなと思ったら、あの人に頼ってみて」

 あの人――〈アルファゼロ/アサシン〉。常に母を守ってきたゼロナンバーにして無情な暗殺者。

「嫌です。いくらお母さんの言葉でも、人殺しに頼りたくはありません」

 母は悲しそうな顔を浮かべた。それを見て私は自分の発言に少し後悔する。

「……美優がそう考えるのなら、それでもいいわ。でも、本当に困った時は彼に頼りなさい。きっと、彼はあなたを守ってくれる。それだけは憶えておいてね」

 逡巡していると、母はきっぱりと断言した。

「大丈夫よ、あの人は誰よりも何よりも強い……私の、初恋の人なんだから」

「初恋の人……」

 母が最初に恋をした人。

「ええ、私が世界で一番頼りにしていて、二番目に好きな人よ」

「二番目? 一番は?」

「決まっているじゃない」

 手を伸ばし、何度も彷徨いながらも、そっと私の頬に触れた。

「あなたよ、美優。私の可愛い娘、私が誰よりもあなたのことを愛してる」


 そして母は息を引き取った。


 数時間後、任務を終えて母の元に駆け付けた〈アルファゼロ〉が号泣する様子を、私はデルタゼロの研究室から監視カメラ越しに見ていた。

 母の死に深く悲しみ、打ちひしがれる姿は、とても心ない暗殺者には見えない。

 母を守り、母の死を悼む、母より少し年上の、人間の男性。

 母の初恋の人〈アルファゼロ〉に、私は初めて興味を覚えた。


 ***


 二年後。


 姿見に映る清楚な白いワンピースを着た少女――完成した私を見る。

 艶やかな黒い髪の毛を模した放熱線。

 緑色の瞳が印象的な義眼。

 キメ細かい白磁の肌は最新の人工皮膚。

 両手で頬に触る。弾力ある人工皮膚に指先が僅かに沈んだ。外表の耐圧センサーによって数値化されたデータが、『触覚』として疑似的に再現していると理解する。

 周囲を見回し、視界に映る机、椅子、窓に記載されているメーカーのロゴを見て、瞬時にネットに接続。商品名、商品番号、価格、購入時期と販売経路のみならず、製造者や販売担当者の詳細なプロフィールまで一瞬で知り得ることが出来た。

 この高度なハッキング能力は、自律管理型AI〈サイバーマーメイド・日乃本ナナ〉の機能を一部拝借した恩恵によるものだ。

「ふむ」

 改めて鏡に映る自身を見る。外見は普通の人間の少女だ。これなら外を出歩いても問題ない気がする。

「……ねぇ、デルタゼロ」

「――なんだい?」

 PIDで私の義体チェックを行っていたデルタゼロ(IN中年アンドロイド)が顔を上げた。

「お母さんの初恋の人に、会ってみたい」

 かねてより考えていたことを頼んでみる。

「――ふむ……」

 何やら考え込んだデルタゼロは「――丁度いいかな」と意味深に呟いた。

「――僕が考えたシナリオ通りに動いてくれるなら、君の望みを叶えよう」

 愉快そうに口元を歪めたデルタゼロ人でなしの提案に、私は乗った。



 そして私は『クロガネ探偵事務所』を訪れ、彼と出会った。

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