決断

第12話

 三人の背中を見送りながら、恵庭はさてさて、と胸の中で状況を整理していた。送り出すに当たって奥寺にだけは別の指示も出していたが、うまくいくだろうか。自分ひとりで取り組むのならば考えないことでも、誰かにやってもらう時には細かいところまで気になってしまう。


(任せるって決めたなら、信じてください。それが先輩の仕事です)と言われてしまえばそれ以上の言葉は続かず、恵庭は会長席に向かい、頭を切り替えた。破損した備品の目録と修繕費の見積もり、経費負担に関する稟議書等々、作成しなければいけない書類を思い浮かべる。


 〈タルタロス〉を操作していた思念と、それを奪取しようとする奥寺の思念がぶつかり、一時的に発生したマイクロブラックホールの収束が、校舎の窓ガラスを粉砕した原因だった。通常、思念のぶつかり合いによって起こるのは、気圧や磁気の乱れだ。それが気象に影響を及ぼすことさえ稀なのに、ブラックホールを出現させるとは、思念そのものの圧力が凄まじかった証拠で、まさかあれほどの力を引き出すものだとは、恵庭も想像していなかった。


 〈オリハルコン〉、か……。書類に目を通しながら、恵庭はその存在に想いを馳せた。古の時代から人類と共にあった物質。恵庭自身、その存在こそ知っていたが、存在理由までは把握していないし、それを五十嵐に持たせた本当の理由も知らされていなかった。


 所詮は、自分もあの三人と同じ、籠の中の鳥なのかもしれない。自衛隊と『ヴォーウェル』という二つの機関に所属していても、役割以上のことに首を突っ込むとどんなしっぺ返しを食らうのか分かったものではない。だからこそ、多少の不快感には目をつぶる必要がある。


 チリッと、こめかみが違和感を訴える。無意識に張り巡らせたマインド・リアクターのセンサーが、異物を捉え、警戒のアラートを鳴らしている。三人が訪ねてきた時から感じていたそれを、恵庭はずっと無視していた。それが気に入らないのだろう、向こうも出力を上げたようで、痛みが増していく。


「それで、今度は何の用だ?」

 無遠慮で容赦のない精神干渉をする相手は、一人しかいない。

(我慢強いのは、やっぱり日本人の美徳だね)

 声の主、エアリアスは満足げに皮肉を言う。「軽口はいい」いちいち構っていることもないのだろうが、こうして一方的に干渉してくるのは、何か不都合が生じた時なのだ。「それで、何があったんだ?」


(釣れないよね。もっと肩の力を抜かないと、いつか足元をすくわれるよ)

「要件を言えって。こっちも忙しいんだ」

(あの〈オリハルコン〉は、危険だ)

 急かせば、結論を先に持ってくる。西洋人的な言語回路は、明快な分、相手に心の準備をさせるという配慮に欠けている。

「五十嵐が持ってるやつか?」


(あれは、普通じゃない。って言うか、君たちは何を考えているのか、僕には皆目検討もつかないよ)

「普通じゃないって、普通も何も、この世界にそんなものは存在しないだろう。上が考えたことは、俺にもわからないし。一般人の五十嵐を『ヴォーウェル』に組み込むのに必要なんだろ」

(問題はそこだよ。どうして一般人を巻き込む必要があるんだ。まさか君も、上が言っていたことを鵜呑みにしているわけじゃないよね)


 候補者リストの中に五十嵐の名前を見つけた時、それこそこれは『ヴォーウェル』の今後を見据えたものだと思ったし、リストの備考欄にもそれを匂わせる一文があり、三人にもそう伝えた。

「相対化ってやつか。そりゃ、それだけだとは思っていないが……」


 とはいえ、それ以上の何があるのか、考えたところでわかるものでもない。

(僕なりに調べてみるけど、気をつけた方がいい)

「泉の水が流れる先がわかったのか?」

(……いや、そうじゃない。とにかく、今は情報が足りない)

 エアリアスの言葉を引用し、揶揄するような口調でけしかけてみたが、一瞬黙り込んだエアリアスの反応はより深刻な気配を伴っていた。


「お前は昔から、そうやって探偵を気取る」

(それは褒め言葉かな)

「何かわかったら、連絡をくれ」

 返事をよこす代わりに、そこで気配が遠のいていった。痛みが消えていく。


「身勝手なやつだ」

 恵庭は、しこりのように残った虚無感をしまい、パソコンのモニターに向かう。それぞれの書類の雛形を呼び出し、惰性で文字や数字をはめ込んでいく。経緯の説明文に、〈オリハルコン〉のことを書き、途中で消した。危険だというエアリアスの声が頭に響いていた。



  **



 二年三組の教室に入ると、ひとりの生徒が机に向かっていた。真紀たちが近づくと、その生徒も立ち上がり、机を挟んで向き合う格好になった。その顔は確かに、さっき見せられたリストと同じで、鳥飼美鈴は意志の強そうな目を三人に向けた。


「恵庭先輩から、事情は聞いています」

 自己紹介もほどほどに、夏希が本題を切り出した。手近な椅子を引っ張り、座る。写真よりも長く伸びた髪が顔のラインを隠していた。涙袋に少々クマができていたが、うっすらと施された化粧で遠目にはわからない。


 夏希が美鈴の正面に座り、右側にアリスが、左側に真紀が腰掛ける。横顔の向こうには傾きかけた太陽に照らされた青空が覗いていた。柔らかく光を注ぐ空であっても、間引きされた蛍光灯に照らされた教室はどこか薄暗い。

「一年?」

 何かを探るように宙を睨み、おもむろに夏希を一瞥する。


「今日から『ヴォーウェル』に入ることになりまして」

 真紀が控えめに言う。美鈴はそれには直接答えず、刺すような視線を夏希に向け、「ねえ、心を読むのやめてもらえる?」と短く言った。

「すいません。でも、先輩もなかなか強いですね」夏希は平謝りして僅かに笑った。

「マインド・リアクターなんて、そんなに珍しい能力でもないからね」

 美鈴が視線を逸らす。能力者同士、力の応酬には慣れているのか、仕掛けた本人の夏希はわずかに肩をすくめ、「そうですね」と簡単に受け流した。


「あの、それで、もしよければ、夢の話を詳しく聞かせて欲しいんですけど」

 真紀はできる限り下手に出るようにした。美鈴が夏希と同じように心が読めるのなら、刺激してこちらの正体を探られる事態は避けたかった。

 美鈴は俯いたまま、「わかった」と短く言うと、夢の話を始めた。


「恵庭くんからどこまで聞いているかわかんないけど、夢なんて、最初から脈絡なんてないから……。気づいたらいつも早朝の街の中にいるの。知っているようなないような、でも夢の中の私は当然のようにそこを歩いている。それで、角を曲がったあたりで決まって電話がなるの。きっとそこで誰かわかっているはずなんだけど、夢から覚めるとその場面だけあやふやで、覚えているのは、その電話の声だけ。電話の向こう側が暗くて、だから先生とか先輩には靄って言ったんだけど、私もどう表現したらいいかわからなくて……。とにかく、そのもやもやが『あと二日』って言ったのは覚えている」


「あと二日、ですか?」真紀はその言葉の意味を考えたくなくて、鸚鵡返しに言った。

「今朝はね。昨日は『あと三日』って言ってた」

「カウントダウン、なのかな?」アリスが隣の夏希の顔を覗き込んだ。

「だとしたら……、明後日に何か起こるってことですか?」


 アリスの問いかけを受け、夏希が美鈴に視線を向けた。

「私がそんなこと知ってるわけないじゃん」美鈴が投げやりに言う。

「心当たりとか、ないんですか? 誰かに恨まれているとか、何かに触れてしまったりとか」

 アリスが神妙な声を出す。呪いや黒魔術、そういった魔法の負の側面は、それこそアニメやライトノベルの定番だ。陰と陽のせめぎ合いが起き、混沌とした沼地に引きずり込まれてしまう。それが美鈴の言う暗い靄なのかもしれない。


「恨まれることはあるだろうけど、今に始まったことじゃないし。触ったっていうのも、何か違う気がする」

 魔法が使えると、普通の人以上に色々なトラブルに巻き込まれるのだろう。恨まれるようなこと、と言われて、真紀には思い当たることなどない。朝、何度起こされてもベッドから起き上がろうとしないせいで母親に嫌味を言われるのがせいぜいで、そんなことで恨むような親でもなく、真紀の日常は至って平和だ。


「手がかりなし。仕方がないですね」

「夏希ちゃん、もう諦めちゃうの?」アリスが不満そうに頬を膨らませる。「このままじゃ鳥飼先輩危ないかもしれないのに」

「そうだよ。何か方法はないの?」

 両隣から詰問の声を浴びせられ、夏希が辟易と苦笑した。


「君たちは、私を冷血人間だと誤解してる」

「違うの?」

 美鈴に突っ込まれ、さすがの夏希も眉をピクリとさせた。

「違います。今日、先輩の家に行っていいですか?」

「いいよ。ちょうど、両親いないから」


「私は、鳥飼先輩のこと信じてますから」

「変な想像してるでしょ? 現行犯逮捕、するだけだよ」

 夏希の口から物騒な言葉が飛び出した。

「本気なの?」

 怪訝な顔で夏希を覗き込む美鈴に対しても夏希は涼しい顔で、「いつだって、私は本気ですよ」と嘯いた。

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