第3話

 体育館に着くと、そのまま新入生の入場となった。二列に隊列を組み直した一組の面々がワックスのかかった床を滑るように歩いていく。二組の先頭を行く真紀は、入り口付近に待機する教師の指示に従い、一組の右側に列を進めた。気づけばアリスが隣を歩いていて、二人並んだ状態のまま壇上に近づき、バスケットコートのラインの上で立ち止まった。


 入学式というのは、卒業式ほど厳かなものではない。全校集会の延長のような雰囲気のまま、司会をする教師が校長や来賓を紹介し、それぞれがそれらしいことを話すというのが続いた。


「――本校の生徒であることを誇りに持ち、勉学、スポーツ等に打ち込み、存分に活躍することを願い、お祝いの言葉といたします」

「――皆様のますますの成長と、緑ヶ丘高校の変わらぬ発展をお祈りし、お祝いの言葉に代えさせていただきます」


 来賓の中に自衛隊の幹部がいたことには面食らったが、近隣の施設ということもあり、何かしら交流があるのかもしれない。お仕着せの言葉であっても、高校生になったのだと実感するには十分なものだった。長く感じた時間も人の話を聞いているうちに過ぎ去り、次が最後の式辞だ。


「それでは、生徒会副会長、恵庭祐介くんお願いします」

 その名前が真紀の心臓を鷲掴みにする。一度名前を聞いただけなのに、すぐに今朝の光景がフラッシュバックのように駆け巡る。空の感触、通り過ぎる風、身近に感じた体温。真紀の意識が壇上に向かう間に、会場もしんと静まり返る。横目に映るアリスも眠そうな顔から一転、期待を含んだ目を正面に向けていた。異常な雰囲気は壇上に続く階段に恵庭が現れたことで一層強くなり、何を話すのか、真紀は探るような視線をそこに投じた。それにしても、まさか生徒会の人だったとは思わなかった。


 壇上に上がった恵庭は、緊張気味に演題の前に立った。

「本日は、ご入学おめでとうございます。先ほどの紹介にもありましたが、私は本校生徒会で副会長を拝命しています、恵庭祐介と言います。本来であれば、生徒会長が生徒会を代表してご挨拶させていただくところ、あいにく会長は今月末まで短期留学中のため、名代として私がこの場でご挨拶申し上げます。校長先生や来賓の方からもお祝いの言葉をいただいておりますので、私からはこの高校に入学した君たちに、ここでの生活における心構えについて伝えたいと思います」


 恵庭は、そこで胸のポケットから紙を取り出した。丁寧に折りたたまれたそれを開き、ひとつ息を吐く。緊張感を孕んだ沈黙が、体育館に並ぶ自分たちにまで伝播する。

「私たちは、一般的な人とは少し違います。そのことで、これまで様々ないわれのない差別や偏見に苦しんできた人もいるでしょう。肉体的、精神的に傷を負ったこともあるでしょう。この国が私たちを公式には認めていない以上、君たちが社会に出てからも、同じような事態に直面することがあるかもしれません。


 社会は時に残酷です。他者との違いを認めず、特定の民族や宗教を一方的に排斥する動きは、今の社会で実際に起こっていることです。私たちも、そんな対象にならない保証はありません。たとえそれが最後には争いに発展することになったとしても、です」


 恵庭は、そこで言葉を切った。真剣な眼差しを生徒一人ひとりに向け、そうやって語りかける恵庭の姿を、周りの新入生は半ば陶酔するように見つめていた。


「けれど、だからこそ、今日からの三年間は、君たちの能力を存分に発揮し、自分を高めるための時間です。そして、周りと違う自分を認めてください。自分と違う隣人を認めてください。人と違うということを、長所だと胸を張れる人になってください。君たちの活躍に期待しています。でも、授業中や試験の時は、能力を使うのは禁止です。それだけは守ってください」


 微笑みとともに放った最後の言葉に、体育館からは微かな笑い声が漏れ聞こえた。

「生徒会は、みんなの代表です。何か困ったことがあれば、気軽に声をかけてください。以上です」


 恵庭が一歩下がり頭を下げると、大きな拍手が沸き起こった。真紀も反射的に手を叩き、深く礼をする恵庭を見上げていた。嵐の渦中にいるような喝采は、ここにいる新入生がこれまでにどれほどの困難に直面したのか、それを顕現させているようで、教師に促された恵庭が壇上を降りても、しばらく止むことがなかった。




 入学式が終わってもアリスはまだ身の内に残る高揚に目を輝かせ、胸元に寄せたアビーの頭を撫でていた。

「やっぱり、恵庭先輩はかっこいいな」

「……うん、そうだね」


 真紀は探るように言葉を繋いだ。

「こういう言い方は照れ臭いけど、私たちの希望の星って言う人もいるし」

「それってさっき先輩が言ってたことみたいな?」

 能力のあるものとないもの、その二つがぶつかり、せめぎあっている。そんな世界があること自体知らなかった自分には、その背景さえわからない。


「昔はさ、迫害されたりいいように利用されたり、そういうことが多かったから、そんな社会を変える活動をしてるみたい」

「そんなことしてんるんだ」

「知らない? 結構有名なんだけど」

「私そういうの疎くて」


 そうしてどうにか話題をかわしながら歩く。腰の高さほどの壁で囲まれた通路では、生徒たちが思い思い話しながら校舎へ向かっていく。そんな列についていると、不意にアリスが立ち止まった。

「どうしたの?」


 アリスは掌に乗ったアビーを頭の上に掲げ、「さすがに、授業中とかはアビーを連れてちゃいけないんだ。さっき恵庭先輩も言ってたけど、授業中は魔法禁止でしょ」と言うと、すうっと腕を開き、アビーを宙空に放った。アビーは状況がわかっているのかいないのか、「くわ、くわ」と鳴きながらアリスの胸のあたりを旋回し、まるで遊んでくれるのを待っているように尻尾を振る。


「アビー、お昼まで校庭で遊んでて。すぐに友達もできるはずだから」

 首を傾げてアリスを眺めたアビーは、顔を巡らせ、するすると体育館の屋根の方へ昇っていった。

「大丈夫なの?」


「結界が張ってあるから、中から外には出れないんだよ。しかも、外からは中が見えないようになってるって、入学説明会で言ってたじゃん」

 入学説明会などそもそもあっただろうか、と真紀は内心首を傾げた。合格通知が郵送されてきたが、そこには入学式の案内が入っているだけだったし、制服や教科書は専用のホームページから発注する形式だった。


「そっか、そうだよね」

 けれどここでそのことを追求する勇気はなかった。真紀は調子を合わせ、アリスと並んでアビーの軌跡を追った。体育館の屋根にはすでにアビーよりも大きなドラゴンや黒豹がいた。喧嘩にならないのかと不安になったが、近づいたそばから体を寄せ合い互いの首筋に鼻先をあてがうような仕草を遠目に見て、真紀は安心した。


 そうしてアビーの愛らしい姿を眺めていると、視界の端をちらちらと何かの影が横切った。誘われるように校庭に目を向けると、キラキラと蝶のような生き物がたくさん飛び交っているのがわかった。

「あっちのも、誰かのサーバントなのかな」指差し、アリスに顔を向けた。


「フェアリー種だよね、あんなに大勢いるってことは、生徒もその種族なのかも」

 左右を見渡してみると、そのフェアリーに向かって手を振る少女の姿があった。耳の形がヒトとは少し異なっているように見える。けれど、制服を着てしまえばやはり女子高生には違いない。恵庭が言葉通り、ここでは他者との違いをとやかく言うことはできないのだ。


「それより、呼ばれているんじゃない?」

 唐突に夏希の声が背中を突き、真紀は振り返った。夏希の視線を追うと、体育館の入り口から「一年二組の五十嵐はいるか?」と声が上がっているのが聞こえた。男性教師が確かに自分を呼んでいる。

「なんだろう。ちょっと行ってくるね。先に教室戻ってて」


 真紀は気安く手を振って二人と別れたが、自分の名前を聞いてからずっと心臓が痛いくらい脈動していた。掌に嫌な汗を感じる。もしかしたらなんの能力もないことがバレてしまったのだろうか。

 恵庭が壇上で言っていた言葉が真紀の胸にずっと引っかかっていた。政府が認めていないということは、やはり一般にはその存在を隠しているということだ。一般人の自分はそれを知ってしまった。状況に流されるうちに、引き返すことのできない深みにはまってしまった。それを自覚しても教師の呼び出しを拒む度胸はなく、真紀は立ち止まりそうになる足を進め、教師に肉薄した。スキンヘッドに眼鏡をかけた教師は、どこかで見たことがあるような気がした。


「君が五十嵐さんだね。これ忘れ物だよ」

 教師がすうっと腕を上げた。その指に摘まれた黒い塊に、心当たりは――。

「あ、すいません。ありがとうございました」

 すっかり忘れていた。落としたことにも気づかなかったとは、我ながら抜けている。やはり空なんか飛んだからいけないのだ、と真紀は内心ため息をついた。掌を開き、教師からそれを受け取った。


 改めて教師に礼をし、真紀は踵を返した。掌をわずかに開く。黒く艶のある石の表面には、赤い小さな結晶が浮かび上がっていた。結晶の凹凸に太陽の光が反射している。よかったよかったと思いながら、何かが心に引っかかる。真紀は何だろうと胸の中を覗いたが、目の前の事態に圧倒されるだけの自分には、その片鱗さえ見つけることはできなかった。

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