激突の野

 そして出陣のときが来た。


 銅鑼の音に合わせて、青薔薇の軍勢はゆっくりとオウルモッフの野を進んでいく。すぐに帝国の軍勢も呼応して、前進を始める。


 彼我の距離が半里まで接近したところで、グレイスは常法通り、弓取りに矢を打ちかけるよう命じる。実害を与えることではなく、交戦の意思を伝えるための、有効射程外からの射撃であるが、盾なり旗印なりに当てることができれば味方の士気も上がる。頼むぞと、グレイスは心中密かに祈る。


 十射八中。悪くない。続いて敵方からの応射。十二射九中。当たりの数では負けているが、率ではこちらに分がある。グレイスは剣を真上に突き上げて進軍を続けるよう指示した。


 彼我の距離が、さらにじわじわと詰まっていく。千歩、六百歩、三百歩――。


「矢笛を放ちなさい!」


 グレイスの命に応じて弓取りたちが笛付きの矢を今度は天空へと射かけた。ぴゅるるるるという鋭い音色が響き渡ると、間を置かずブルーローズの中軍が雄叫びをあげながら敵方に向かって走り出す!


 ブルーローズの歩兵の多くは革鎧と丸盾で身を固めた軽装歩兵だ。機動性は高いが防御力では帝国の重装歩兵に比べるべくもない。グレイスはだから、常法よりも隊列の横幅を広く取り、身を低くして前進するよう命じていた。


「撃、撃てっ」


 ブルーローズの勢いに気圧されたのだろう。敵方から弩の斉射を命じる声があがった。まだ遠い。それに射撃のタイミングもまちまちだ。さすがに全くの無傷というわけにはいかず、戦場のあちこちで矢を受けた兵たちが倒れ伏したが、青薔薇の軍勢は怯むことなく前進し、第二射が来るよりも先に百歩の距離まで間を詰めた。


「投石用意!」


 前線の小隊長が叫び、部下たちが前進しながら投石紐ロックスリングをひゅんひゅんと回し始める。


「投げよ!」

 

 遠心力によって充分に加速した石礫が、にわか雨のように帝国方陣に降り注ぐ! 帝国軍の弩兵は矢に風の加護を与えるため、魔術の伝導を妨げる金属製の防具を身につけていない。射程、威力とも弩に劣る投石であっても、彼らに当たれば大きな被害を与えることができるはずだ。


「やらせはせん!」


 しかし、帝国方陣の前衛を成す重装歩兵が見事な連携で密集隊形を作り、盾の壁でもって投石から後衛の弩兵を守る。


 ――さすがにそう簡単にはいかないか。


 帝国の重装歩兵が密集隊形を保ったまま前進を始めた。それに応じて青薔薇の軽装歩兵もじわりじわりと後退を始める。


 ブルーローズの中軍の主たる武器は投石紐と両刃の剣だ。うかつに長槍の間合いに踏み込めば、たちまちの内に叩きのめされ、地に伏したところを突き殺されてしまう。反対に間合いを取り過ぎれば今度は重装歩兵が散開し、後衛の弩兵からの斉射を受けることになる。


 帝国の戦列が近づこうとすれば遠ざかり、遠ざかろうとすれば近づく。隙あらば敵陣に石を投げ込みつつ――。主力同士のぶつかり合いで膠着状態を作りつつ、機を見て騎兵を投入するというのは、ブルーローズの得意とする戦法だった。


 しかし、マリアが手塩にかけて育てた重装歩兵の戦列は幾たび投石を受けても決して崩れず、一定のリズムで前進を続ける。


「あっ」


 最前線で戦うブルーローズの小隊長が、声を上げた。後退し続けた結果、自分たちが身動きの取りづらい窪地に足を踏み入れていることに気づいたのだ。


「散開せよ!」


 正面の重装歩兵がすぐさま隊列の間隔を開く。その背後で無数の弩が殺意を露わにしている。


「風王の力を借りて、我が矢よ空を切り裂け! ウィンドショット!」


 風の魔術で強化された数百の矢が青薔薇の軍勢の一角に襲いかかる。かすっただけでも体の一部がもがれるほどの威力だ。


「伏せろ! 後衛は、盾を!」


 小隊長が叫び、前衛と中衛の兵たちが一斉に地面に転がった。後衛の兵――彼らだけは投石紐と剣に加えて、背中に大きな木の盾を担いでいる――が、盾を下ろし、背後に向けて身構える。


「ぎゃっ」「ぐわっ」


 反応が遅れた兵たちが矢を受けて倒れる。さらに――誰にも当たらずに隊を通り過ぎた矢が、風術の加護によってぐるりと反転し、再び襲いかかった。


「耐えろ! 帝国の弩兵相手に後衛はなんてものはない!」


 反転した矢を盾で受けながら、兵の一人が叫ぶ。次の瞬間に、別の方向から飛来した矢が、その兵の喉を深々と抉った。


 帝国が誇る風術弩兵は、単に強力な矢を撃つだけではない。風の精霊の加護により、撃った矢の方向を一度だけ、


 大規模な戦場での魔術の活用は、魔術に適正のある人員を揃えることが容易ではないこと、魔術を使用する者に金属製の防具を装備させられないことなどから長らく困難であったが、マリアは魔術の中でも比較的容易に習得できるウィンドショットだけを風術弩兵の戦闘教義に組み込むとともに、帝国伝統の重装歩兵に風術弩兵を守らせる帝国方陣を編み出すことで、困難を克服した。


 最強の盾に守られし、強力なる弩。そこから放たれた矢は一度躱しても、再度角度を変えて襲いかかってくる――。


「引けっ! 引くぞ!」


 愛する部下が次々と絶命する中、小隊長がついに戦術的後退ではない退却を命じる。しかし、その命に従うことができたのは残余の隊員のうち三分の二弱で、負傷がひどく逃げ遅れた者たちはすべて帝国重装歩兵の槍の血錆となった。


 青薔薇の軍勢は戦場の各所で、少しずつ押され始めていた。中軍同士のぶつかり合いで膠着状態を作るというところまでは狙い通りだったのだが、帝国の重装歩兵の練度が高く、まったく崩すことができないのだ。僅かでも気を抜けば、風術弩兵の矢が襲いかかってくる。僅かでも気を抜いた隊から、風術弩兵の矢を受けて崩されていく。そのような状況だった。


 ならば青薔薇が誇る騎兵はどうか。定法通り両翼に配された彼らは、開戦後すぐに同じく両翼を受け持つ帝国騎兵と戦い始めた。だが、青薔薇の騎兵の精強さを知る帝国は、戦っては逃げ、逃げては戦いを繰り返し、容易には決戦に持ち込ませない。はじめから青薔薇の騎兵を拘束することだけを目的としたような戦い方だった。


 とは言え、両翼の騎兵戦闘までもが膠着したのは帝国の戦い方だけが理由ではなかった。グレイス・ブルーローズは自軍で最も強力な騎兵部隊を両翼に投入せず、後陣に控えさせていたのだ。


「百合之峡谷騎士団、前へ!」


 グレイスが咆哮すると、男たちは待ちかねたように「はっ!」と声を上げた。中軍の左右――既に戦闘状態にある両翼騎兵の内側を抜け、白銀の甲冑に身を包んだ人馬は敵軍めがけて突進を開始する。


「我らは剣! 戦女神の剣!」


 最前線で戦うブルーローズの軽装歩兵は、百合之峡谷騎士団の叫号に勇気付けられ、鬨の声とともに勢いを盛り返す。


 だが、やや後方で督戦する指揮官の内、洞察力に優れた者は舌打ちした。


「ダメだ。早すぎる」


 強力な重装騎兵であっても、万全の体制で待ち構えている重装歩兵の戦列に突撃するというのは自ら蜂の巣に飛び込むようなもので、ただの自殺行為である。だからこそ、中軍の攻撃で戦列に綻びを作らなければならないのだが、今のところ帝国の隊列には全くと言って良いほど隙がない。


「青薔薇、敗れたり!」


 不敗の青薔薇は、予想外の苦戦に判断を誤った! 帝国のある将校はそう確信して叫ぶと、重装歩兵を一層密集させ、騎兵への迎撃態勢を取るよう命じた。


 だが、百合之峡谷騎士団は帝国兵の槍が届くぎりぎりまで接近したところでぐるりと進路を変えて、帝国軍の戦列に平行に走り始めた。


 唖然とする帝国兵を余所に、百合之峡谷騎士団の騎士たちは一斉に脇の下から伸びた紐を引っ張った。引っ張ることで白銀の甲冑がすべて外れるしかけ紐だ。どさり、どさりと服ごと甲冑が大地に落ち、騎乗の男たちはたくましい肉体をむき出しにして、なおも帝国の戦列に並走する。


「煉獄の炎よ、球を成して邪悪を燃やし尽くせ! ファイアボール!」


 呪文の詠唱が終わると同時に、帝国軍の最前線に火球が投げ込まれた。ゴガアアアン! すさまじい音とともに火球が弾け、炸裂する。


 それは帝国の祭りでしばしば使用される火術花火と似て非なる爆炎と熱風の魔術だった。


「邪軍、滅ぶべし!」「狂帝、滅ぶべし!」


 青薔薇最強の重騎兵の真なる姿は重騎兵にあらず――鎧を脱ぎ捨てたことで自在に魔術を使えるようになった命知らずの騎兵は、なおも戦場を駆け巡り、敵戦列めがけて次々と火球を投げ込んでいく。


 轟音が響き渡る度、重装歩兵が吹っ飛び、戦列に穴が開く。火球の直撃を受けて天空に首を飛ばした将校がいた。戦友の下敷きになって圧死する者もいた。後方に放り出された槍の串刺しとなって即死する風術弩兵もいた。


 帝国の戦列は乱れに乱れた。


「前進! 前進!」


 すかさず青薔薇の中軍が猛烈な勢いで前進し、槍の間合いを一息で通り抜けて白兵戦の間合いへと踏み込んだ! こうなれば槍で剣に対抗することは難しい。帝国の重装歩兵は見る間に打ち倒され、甲冑の隙間から刃を突き込まれて殺されていった。


 風術弩兵に待っていたのはさらにむごたらしい結末だった。防具らしい防具を装備していない彼らの身体を、グレイスの兵たちははこれまでの意趣返しとばかりに執拗に切り刻んだのだ。


 一気に劣勢に立たされた帝国軍だったが、その帝国軍に決定打を与えたのは百合之峡谷騎士団でもなければ青薔薇の中軍でもない――他ならぬマリア・ゴールデンフリースだった。


 帝国軍の総大将たる彼女は、自軍が不利になったと見るや、すべてを放り出して我先にと退却を始めたのだ。


 総大将が逃げたとなれば、勢いを盛り返すことなどできようはずもない。


 帝国軍は機に聡い者たちから逃げだし、あるいは降伏した。愚者と忠勇の士だけが最後まで戦い続け、物言わぬ死体となった。オウルモッフに集まった帝国兵およそ三万人のうち一万人が倒れ、七千人が捕虜となり、五千人が行方知れずとなった。無事逃げ延びたのは八千人だけだった。


 一方のブルーローズは総勢二万のうち死傷した者は千人足らず。オウルモッフの戦いは不敗の戦姫グレイスの完勝という形で決着したのだった。

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