百合之峡谷騎士団

 大陸に戻り、父の友邦であったとある侯爵の支援を受けて反帝国の旗を掲げた。


 初陣はひどいものだった。侯爵の援軍は戦う前から逃散し、ブルーローズの騎士たちの多くは死に場所を求めて敵の槍衾の中に消えていった。偶然のにわか雨で混戦になったことがかえって幸いし、どうにか形の上では引き分けに持ち込めたが、グレイスにしてみればあまりにも無様な戦いだった。


 その後は負けないことを第一に考えた。強大な敵とは決して戦わず、確実に勝てると踏んだ戦場でのみ勇戦した。「騎士の戦い方ではない。盗賊のやり方だ」と吐き捨てる者もいたが、グレイスは己のやり方を曲げなかった。


 一年戦い、生き延びた。いつしか、家臣たちは戦場で手足のように動くようになっていた。


 続けて一年戦い、ブルーローズの旧領を再復した。いつしか、不敗の戦姫と呼ばれるようになった。


 さらに一年戦い、ゴールデンフリースの本領に接した。いつしか、反乱の火の手は大陸全土に広がり、グレイスはその旗手オピニオンリーダーとみなされるようになっていた。


「和睦の道はないのですか?」


 ジュディスに問いかけられて、グレイスははっと我に返った。


「話し合いでどうにかなるんだったら、そうしているさ。できないから戦う。戦って勝つ。わたしはそれ以外の道を知らない」


 語尾にぎゃははという下卑た笑いが重なった。陣幕越しに見やると、屈強な男たちが髑髏しゃれこうべの杯で葡萄酒を飲みながら、気炎を吐いている。


「……勝つためになら、あのような者たちまで用いねばならないのですね」


 ジュディスは男たちへの軽蔑の念を隠しもせずそう言った。


 彼ら――百合之峡谷騎士団ゆりのきょうこくきしだんは、反乱軍の中で特に武勇に優れ、魔術への適性もあり、グレイスへの忠義に篤い者たちを集めて作られた精鋭の騎兵部隊である。


 総員は五百人と少ないが、皆、グレイスのためならばどんな危険な戦場へも突貫する騎士であり、その勇武によって幾度も反乱軍を勝利に導いてきた。


 問題は彼らのグレイスへの想いが忠義の域を超え、半ば信仰、半ば狂愛の域に達していることだった。


 ある戦場でゴールデンフリースの騎士が捕虜となった。その男は以前グレイスを『色香で部下を死地に向かわす毒婦』と侮辱したことがあった。捕虜となった翌日に獄死したが、その体には激しい暴行との痕があった。獄舎の番をしていたのは百合之峡谷騎士団だった。


 またあるとき、百合之峡谷騎士団の団員がグレイスが与えた戦旗を葡萄酒で汚したことがあった。その者は誰かに咎められるよりも早く自刃したが、団員たちはなおも彼を許さず四肢を切り刻んで陣幕に晒した。


 今朝の軍議でグレイスの言に法悦を得て絶頂した者も、全て百合之峡谷騎士団の団員だった。


「彼らなくしてマリア様に勝つことは難しいだろうね」


 グレイスとて百合之峡谷騎士団の戦場での勇敢さと表裏をなす異常性は理解している。理解しているが、グレイスにとってはかの騎士団こそが必勝の策であった。


「――それともジュディスはわたしに負けて欲しいのかな?」


 だからグレイスは自らの心を微笑の後ろに隠して、学友を揶揄うことにする。


「グレイス様!」


 案の定、ジュディスは顔を真っ赤にして、目元に涙すら浮かべて、叫ぶ。


「私は……私はただ、共にニマオモ寄宿学校で学んだお二人に戦って欲しくない……それだけです! グレイス様の負けを望むだなんてそんなことは少しだって思ってはいません!」


「すまないジュディス。戦を前にして、わたしは少し気が立っていたようだ。許してくれ。この通りだ」


 グレイスはそう言って頭を下げると、懐から手拭き布を取り出してジュディスの目元を拭ってやる。そして、心の中でだけ、彼女に向かって『わたしだって、マリア様とは戦いたくないんだ。本当はね』と呟くのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る