第一章「日常」

序幕


 人間の道から外れた存在。


 カルマの輪から外れた存在。


 すべての生命に平等に与えられた死という理を拒否した存在。


 美しくも危険な存在。


 自分たちとは道が違う存在。


 そのすべてが謎に包まれ、人間たちは怯える。


 自分たち、人間には出来ない事を平気でやってのける。それが怖くてたまらない。


 何年も何十年も何百年も生き、その姿形を一切変えることなく生き続ける。


 世界の理から外れた者たち。


 ――人は彼女らを『魔女』と呼んだ。










 魔女という存在は知っていた。それこそ親からよく聞かされていたものだ。しかし、親が言う魔女と他の大人が言う魔女とでは少し食い違いがあった。


 他の大人たちは、魔女には近づくな。かかわりを持つな。あいつらは化け物だと聞いていた。それを聞いて幼いながらに恐怖したのを覚えている。


 反対に親が教えてくれた魔女は逆だった。以外といい奴で案外、人間と何も変わらないのかもしれない。彼女らは言葉がわからない動物じゃない。話せば理解し合える。


 どちらを信じればいいのかわからなかったが、親の言うことの方が本当なのだろうと思った。


 なのに。


 なのに――。


 両親は魔女に殺された。


 魔女を理解していたはずなのに、殺されてしまった。


 完全なる裏切り行為に等しい。


 だから、尚のこと許せなかった。


 両親は魔女に理解があったはずだ。魔女の敵ではなく味方だったはずだ。


 なのに――魔女に殺された。


 裏切られた瞬間、どんな気持ちだったのだろうか。魔女は裏切る事に何も感じなかったのだろうか。両親の無念の気持ちがアルビノに押し寄せてくる。


 出会わなければよかったのに――。


 しかし、出会いというものは自分では選べない。自分が拒否をしても、相手から否応なしに接触してくる場合がある。今回の出来事はまさにそれだと言って良いだろう。だから腹立たしい。どうにも出来なかった事に納得など出来るはずがなかった。なぜ、自分の両親を殺した者と生活をしなければならないのか。しかし、それを受け入れた。理由は簡単だ。


 逃がさない為。


 必ず殺してみせる。そう心に誓ったのだ。それしか頭にはない。なのになぜ、自分はこんな事をしているのだろうと少年アルビノは思った。


「ほらまた! それはその棚じゃなくてこっちの棚でしょう!」


 自分の親を殺した魔女ペストに文句を言われながら、気が付けばそれに従っている自分がいた。


 あの最悪の出会いから三日目。


 ペストの家でアルビノはなぜか手伝いをさせられていた。


「……なんで俺がこんな事をしなくちゃいけないんだ」


 小声で愚痴を漏らす。こんな事をする為に自分はここにやって来たわけではない。


「家においてやってるんだからそれぐらいやって当然でしょう」


 自分で聞こえるか聞こえないかぐらいの声で言ったのにペストの耳にはしっかりと届いていた。まさに地獄耳だ。


「……絶対に殺してやる」


「はいはい、期待しているから早くその本を直してちょうだい」


 ペストは口だけ動かして優雅にソファーでくつろいでいる。自分の長い指よりもっと長いキセルをふかしながら深く息を吐く。長い綺麗な黒髪がさらりと肩から落ちた。


 はっきり言って絶世の美女だと思う。妖艶だし魔女という言葉が相応しすぎるぐらいに美しい。魔女と言えば老人か美人のどちらかというイメージあったが、ペストは断然美人に属する。


「アルビノ、そろそろお腹空かない? 何か作ってあげましょうか?」


 うるさい黙れと言おうとした瞬間に、アルビノの腹は盛大な音を立てた。


「うふふ。可愛い音ね。すぐに作るからちょっとソファーに座って待っていなさい。今夜は寒いからシチューにしましょうか。いい?」


「……いい」


 ペストはキセルを机に置いて立ち上がる。すれ違いざまに頭をまたポンと叩かれた。そして言われた通りにソファーに腰を下ろす。するとペストのぬくもりが伝わってくるのがわかった。


 暖かい。


 素直にそう思う自分と騙されるな、あいつは親を殺した仇だと思う自分がいた。そうだ、忘れるな。あいつを殺すのは自分だ。今は小さくて力もない。身体が大きくなるまでの我慢だとアルビノは自分に言い聞かせたのだった。








 自分は三日前に生まれたのだと強く感じた。それをこの三日で強く感じた。今まで生きてきた人生と言えない人生は何だったのだろうかと少年リンドウは思う。


 思い出したくもない過去。


 唯一、思い出して嫌ではない過去はたった一つだけ。


 あの最高の出会いのみだ。


 あの瞬間の為に生きてきた。


 あの瞬間の為だけに生きてきた。


 すべてをひっくり返してくれた存在。


 それがリリーだ。


 初めからリリーに拾われるのが決まっていたようにも思える。


 しかし、あれは単なる偶然だ。


 決して、必然ではなかった。


 あの時に出会っていなければどうなっていたのだろう。


 きっともう死んでいるはずだ。


 そう思えば思うほど、あの時の出会いが劇的だったと思えた。


 これからどうするか。


 何をして生きていけばいいのか。


 とにかく言えることは、恩人の迷惑になることはしないようにしよう。そう幼いながらに思ったときだった。


「何やら難しい顔をしとるの」


「まま」


 そう自分に思わせてくれたのはこの魔女だった。これが親というものなのだろう。それをリリーと出会って初めて理解した。なら過去のあれらは?


 もう顔を思い出すことすらできない。完全にリリーの存在によって塗りつぶされてしまった。


「子がそんな顔をするもんじゃないぞ。笑え。子は笑うもんじゃ」


 そんな事を言われても面白い事もないのに笑えないと思ったが、自分の顔は自分の意思とは違って自然に笑っていた。それにまた驚いた。


「良い顔じゃ。子はそうでなくてはな」


 言って優しく抱擁された。このまま目を瞑れば、泥闇の底まで真っ逆さまだろう。


「こら。まだ寝るでない。夕食がまだじゃろうが。寝るなら食ってからじゃ」


「も~、ねむ~い」


「食って大きくなれ。そうしないと儂を守れんぞ?」


「わかりました~。食べます~」


 机上には既に用意された夕食が並んでいた。だがそれは決して豪勢なものではない。パンとスープのみだ。パンは堅く、スープに至っては緑色やら紫色やら見えるし、皿の上に注がれているのにグツグツと沸騰していた。


 それでもリンドウは迷う事なくそれを口にした。


「うまいか?」


「うん、おいしい」


 リリーはニコニコしながら頬杖をついて我が子を見つめる。今後が楽しみだと素直に思う。いったいどんな成長をするのだろうか。いったいどんな人間になるのだろうか。


 今後が楽しみだ。自然と笑顔が増える。


 そんな母の笑顔を見ているといっそう強くリンドウは決意した。早く大きくなってリリーの助けになりたい。自分はまだ子供で小さい。今はまだ色んな事を我慢しなくてはいけないが、それを糧にしようとリンドウは静かに思ったのだった。










 はてさて、と。


 ペストは心中焦っていた。今まで子育ての経験がないからだ。何をどうやってどうすればいいのかわからないでいる。本を手に取って読んでみても子育ての事など一つも書かれていない。


「役立たずな本たちね」


 本を無造作にソファーに投げた。ボンと弾んでページが開く。載っているのは怪しげな儀式ばかりだった。


 アルビノは六歳だと言っていた。少し手がかからなくなった頃だろうか。生まれたてだったらもっと頭を悩ませていただろう。そこはどこかの誰かに感謝をしなければ。


「ほんと、子育てって何をすればいいのかしらね……」


 キセルをカリカリと噛みしめてみるが答えは出そうにない。


 一緒に暮らしていればいいのだろうか?


 一緒にご飯を食べていればいいのだろうか?


 一緒に遊べばいいのだろうか? 


一緒に寝ればいいのだろうか?


 ペストはどれも違うのではないかと思っている。


 だから答えが見つからずに悩んでいる。こんなに悩むのは人生で初めての経験かもしれない。


「ふぅ」


 おもむろに椅子から立ち上がって家の外に出た。目の前には小さくて綺麗な湖が広がっている。冷たい冬の風が綺麗な黒髪を触って逃げて行った。


 湖のほとりに腰を折って水面も眺める。考えるのはアルビノの事ばかりだった。


 自分の吐く息が白いのか、キセルの煙が白いのか区別がつかない。


「考えても……仕方がないわね」


 アルビノは今どこにいるのだろうか。家をふと振り向いたら二階の窓からこちらを見ているアルビノが目に入った。目が合った瞬間、アルビノはカーテンを閉めて隠れてしまう。


「あらあら」


 ひどく嫌われたものねとペストは心の中で笑った。


「アルビノ! こっちにいらっしゃい!」


 少し声をはってアルビノを呼んでみる。すると家の扉が少し開いてアルビノが顔だけを出した。


「……なんだよ?」


「お話をしましょう?」


「…………」


 その表情を見るだけで「お前と話す事は何もない」と読み取れる。


「こっちにいらっしゃい。あたしの殺し方を教えてあげるから」


 そんな事を言われたら素直に聞くしかない。アルビノは不満たらたらでペストに近づいた。湖の前に丸太がおかれている。そこにペストは座っているので、アルビノは一番端っこに座った。


しかし何を話せばいいのだろうか。ずっと独りで暮らし、生きてきた。会話とはいったいなんだろうか。何をもって会話と言えるのだろうか。アルビノにかける言葉が見つからずにいる。自分から誘っておいてそれはないだろう。


「……魔女って死ぬのか?」


 最初の言葉を考えていたらアルビノから助け舟が出た。それが少し意外だったが、せっかくの助け舟だ。のらない手はない。


「じゃあ、まず最初に魔女についてお話をしましょうか」


 視線は二人とも合わせない。湖の水面を見つめている。


「魔女だって死ぬわよ」


 ペストはハッキリとそう言った。


「普通に剣で刺されれば死ぬし、病気にだってなるわよ。決して不老不死ではないのよ。その研究をしている魔女もいるけどね。あたしたちは不老であって不死ではないわ」


「……違いがわからん」


「不老っていうのは歳をとらないってことよ。まぁ、おばあちゃんの魔女もいるけどね。簡単に言えば、人それぞれでどこかで見た目の変化が止まるのよ。少女のままの魔女もいるし、見た目二十歳ぐらいで止まった魔女もいるし、おばあちゃんまで歳をとって、そこから止まった魔女もいるし。さまざまなの」


「……お前は止まったのか? まだ歳をとるのか?」


「あたしはもう止まっているわ」


「……お前、何歳なんだ?」


「あたしは百三十歳ってとこかしらね。まだ若いのよ?」


「……それで若いのか」


「魔女の中では全然若いわね。なかには五百歳を超えている魔女もいるわよ」


「……ばけもんだな」


「まぁ否定はしないわ。ちょっと話を戻しましょうか。だから魔女も普通に死ぬわよ。あなたが大きくなって力をつければ、あたしなんてすぐに殺せるでしょうね」


「早く大人になりたい」


「精進なさい」


「しょうじん?」


「頑張るってことよ」


 そこで会話は一度途切れた。それでも二人はその場所から動かなかった。ただゆらゆら揺れる水面を見つめているだけ。アルビノはペストに視線をやる。


 全身黒くて瞳だけが炎よりも真っ赤だ。その瞳を見ていると火の中に飛び込んでいく虫の気持ちになってくる。こんなバケモノを本当に自分が殺せるのだろうか。心配はつきない。チャンスがあればいつでも狙って行こう。そんな事を考えていた。


「先に言っておくけれど」


 そう言われてアルビノは身体をすくませた。


「正直なところ、今のあなたでもあたしを殺せると思うわよ? あたしが寝ているところにそっと心臓にナイフを刺せばいいだけだもの」


 でもね、とペストはアルビノを見る。


「そのあとどうするのかしらね?」


「……そのあと?」


「あたしを殺したら一人で生きていけないわよ?」


「…………」


 子供が一人で生きていけるはずがなかった。きっと一週間もせずに死ぬだろう。下手したら暖炉の火もつけれないで一晩で凍死するかもしれない。


「だから、大人になるまで待ちなさい。それまで力と知識を身につけなさい」


 一人になっても生きていけるようにとペストは言った。


「絶対に殺してやる」


「はいはい、期待しているわ。だから今は準備の期間ね。家の中にある本を全部読みなさい。言葉を、文字を理解しなさい。知識は力になるわよ」


 そう言われてアルビノは何も言わずに立ち上がって家の中へと戻っていった。


「……意外に素直なのよねぇ」


 自分の事を心底憎んでいるはずなのに言う事はきく。子供の考えることや行動は本当に意味がわかないとペストはさらに頭を悩ませることになるが、ふと気が付いた。


「退屈しないわねぇ」


 そう言いながらシニカルに笑ったのだった。










 さてどうしたものかとリリーは楽しく頭を悩ませていた。


 正直、やりたいことはいっぱいある。そのどれもが自分の為ではなく相手の、リンドウの為だ。長い人生の中で母になった事はなかったが、これがきっと母性というものだろうと一人で納得した。


「儂にも母性があったとは驚きじゃな……」


 今までにない感覚だ。まるで恋をしたかのような錯覚さえ覚える。


 このすやすやと無防備で眠りこけている寝顔をみると、不思議と自分までも眠くなってくる。


試しに一緒に横になってみよう。リンドウの寝息がまるで子守歌のようだった。この歳になって子守歌を聞くことになるとはと、心の中でニヒルに笑った。


「ふがっ」


 どうやら一緒になって眠っていたらしい。ヨダレを拭きつつ上半身を起こして窓の外を見ると夕日が見えた。


 危ない危ない。まだ夕食には間に合いそうだ。


「これ起きぬかリンドウ!」


 自分も眠っていたのにまるで起きていたかのような口調で言ってリンドウの頭を叩いた。そんな事を知る由もないリンドウはまだ開ききらない目をこすって母親を見る。


「おはよーうございますー」


 くあ、っと大きなあくびを一回。今までリリーも寝ていたのであくびがつられそうになるが必死で我慢した。


「目を覚ます為に先に風呂でも入るか」


 もちろんそれは自分に言っている。


 まだ半分夢の中のリンドウを持ち上げて浴室へと向かった。服を乱暴に脱ぎ捨ててリンドウを抱えたまま行儀悪く小さな浴槽へと飛び込んだ。当然湯は溢れる。


「あったかーい」


「冬の風呂は最高じゃな」


 二人でケタケタと笑いあった。


「しっかし、本当にお前は細いの。ちっこいし」


「子供ですから~」


 ごもっともな意見だった。


「ままも十分細いよ」


「儂は細くていいんじゃ。それにどう足掻いたって見た目がもう変わることもないしの」


「え? そーなの?」


「まぁそれが魔女というもんじゃな。儂最初は自分を人間だと思い込んでおったしの。ところが何年経っても成長せんかった。これはおかしいと思って書物を読み漁って自分が魔女だと気が付いたんじゃよ」


「ほへ~、そんなことあるんだね」


「魔女の親は魔女、とは限らんのじゃよ。つまるところ、魔女とは何か。何じゃと思う?」


 リリーはお湯をちゃぷちゃぷと弄びながらリンドウに聞いてみた。


「魔女とは……かわいいひと?」


 そう言われて笑わずにはいられなかった。


「はっはっは。なるほどの可愛い人か。まぁお前は他の魔女を見たことがないしの。見た目の悪い魔女だっていっぱいおるぞ。まぁ儂ほど可愛い魔女もおらぬがな」


「ままがいちばん」


 なんとも母性をくすぐる息子だ。


「まぁつまるところ、魔女とは血じゃな」


「ち?」


「そう。身体の中に流れる真っ赤な血じゃよ。それが魔女たる証じゃ」


「むずかしい言葉が多いよまま」


「頑張って勉強せい」


 血こそが魔女。しかし魔女の親が魔女とは限らない。ようは血が覚醒するかしないかの違いだ。しなければそのまま人間として人生を終える。覚醒した瞬間に成長は止まり、魔女としての人生が始まるのだ。


 自分が魔女として覚醒してそれを知った時、はたして自分はどんな気持ちだったのだろうか。年甲斐もなく思わず過去を振り返ってしまった。


 きっと泣き喚いただろう。あまり覚えていないが嫌で嫌で仕方がなかったはずだ。


 それでも――。


 それでも生きてきたし、この愛しい息子と出会えた事を想えば魔女になって良かったと思えた。


「あっついわ」


 立ち上がって浴槽から出ようとするリリーだったが、それを止める小さな手があった。


「まま、まだ百数えてないよ?」


 キョトンとした純真無垢な顔で言われたのでリリーの顔は引きつった。子供に諭されるとも思ってなかったし、その息子の言葉を無下にできないからだ。


「…………」


 熱いのはあまり得意ではないが、仕方がないとゆっくりと腰を下ろす。およそ百数えるのを十足らずで早口で数えたのは言うまでもなかった。












 アルビノは家にある本を手に取った。本を開いて見るがそれはどれも同じ感想だった。


「……字が読めない」


 まだ幼いアルビノは文字の読み書きができない。親に教えてもらう前に死んでしまったからだ。正確には殺された。その事を思い出すと手に力が入る。


 この文字は“普通の文字”なのだろうか。魔女だけがわかる異端の文字ではないのか。そんな事を考えてしまう。ペストは知識を身につけろと言ったが、それ以前の問題だった。


 親を殺した張本人に文字の読み書きを教えてくれなど言えるはずがない。かと言って独学なんて出来るものでもない。


 本を手に取って眺めるだけだった。絵もあることはあるが、そのどれも怪しい絵だし理解出来ない。


「はぁ……」


 生きづらいと思う。あのまま一緒に親と殺されていれば良かったと最近よく思うようになっていった。毎日何をして過ごせばいいのかわからない。


「前は……毎日何をしてたっけ……?」


 そんなことすら思い出せずにいる。


 ボーっとしていたら自分を呼ぶ声が聞こえた。


「アルビノー? アルビノー!」


「ちっ」


 気安く呼ぶな。


 それに呼ばれたからといって、わざわざ出ていく必要はない。すると向こうから近づいてくる階段を上がる音がした。


 隠れなければ。


 とっさにそう思ったが隠れるところなどないし、わたわたしているだけだった。そんな事をしているうちに足音は部屋の前にまで来てしまった。


「くそッ」


 アルビノはベッドへと潜り込んで寝たふりをする事に決めた。それと同時に部屋のドアがギィと開いた。


「アルビノ?」


 ペストは部屋をキョロキョロと見渡してアルビノを見つけた。


「あら? 寝ているの?」


 ゆっくりと足音を殺してベッドのふちに立った。アルビノは壁側を向いて寝たふりをしているのでペストからは顔が見えない。


 ペストは腰を折ってアルビノの顔を覗き込む。真っ黒な滝のような綺麗な髪がアルビノの顔にかかる。


 その瞬間に鼻孔を貫く甘い香りがした。


「あら」


 髪がアルビノにかかっている事に気が付いたペストは身体を戻す。アルビノの心臓は張り裂けそうなぐらい鼓動していた。起きている事がどうかバレませんように。早く出て行ってくれと願うが、その願いは叶う事はなかった。


 ペストはベッドにゆっくりと腰を下ろして、指の背でアルビノの真っ白な髪をなでた。自分とは正反対の色。


 黒と白。


 綺麗な髪だとペストは素直に思う。人間でここまでの白い髪は見たことがない。いったいどういったカラクリでこうなったのか研究をしたくなる性分にかられる。でもそれは出来ない。アルビノは自分の息子なのだから。


「はぁ、退屈ねぇ」


 そう言ってペストはごろんと横になった。もちろんアルビノが寝ている隣で。


 アルビノは気が気ではない。しばらくするとすやすやと寝息のようなものが聞こえてきたが、アルビノは慎重だった。


 これは罠ではないか。


 顔を壁に向けているので反対の事はわからない。身体を起こしてそちらを向けばペストが頬杖をついて口で「すやすや」と言っていそうな気がした。


 くそっ、どうすればいいんだと思っていたらペストの右腕が上から降ってきた。ビックリして声を上げそうになるがなんとか飲み込んだ。


 そのままアルビノはペストに抱き寄せられた。


 心臓は今にも爆発しそうだ。後ろ頭に寝息がかかる。自分の視界に入るのはペストの細長い綺麗な指だけだ。力なくだらんとしている。


 アルビノは意を決してペストの右手首を触って持ち上げた。反応はない。そして自分の身体から腕をどかして、身体をねじって上半身を起こしてその手の主を見た。


 綺麗な寝顔だった。真っ赤に燃える赤の瞳は見えなかった。本当に寝ている。


 無防備に。


 ベッドに下にナイフを隠していなかった事を本気で後悔した。何か代わりになる物はないかと辺りを見渡すが、そんな都合のいい物は置いてなかった。


 今魔女を殺したら自分も死ぬ可能性がある。


 そんな言葉を鵜呑みのしてしまった。この魔女を殺せるなら自分もどうなってもいいはずではないのか。


 覚悟が足らなかった。


 殺すという覚悟が。自分が大人ならこの細い首を絞めるだけでいいのだろうが、今はそうはいかない。


 心の中で毒づきながらアルビノは身体を横にした。ペストの、キセルの煙の匂いが鼻孔をくすぐった。嫌な匂いだ。この匂いを嗅ぐたびに自分はこの魔女を思い出すのだろう。


頭の中で何度も何度も後悔して殺す瞬間の事を考えていたらいつのまにか夢の中だった。


「危ないわねぇ」


 赤い瞳がスッと開いたのはアルビノが夢の中に入った直後だった。


 魔女は感覚が鋭い。本当に寝ているかどうかなど一目見れば一目瞭然だ。


「子供のすることは浅はかねぇ」


 そんなところがまた愛おしく感じて、ペストはまたアルビノを抱き寄せて今度こそ本当に眠ったのだった。








 ある日。


「……っくしゅん」


 ズルズルとハナを吸う音が聞こえた。


「アルビノ? 風邪?」


 アルビノの顔は真っ赤でハナが垂れていた。眼は虚ろで若干足がふらふらしている。


 ペストは視線を合わせてアルビノの額に手を当てようとした時。


 バシッ。


「触るなッ」


 ペストはアルビノに手を弾かれた。あまりの突然の事に呆然とするペストを見てアルビノは少し罪悪感を覚えた。


「べ、別になんともない」


 誰がどう見たって嘘だとわかる。魔女のペストには丸わかりだろう。


 アルビノは逃げるように二階の自分の部屋へと戻って行った。ベッドに屈服して目を閉じる。これはキツイ。キツイが泣きごとを言ってられない。


 身体が弱れば当然心も弱ってくる。


 前に風邪をひいて寝込んだときには母が付きっきりで看病をしてくれた。一晩中手を握っていてくれた。あの温かさは今でもよく覚えているが、それをもう一生感じる事がないのだと思ったら唐突に泣けてきた。


「……おかあさぁん」


 うつ伏せで枕を力いっぱい握りしめた。助けてくれる母親はもういない。泣いたところで解決はしないが、泣かずにはいられなかった。






 アルビノがペストに対して罪悪感を覚えた以上に、ペストは罪悪感で胸がいっぱいだった。


 我が子を風邪にしてしまった。きちんと気にかけていれば防げたのかもしれないが、何をどうすればいいのかわからない。きっとあの子は自分が看病するのを嫌がるだろう。それは先ほどの行為を見ても簡単に予想が付く。


「どうしましょうかねぇ……」


 事はもう起こってしまった。反省は後でも出来る。今は一刻も早く風邪を治すことが優先される。本来は薬を作るのは魔女の得意分野だ。だがペストの場合は逆だった。


「ウイルスをまき散らすのは得意なんだけどねぇ。治すのは苦手なのよねぇ……」


 などと泣き言もいってられない。ペストはすぐに準備へととりかかった。


「風邪、風邪……風邪を治す薬、っと」


 膨大な本の中からお目当ての文字を探し出す。


「あ~あった。これね」


 なんの材料がいるか文字を目で追う。これはある。これもある。これは――。その中で一つだけ薬草が足らなかった。しかもその薬草は夏の暑い時期にしか採れない。


「……どうしましょう」


 気は進まないが背に腹は代えられない。ペストは机に向かって紙と羽ペンを用意してスラスラと文字を書きだした。


 他の魔女が持ってないか、譲ってくれないか手紙を出そうとしているのだ。


「薬草のことなら……あの人でしょうねぇ」


 急ぎなので重要な要点だけを記して紙を丸めた。紐で縛ってペストは家の外に出る。そして辺りを見渡して目を閉じる。意識を集中させて意識だけを森全体へと飛ばした。


「いた」


 ほどなくして一羽の真っ黒なカラスがペストの元へと飛んできた。カラスは魔女の使い魔だ。手紙をカラスに運んでもらう。


「これを届けてほしいの。出来るだけ早くね」


 ペストはカラスに手紙を咥えさせると、カラスはすぐに大空へと舞った。


 あとは返事かその薬草が届くのを待つだけだ。


 それから数刻後。


 カラスの鳴き声が聞こえてペストは家の外に出た。そこには背中に荷物を乗せたカラスが一羽いた。口には手紙らしき物も加えている。魔女同時は持ちつ持たれつの関係性にある。この薬草一つで何を請求されるか、わかったもんじゃないがアルビノの為なら仕方がないと割り切った。


 まずは手紙を受け取り荷物を取り外す。


「ご苦労様。もう行っていいわよ」


 そう言われてカラスは大空へと飛び立った。


「はぁ」


 手紙を開くのをためらってしまう。でも早くこの薬草を使って薬を作らなければならない。ペストは手紙を開いて文字を自分の中に取り込む。


 手紙には端的にこう書かれていた。


『貸しじゃ。魔女集会で』


 あまり良い要求とは言えない。貸しという事はまだ相手が決めかねているという事だ。次に会うまでこのモヤモヤが継続すると思うと気が滅入る。しかも向こうはどんな要求をするか考える気満々だ。


「いやだねぇ……」


 そんな愚痴が漏れるが、自分が考えていてもどうにもならないので、ペストはこの事はいったん忘れて風邪薬を作り始めた。






 息苦しい。何かが顔から落ちた気がした。夢と現実の狭間でゆらゆらと揺れ動いているような感覚だった。果たして自分は今寝ているのだろうか、起きているのだろうか。


 身体が重い。身体を捻って動こうとするが動かなかった。特に右腕はピクリとも動かない。まるで腕がなくなってしまったかのようだった。でもそんな事はありえない。もっと現実的に例えるなら“何かに押し付けられている”ような感覚だ。


 首から上だけはかろうじて動かすことが出来そうだった。アルビノはゆっくりと頭を上げる。


「くっ……」


 そこで目にしたのは、ペストが自分の手を握りしめて眠りこけている姿だった。ベッドの横に置いてある机の上には色々な物が置いてある。器に入った水。本に怪しげな液体。それを見れば誰だってわかる。


 看病をしてくれていたのだと。


 アルビノは力なく頭を枕へと預けた。


 こいつは何がしたいのだろう。自分の両親を殺しておいて自分を助けて。まったく訳がわからない。


「……熱が下がって覚えていたら聞いてみよう」


 どんな返答が返ってくるのだろうか。自分の復讐心をかり立ててくれるとありがたいなと思いながらアルビノは静かにまた目を閉じたのだった。




 二人の手は繋がれたままだった。

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