第41話 墓の守人


 伊達政宗の正室であるめご姫の生家、田村家は豊臣秀吉の時代におとり潰しとなって、それ以来、一族は身を隠しながら生きてきた。

 しかしその田村家は今、愛姫の計らいにより白石の地で片倉を名乗り、ひっそりと暮らしているのだという。

 愛姫と縁の深かった喜多の名跡、観世音堂の管理も田村家に任されているということだ。もちろんそれは口にすることが憚られる事実だった。

 そんな話を阿菖蒲は矢内の方から聞かされ、ぽんと手を打った。

「ああ、だからあんなにも、あそこに近づけまいとしていたのですね」

 どこか呑気な阿菖蒲の声に矢内の方はため息を吐く。

「貴方という子は」

 しかし阿菖蒲はにこにこと笑いながら、矢内の方に「大丈夫です」と約束した。

「私はあのお方のことを誰かに喋ったりはいたしません。だって、私も名乗ってしまいましたもの。つまり、お互いの秘密を知っているのですから」

 矢内の方は頭が痛いといわんばかりに額を押さえた。

「どうしてそのように軽々しく」

 阿菖蒲は少し考えてから妙にきっぱりと矢内の方に言った。

「あのお方は軽々しく田村であったことを私に明かしたのではないと思います。ですから私はそれに応えたのです」

 身を隠しひっそりと生きてきた田村家の青年は、落ち延びてきた姫君の噂を聞いて、何を思ったのか。あの出会いは偶然ではないように阿菖蒲には感じられた。

 矢内の方は再びため息を吐くと、少々厳しい声で阿菖蒲に言った。

「そのことに関しては、殿に預けることにいたしましょう。貴方はしばらく外出禁止ですよ」

「はい。今後は不用意なことをしないように気を付けます」

 阿菖蒲がそう頭を下げて退出する。

 矢内の方はしばらく考えて、ぽつりと呟いた。

「これも天命、でしょうか」

 阿梅を喜多のようだと言った景綱を、矢内の方は思い出していた。

 喜多の墓を守る者と真田の姫との出会い。不思議な予感に、矢内の方は無性に景綱が眠る一本杉へと参りたくなるのだった。




 二人の出会いを知った重綱は、さっそく定廣を城に呼び出して話を聞くことにした。

「阿菖蒲に会って田村であったことを明かしたそうだな。何故そのようなことをした」

 定廣は重綱を真っ直ぐに見返して答えた。

「かの人がどんな人なのか知りたくて、明かしました。私はかねてより姫を知っていましたので」

 重綱は定廣が阿菖蒲を知っていたことにたいして驚かなかった。

「やはり、知っていて声をかけたのか」

「はい。何度か目にする機会がありましたから」

 そこで定廣はくすりと笑いを漏らした。

「しかし、思っていたより豪胆な女子でした。まさか名乗り返してくるとは」

「真田の姫だぞ。皆、気が強い。あれで阿菖蒲はまだ大人しい方だ」

「それは、また」

 大変ですね、という言葉を定廣は飲み込んだ。

 片倉小十郎重綱が、真田の遺児達をこれでもかというくらい可愛がっていることを彼は知っていた。

「それで、どうだ?」

「どう、とは」

 見定めるような重綱の視線に定廣は首を傾げる。

「阿菖蒲を知りたかった、と、そう言っただろう。知りたかったことは知れたのか?」

 定廣は「そうですね」と考え込んだ。

「知れたような、まだ知りたいような、不思議な女子です」

「金兵衛、お前、懸想けそうをしておるのではあるまいな」

 定廣はきょとんとして、それからしばらく考え、ぽつぽつと話しはじめた。

「豊臣方についていた真田様の子供達が白石にやってきたと、そうした噂を聞いて。あぁ、その子達はきっと辛かろう、と、そう思ったら気になってしまって」

 そこで定廣はまたふっと笑った。

「しかし違ったようです。あの姫君達は皆、強い。姫が笑うと、森に光がさすようでした」

 定廣のいう姫が阿菖蒲であるということを重綱は分かっていた。

「喜多様のお墓をお守りすることは私の誇りです。あの場所は私達にとっても大切な場所。お墓に参る姫を私は見ておりました」

 森はいつもひっそりとした静けさで満ちていた。だが、あの時。喜佐と阿菖蒲がお参りに来た、あの日は。

 賑やかしく、日の光がきらきらと輝いているようだった。

 定廣は姿を見せぬようにしていたが、最後に阿菖蒲が振り向いた時には胸が高鳴った。

 彼女と言葉を交わしてみたいと、彼女を知りたいと、定廣はあの時にそう思ったのだ。

「それから姫が気になって。またお参りにくるのだと知って。最初は声をかける気などなかったのですが」

「あー、金兵衛、もういい。だいたいのところは分かった」

 話の途中だったが重綱は定廣のそれを遮った。

 このままいくと、こそばゆい話を長々と聞くはめになりそうだと判断したからだ。

「だが金兵衛、一つ聞きたいことがある」

「何でしょう」

「阿菖蒲を可愛いと思うか?」

「は?」

 ぽかんとした定廣に重綱は詰め寄った。

「光のようだ、とか、なんとか言わず、率直に言えばよい」

「率直に、ですか」

「阿菖蒲を思い浮かべて、どうなんだ」

 じりじりと迫る重綱に定廣は冷や汗をかきながら考えた。

 すると自然と阿菖蒲のあのきらきらとした笑みが思い浮かぶのだ。

「か、可愛い、と、思います」

 言いながら定廣は顔が熱くなっていくことを自覚した。そこでやっと、己は確かに懸想している、とも。

 そんな顔を真っ赤にした定廣に、重綱は「ふむ」とどこか満足げに頷いた。

「なら、よし。大切にしろ」

「……………はっ!?」

 驚愕する定廣に重綱はすらりと言った。

「言葉通りだ。ただし。大切にしなかったら地獄に送られると思え」

「えぇっ!? 小十郎様!? ど、どういう意味ですっ?」

 重綱は「やれやれ」と言いながらも定廣に柔らかく笑った。

「阿菖蒲がよいと言ったなら、めとればよいということだ。正しく手順を踏めば、お前にやらんこともない、と言っている。邪魔だてもしないし、させもしない」

 定廣がごくりと喉を鳴らした。

「本気で、そのようなことをおっしゃっているのですか?」

「ああ、本気だ。お前のところならば、むしろ安心というものだ」

 定廣が片倉を裏切ることはありえない。それに重綱は定廣がどんな人物なのかも、よくよく知っているのだ。

「―――――死ぬ気で大切にいたします」

 言い切った定廣に重綱は頷いた。

「ああ。頼むぞ」

「はい!」

 この重綱の後押しに定廣が奮起したのは言うまでもない。

 数年後、二人は矢内の方が予感した通りに夫婦となる。

 そして定廣は仙台藩士として立派に働き、後に喜多の名跡を引き継ぐと、晩年には阿菖蒲と共に喜多の墓を守りながら過ごすことになるのだ。

 定廣は重綱に約束した通り、阿菖蒲の為に信繁の供養碑を作るなど、それはそれは妻を大切にしたようだ。

 喜多の墓がある滝の観世音堂よりもっと森の奥深く。隠すように田村家の墓石と真田信繁の供養碑は並んでいるのだった。












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