第21話 片倉の娘


 矢内の方の指導は連日続いた。

 だがそれはむしろ、阿梅を守る為の措置であると、三日目にしてようやく阿梅は気が付いた。初日、二日目は、ただだだ必死で周囲に気を向ける余裕がなかったのだ。

 しかしほんの少し気をつけて見れば、同じ女中勤めをしている女性達の態度はよそよそしいし、何やら囁きあう仕草をしていたりする。

(人の口には戸を立てられないもの、だもの)

 阿梅の素性が噂として広まっているのだろう。となれば、阿梅を指導する役目が矢内の方にあるのも納得できる。彼女がことさら、阿梅に厳しい理由も、だ。

 あれが真田の姫と噂され、その上、無作法者であったとするなら、周囲の目はさらに冷たくなるだろう。厳しい指導だが、矢内の方の言はけして嫌みや悪意が混じっていないことを、阿梅は感じていた。

 何より彼女はこの白石城の内部を取り仕切る女性。景綱が阿梅を受け入れた以上、それが火種になることは避けるはず。

(奥方様も難しいお立場なのだわ)

 阿梅にできることは言われた通りに振る舞うこと、教えられたことを忘れず完璧にこなすこと。

 何より、景綱に示した志を持ち続けること。

(小十郎様に仕えることは、即ち、この城で邪魔にならないこと。奥方様に恥をかかせないこと)

 阿梅のそうした態度は矢内の方の心を動かしていたのだが、そこは片倉家を内から支える彼女、悟られぬよう阿梅の指導にあたっていた。

 しかし、それを見抜いていた者が白石城内にただ一人だけ、いたのである。




 矢内の方がほとんど付きっきりで指導をする為、阿梅に気安く話しかけてくる者はいなかった。

(寂しいけれど、仕方がないこと)

 距離をおく他の女中達をちらりと見て、阿梅は心のなかでそっとため息を吐いた。そんな阿梅に。

「ちょっと貴方!」

 かん高い声がかけられた。振り向けば、阿梅より歳が下だろう少女が腕を組んで立っている。

(どなたでしょう?)

 すぐには分からなかった阿梅だったが。

「姫様! このようなところにきては、奥方様に叱られますよ!!」

 慌てる周りの女中達に、阿梅はその少女が誰なのかが分かった。

(この方が小十郎様の姫、喜佐姫様なのだわ)

 まだ幼い彼女だったが、父親譲りの整った顔立ちはいずれ深窓の美姫になるに違いないと思わせた。

 そんな彼女がまなじりもきつく阿梅を睨んでいるのだ。

(どうしましょう)

 腹を立てている気配を隠そうともしない少女に阿梅は困ってしまった。

 けれど、その阿梅の困惑も彼女は気に入らなかったようだ。

「何よ、口がきけないの? それとも何? 殿方に使うおべっかはあっても、女子に話す言葉はないとでも?」

「…………いえ、名乗りもしない方にどう言葉をかけてよいやら、迷いました。申し訳ございません」

 頭を下げて言う阿梅に彼女は怒りを爆発させた。

「私が無礼だって言いたいの!? 貴方なんか、身体を使って父上に取り入ったくせに! 私は認めないわよ!! 貴方が側室だなんて!!」

「えっ!?」

 思いもよらない言葉を投げつけられて阿梅は仰天した。

 ちなみに「身体を使って」の方ではない。それは事実だから。

「側室? え、私が?? どなたの?」

 そんな話はまったく聞かされていない。心底、話が分からないといった顔の阿梅に少女―喜佐は思い切り眉をひそめる。

「貴方のそれ、わざと?」

 阿梅は首を振った。

「嘘は申しません。私が側室に入るなど、まったく聞き覚えがありません」

 二人の姫のやり取りに周りはオロオロするばかり。しかしそこに。

「何をしているのです! 貴方達は!!」

 特大の雷が落ちた。

 この城でそんなことができる女性は一人。矢内の方が肩をいからせて二人を睨んでいた。

「申し訳ございません!」

 即座に謝罪する阿梅と違い、喜佐の方は血縁という甘えがあってか、つんと顔を反らした。

「この人が悪いのよ。失礼なことを言うから」

 阿梅は下をむくばかり。叱責を甘んじて受けようと思ったのだ。

 そんな二人の姫を見やり、矢内の方は厳しく叱った。

「双方、恥を知りなさい。このようなみっともないこと、小十郎殿の耳に入れてもよいと?」

 途端に喜佐からしゅんと勢いがなくなった。

「……………はしたない真似をしました。ごめんなさい、お祖母様」

 そんな二人に矢内の方はため息吐くと、しばらく考えてから手招きをした。

「ちょうど良い機会です。どの程度手習いができるのかを見せなさい、阿梅。喜佐、貴方もですよ」

「えぇっ! 何でこの人と!?」

 喜佐は露骨に嫌な顔をしたが矢内の方はぴしゃりと言った。

「このようなところにくる暇があるのだから、当然できているのでしょう。できないとは言わせませんよ」

「う」

 渋々ながら従う喜佐の後に阿梅も続き、二人は書机を並べることになった。

「阿梅はこちらを。喜佐は続きを写本すること。では、始め」

 阿梅はまずじっくり書き写す本を見た。美しく読みやすい書体だ。それを丁寧に書き写してゆく。

 実は阿梅は本格的な手習いを受けたことがない。父の持つ書物を灰の上に書き写しては消し、字の練習をしてきたのだ。だから、こうして筆を持ち墨でもって紙に文字を書く、ということは阿梅の憧れでもあった。

 初めこそ手間取っていた阿梅だったが、見る間に筆と墨の扱いを心得て、するすると綺麗な文字を書くようになった。

「そこまで」

 矢内の方の声に、阿梅は残念に思ったほどだ。

 喜佐は阿梅の写しを覗き込むと眉間にしわを寄せた。

「まあまあね」

「いえ、このお手本の字には遠く及びません」

 阿梅のその言葉に矢内の方が目を細めた。

「その書は小十郎殿の伯母上、喜多様が書き写されたものですよ。彼女はまこと、少納言の名に相応しい方であらせられました」

 そのような人の物であったのか、と、阿梅はまじまじと手本を眺めた。

 しかし、隣の喜佐は気に入らないようだ。

「お祖母様まで、この人の味方なのね。喜多様のご本を与えるだなんて贔屓だわ」

 阿梅は驚いた。矢内の方が贔屓しているだなんて、どうして喜佐はそんな風に言うのだろう。

「分かっているのですからね! お祖父様やお祖母様が、この人を父上の側室に入れようとしていることを」

 そう言って睨む喜佐に、矢内の方はまた一つ、ため息を吐く。

「喜佐、そのような話を不用意に口にするものではありません」

「だったら、何故、お祖母様はこの人を気にかけるの。確かに片倉より位の高い姫様だわ。けれど、この人の御父上は負けたじゃないの!」

 矢内の方の顔色がさっと変わった。

「何てことを。武将の魂を何と心得ますか! 恥ずべきことを口にしたと知りなさい!!」

 厳しい叱責に喜佐は俯いた。己でも言い過ぎたと分かっているのだろう。

 阿梅はそこにおずおずといったように口を挟んだ。

「あの、奥方様、一つだけ確認させていただきたいのですが」

「なんでしょう」

「その…………小十郎様の側室のことなのですが。小十郎様がおとりになるとおっしゃったのではない、の、ですよね?」

 矢内の方はじっと阿梅を見つめて聞いた。

「何故、そのように思うのです?」

「小十郎様がそのようなことを言うはずがないからです。そして、万が一にもそうした事態になったのなら、必ず私に告げるはず。そうしたお方だと、私は信じております」

 きっぱりと言う阿梅に矢内の方は深く頷いた。

「その通りです。あの子は貴方を側室に入れる気は毛頭ありません」

 それを聞いた阿梅は喜佐に微笑んだ。

「安心なさってください、喜佐姫様。小十郎様の奥方様は、貴方様のお母君、綾姫様だけなのですから」

「え、でも、だったら貴方は」

「私はただの女中でございます」

 喜佐の眉がだんだんと下がり、とても困ったような、弱ったような、そんな顔になった。

「その……………ごめんなさい。貴方のお父上を貶めてしまって」

「許します。こちらこそ、不安にさせてしまって、すみません」

 阿梅は喜佐の手をとって断言した。

「小十郎様は貴方様や綾姫様を悲しませるお方ではありません。私はそのような小十郎様だからこそ、誠心誠意、お仕えしたく思うのです。どうぞ喜佐姫様も、お父上を信じくださいませ」

「そんなの。信じてるに決まっているでしょ!」

 強い口調とは裏腹に、喜佐は阿梅の手を振り払いはしなかった。

 その様子にまた矢内の方の心は傾く。

(そう、小十郎殿は側室に入れるつもりはない。けれども)

 片倉家の抱える問題を、阿梅ならば打開できるのではないか、と、矢内の方は秘かに思った。だがそれも先の話だ。

 今はただ、その時に備えるのみ。

(喜佐も張り合う相手がいた方が良いようですし)

 片倉家の一人娘への影響も悪くない、となれば。矢内の方の指導は、よりいっそう熱心なものへとなってゆくのだが。

 阿梅は己を取り巻く環境の真実には、まだまだ気付く事ができずにいた。












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