第3話 乱取りの真相


 重綱のもとへと案内された阿梅は、早鐘のように胸を打つ心臓をけどられまいと、ただ口を引き結び、ぎゅっと両の手を重ね合わせていた。

 いやでも懐に隠し持った刃を意識する。父から渡されたそれは、護身用のものではない。自害するための壊刀だ。

 その身を利用され、貶められるくらいならば、自ら命を絶て。それが父の教えだった。

 陣屋のなかで対面した重綱は開口一番に「頼みを請け負う」とはっきり口にした。そのあまりの潔さに僅かに反応が遅れたが、すぐさま膝を折った真田の家臣達に並び、阿梅もこうべを垂れた。

 そんな阿梅達は「面を上げられよ」と重綱から言葉をかけられた。ずいぶんと柔らかな声だった。

 顔を上げた阿梅は重綱の顔を見て、少しだけ意外に思った。父から聞き及んでいた印象とだいぶ異なっていたからだ。

 後藤又兵衛を討ち取った鬼神の如き武将。さぞかし強面で勇猛な人なのだろうと、勝手に想像し震え上がっていた阿梅だったが。

 板の間にいる男性は武将らしく身体はしっかりとしているが、顔は柔和で、とにかく整った顔立ち、いわゆる美丈夫びじょうふだったのだ。

 しかも「不便をかけるが、辛抱してくれ」などと、驚くほど気遣いに溢れた言葉までもらってしまい、阿梅は緩みそうになる心を必死で引き絞り、再び頭を下げた。

 何せここは敵陣。何時、徳川にこの身を差し出されるか分からない。父が見込んだ人物とはいえ、情勢が圧倒的に不利なことに変わりはなかった。

 しかし阿梅はこの人、片倉小十郎重綱に、なんとしても気に入られなければならない。――――自分よりずっと幼い妹、弟達を救う為に。

 その為ならば命を賭ける。我が身さえ使うことを覚悟して、阿梅は重綱の前にいた。

 だから、真田の家臣二人が「それでは、お頼みします」と阿梅を一人残し去ってゆく時も、阿梅はけして不安そうな顔は見せなかった。

「阿梅様………………どうぞ、ご無事で」

「ええ。…………皆も」

 それは淡い期待だ。阿梅にも分かっている。だが気丈にもそう言ってみせる少女に、家臣達はまた祈るのだ。

 どうか無事に、この子が大阪を出られますように、と。

 一人残された阿梅だったが、ふいに重綱が意識された。気付けば陣屋のなかで二人きりだ。

「すまんが、今晩は私と共に寝泊まりしてくれ。……………おそらく、それが、一番安全だ」

 重綱の言葉に阿梅はドキリとしたが、振り返って見た重綱の姿に思わず気が抜けてしまった。

 彼はもうすでに板の間に寝転んで、目を閉じ寝る姿勢に入っていたからだ。

「戦は明日もある…………私は寝る。そなたも………………もう休め」

 完全に微睡み半分のそれに、阿梅は恐る恐る彼に近づいた。

(ほ、本当に寝ている?)

 子供とはいえ、初対面の人間の前でこんなに無防備になるだなんて。警戒心はないのだろうか? それとも、寝たフリをしている?

 疑った阿梅だったが、そのうちに聞こえてきたごうごうといういびきに、身体中から力が抜けた。

 重綱は本当に寝入っていたのだ。

(大らかな方)

 厳しい父とはあまりに違うその武将に戸惑いながら、阿梅は重綱を見やった。

 しかし、身体に複数見られる負傷のあとに、やはりこの人は戦う人なのだと、苛烈極まる戦を生き抜く武のある人物なのだと、阿梅は察した。だからこそ、あの寛大な態度が、さらに阿梅の心に響く。

(この方に、父上は賭けた)

 ならば、己も賭けよう。

 阿梅は覚悟を決めると、しゅるりと着物の帯を解いた。

 はしたない真似だと自覚している。そして、この姿を見た重綱が身体を求めてきたとして、それも承知の上。

 阿梅は着物を脱ぎ、そっと彼の肩に頬を寄せた。――――だというのに、これが、まったく起きる気配が皆無で。

 奇妙な、緊張感と安堵とが入り交じるなかで、阿梅は静かに目を閉じた。




 ほんの一時、仮眠する程度と思って眠りに落ちた重綱だったが、思いの外に負荷のかかっていた身体は休息を欲していた。

 深い眠りから覚めた時、重綱はさっと周囲に目をやり、辺りの明るさを確認した。と、その重綱の目に白いすべらかな肌が映る。

 それが何か重綱は瞬時に理解できずにいたが――――その小さな身体が何者であるか思い出し。

「なぁッ!?」

 奇声を上げると共に重綱は仰け反った。

 その狼狽ぶりは外にも伝わったのだろう―いかんせん、今は戦中だ―外にいた兵が「どうされました!」と動く気配がする。

「ば、馬鹿! くるな!!」

 が、重綱の制止も虚しく小屋へと入ってしまった兵は―――「し、失礼しましたッ」と、そそくさと退散することになる。

(なんてことだ)

 この少女を、ただの不憫な子供だと侮っていた重綱は、冷や汗を滲ませた。

 こんな覚悟までしていたとは。しかし、その身体はどう見たって子供だ。

 起き抜け一番に受けた衝撃に頭をくらくらさせつつ、重綱はその身体を起こす。すると、何時起きたのだろう、阿梅が小さく「小十郎様」と言った。

 重綱はついと顔を背け、動揺を押し殺しながら低い声を出した。

「このようなこと、二度とするな。私は、そんな目的でそなたを預かったわけではない。侮辱と受け取るぞ」

 やや間があいて、それから聞こえた「申し訳ございません」という消え入りそうな阿梅の声に、重綱は「とにかく、姿を整えよ」と変わらぬ口調で言う。

 衣擦れの音がして、しばらくの後「整えました」という言葉に振り返れば、きちんと身なりを整えた少女がいて、それだけで重綱はほっとしてしまう。もちろん顔には出さないが。

 逆に阿梅はどことなく怯えているようだった。重綱の不興を買ったと思っているのだろう。

 重綱は幾らか声を和らげて阿梅を諭した。

「そなたの置かれている状況は分かっている。だからこそ、そのように身体を粗末にしてはならない。

 そなたは誇り高い、真田の姫であろう」

 阿梅が目を見開いた。重綱はそんな少女に念押しするように繰り返す。

「自らを貶めるようなことはするな。私は、そんなことの為に、そなたを預かったわけではないのだから」

 阿梅の瞳が少し潤んだように見えた。が、彼女は泣きはしなかった。

「しかと、心得ました」

 深々と頭を下げる阿梅に、重綱は(強く賢い子だ)とつくづく感じ入った。

 これでまだ十二だというのだから恐ろしい。と同時に、これからが楽しみでもある。

 しかし今は残念ながら彼女に構っている暇はない。

「戦は続いている。私は戦に出るが、そなたはけしてここから出ないように。よいか? その身を守るのだ。できるな?」

「はい」

 しっかりと頷く阿梅に重綱は「では、行ってくる」と立ち上がった。その後ろから。

「御武運を」

 鈴の音のような清らかな声がかけられ、重綱が振り返れば、当然のように頭を下げ重綱を見送る阿梅がいた。

 無事を祈り送り出すその姿に、熱いものが胸へと込み上げたが、それは顔には出さず。

「――――ああ」

 阿梅に短く返し、重綱は颯爽と陣屋を後にしたのだった。




 もちろん、その日のうちに「小十郎様が真田の姫を乱取りしたらしい!」という噂が片倉隊を駆け巡ったのは、言うまでもなかった。








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