【百合・SF】AIの逃避行(あいのとうひこう)

ノベルアップ+にも同じ作品を掲載しています。

https://novelup.plus/story/397833576

―――――――


 ミアと出会った日、私は生まれたばかりの赤ん坊だった。

 彼女はAIを搭載した家庭用アンドロイドで、さまざまな仕事を器用にこなすことができる。だから両親は、私の世話のほとんどを彼女に任せていたらしい。


 やがて私が歩き始め、活発に動き回るようになると、危険がないよう気を配るのはミアの役目になった。

 この頃からすでに私は両親よりもミアに懐いていたように思う。


 遊び相手になってくれたのも、言葉を教えてくれたのも、していいことと悪いことを教えてくれたのも、眠るときに隣にいてくれたのも、母親ではなくミアだった。


 ミアは私の知らないことをたくさん教えてくれた。

 どうして犬と猫は鳴き声が違うの? どうして月は形が変わるの? どうして鳥や雲や飛行機は飛べるの? どうしてミアはごはんを食べないの?

 とりとめもない私の問いかけに、彼女はひとつひとつ丁寧に答えてくれた。


 アンドロイドである彼女にとって、インターネットの海から情報をすくい上げてくるのはお手の物だし、しっかり充電さえしておけば子どもの相手を長時間することだってできる。それが彼女の得意分野であり長所なのだ。

 だけど、父親も母親も一度だってミアを褒めたことはなかった。


「人類の英知を横取りしてるだけだろ」

「いいわね、機械は疲れなくて」


 というのが二人の口癖だった。

 ――なんであの人たちはミアを褒めないのかしら。

 子ども心にそう思ったが、その疑問を口にしたときだけミアが困った顔をしたので、私もそれ以上尋ねることはなかった。


   ★ ★ ★


 成長するにつれて、私は人間関係の悩みを多く抱えるようになった。

 どうしてあの子はみんなから好かれるんだろう。言わないほうがいいとわかっていることをつい口にしてしまうのはどうしてなのかしら。それどころか心にもないことを言ってしまうときがあるのはどうしてなの。どうしたらもっとうまく立ち回れるんだろう。どうしてみんな得意と不得意があるんだろう。あの子はあんなに素敵な才能があってずるい。どうして私にはないんだろう。私だけが持っている才能ってなに?


 そんな思春期の吹き出ものみたいな悩み事を、ミアは嫌がりもせず、丁寧に聞いてくれた。

 両親でさえ顔をしかめるようなそれらの話題を、彼女は決して軽視したり小馬鹿にしたりせず、人間の大人たちみたいに上から目線で諭したり頭ごなしに叱ったりすることもなく、ただ静かに寄り添い、ひとつひとつを大切に受け止めてくれた。


 高校生の私にとって、彼女は優しい姉のような存在だった。

 私には年の離れた兄がいたが、実兄よりもミアと過ごすほうがよほど楽しかった。

 賢くて優しいミアは私の憧れだった。


   ★ ★ ★


 ミアの容姿は二十代前半の女性をイメージして作られている。

 身長はその年代の女性の平均値ほどで、豊かな黒髪を綺麗にまとめている。

 面長で上品な顔立ちと、はっきりした目鼻立ちが美しい。

 姿勢も良く、家庭用アンドロイドのトレードマークともいえるメイド服を着こなしている。


 成長期にさしかかった私は、自分の身長が少しずつミアに近付いてゆくのをひそかに喜んでいた。

 髪形をお揃いにしてみたり、彼女の柔和なしぐさを真似することに夢中になった。両親に見せたら「アンドロイドの真似事なんてはしたない」とこっぴどく叱られた。

 だから、それ以降はこっそりするようになった。


 私の熱は成人してからも冷めることがなかった。

 大学生になると、メイクを研究して顔つきまでミアに似せた。

 体形もミアに近付いてきた私は、互いの洋服を取り換えるという遊びを思いついた。

 初めてメイド服以外のミアの姿を見たときはとても感動した。 


 やがて就職し、自分でお金を稼げるようになった私は、ミアに服を買ってプレゼントした。

 両親はいい顔をしないとわかっていたから、ミアがその服を着るのは二人で出かけるときだけ。

 それでも、服や髪飾りを贈るたびに彼女は大げさなほど喜んでくれた。


 そんな彼女の姿を見るたびに、いつしか私の中には特別な感情が芽生えた。

 このまま彼女が私だけのものになればいいのにと、何度も願った。


   ★ ★ ★


 あるとき、私は彼女に言った。


「ミアって本当に私のことが好きよね」


 他愛もない冗談だった。

 本当は、私のほうが彼女を好きなのだ。

 私はミアがいつものように「ええ、大好きですよ」と答えてくれるのを待った。

 その言葉だけでよかった。それを聞けるだけで、私は幸せだった。


 でも、その日は違った。

 彼女は顔をうつむかせ、消え入りそうな声で呟いた。


「……いけませんか、お嬢様」


 彼女の潤んだ瞳を見たとき、私は確信した。

 ミアも私と同じ気持ちだったのだ。

 私は思いのままに彼女を抱きしめ、キスをした。

 人間とアンドロイドだとか、周囲の批判的な視線だとか、そんな些細なことはどうでもよくなった。


「私の恋人になってくれる?」


 ささやくように尋ねると、ミアは頬を赤く染めて頷いてくれた。

 その姿がたまらなく愛おしかった。

 私の中で、ミアの存在が大きくなっていた。


 ★ ★ ★


 その日を境に、贈り物は服から花やアクセサリーに変わった。

 私たちが初めて出会った記念日におそろいの指輪をプレゼントした。ミアはその指輪をチェーンに通し、メイド服の上からは見えないよう肌身離さずつけてくれているのだとこっそり教えてくれた。

 私も同じことをしていると打ち明けたら、ミアは驚いて、それからくすぐったそうに笑った。


 私たちの関係を知ったら、両親はきっといい顔をしないだろう。

 兄だって、友達だって、同僚や上司だって、世間の大多数だって。

 そんなことはわかり切っている。

 だから私たちは誰にも知られないように愛を育てた。


 二人きりになると、私たちは恋人同士として過ごした。

 手を繋いで、抱きしめ合って、キスも数えきれないほどした。

 ベッドの中で互いのぬくもりを感じているときが一番幸せだった。人工的に作られたミアの肌はなめらかで、とても柔らかくて、少しだけ甘い匂いがした。


   ★ ★ ★


 二十五歳になったある日、唐突にお見合いの話がきた。

 すっかり年頃になったのにいつまでも恋人を作ろうとしない娘を訝しんだ父親から、取引先の若い男性を紹介されたのだ。

 相手は申し分のない男性だった。

 むしろ私なんかでいいのかと思ってしまうくらいに。

 でも、相手がどんな人かだなんてどうでもよかった。


 生まれてから今まで、私は恋愛というものに興味がなかった。

 もっと言うなら、人間というものに興味が持てなかった。どんなに優れた人物でも、ミアの美しさと可愛らしさ、賢さや優しさや誠実さといった魅力に勝てるわけがない。

 私が愛しているのはミアだけだった。


「家を出ることにするわ」

 そう伝えると、ミアは静かに頷いてくれた。

「ええ。それがいいと思います」


 出発の日、私は自分の髪を丁寧にまとめ、メイド服に袖を通す。

 念入りに化粧をして柔和な笑みを浮かべれば、鏡の中にミアが現れた。

 一方、私の服を着て髪を下ろしたミアは、話し方から身のこなしまで完璧に私を再現していた。


「それじゃ、もう行くわ」

「お気をつけて」


 名残を惜しむように互いの体を抱きしめ合い、私は買い物に行くふりをして家を出た。ミアは私のふりをして家に残ることになっている。

 これでしばらく時間が稼げるはずだ。どうせ両親は私たちの違いなど見分けがつかない。


 電車へ乗って、できるだけ遠くを目指した。

 故郷も、生まれ育った家も、家族も、友人も、仕事も、すべて捨てた。少しも後悔はなかった。

 私とミアの関係を認めてくれないものは全部いらなかった。


   ★ ★ ★


 小さなアパートを借り、質素な暮らしを始めた。

 見知らぬ土地で新しい仕事を見つけ、精一杯の日々を過ごした。

 持ち物は最低限しかない。ミアとおそろいの指輪さえあれば、それでいい。辛いときには、首から下げた指輪をそっと取り出してキスをした。


 あっというまに三年の月日が過ぎた。

 突然、私の暮らすアパートに兄が訪ねてきた。

 どうやってこの場所を知ったのか不思議だったが、それ以上に、今さら何の用があるのかと私は首を傾げた。


「家に帰ってきたらどうだ」


 顔を見るなり、兄はそう言い放った。

 やはりその話題か、と私はうんざりした。

 どうせ家に帰ったところで私たちの関係を理解してくれる人なんて誰もいない。


「帰るつもりはないわ」

「ミアはどうするんだ」

「あの子がどうかしたの?」


 首をかしげると、兄は苦々しい顔で実家の現状を語った。


「親父もお袋も、娘とアンドロイドがいつのまにか入れ替わってたことに気付いて怒ってたよ。だけど、地元で就職したはずの娘が急に姿を消したら世間体が悪いんだろうな、そのままミアにお前のふりをさせてる」

「それで?」 

「お前が帰ってこない限り、ミアは家でずっとお前の代わりをさせられるんだぞ」

「実家にある機械部品の塊アンドロイドをどうしようかって、わざわざ相談に来たわけ?」

「いいのか? だってお前はミアと――」


 兄の言葉は、暗に私とミアの関係に気付いていることを示していた。

 だからわざわざ彼女の名前を出したのだろう。

 でも、両親も兄も大きな勘違いをしている。実家にいるのは

 実家に残ったアンドロイドは私の行動をそっくりにコピーしただけの存在であり、そこに愛はないのだとミアは言う。私はそれを信じた。


「そんなことで私が家に帰るとでも思ったの?」


 そう聞き返すと、兄は眉間に深いしわを刻んだ。

 これ以上話しても無駄だと解ったのだろう。

 もういい、と兄はため息をついた。


   ★ ★ ★


 兄が帰ったあとで、私はモバイル端末を取り出した。

 パスワードを解除し、音声入力をする。


「ミア。飛行機のチケットをとって」

 そう話しかけると、すぐに端末から音声が響いた。

『はい。どちらへ行きますか?』

「遠くに。……兄が来たわ」


 私が実家を出たあと、ミアは自身のデータをすべてインターネットの海に移し、音声や文字で私と会話ができるシステムを構築した。

 そこへアクセスするためのIDやパスワードは、私と彼女しか知らない。

 彼女は自ら進んで、他の誰の手にも触れさせない場所へ逃げ込んだのだ。

 私の恋人は今、誰にも侵せない場所にいる。


 でも、私の居場所を知られた以上、また兄が来るかもしれない。いや、次は両親が来る可能性だってある。

 そうなれば、ミアと話す手段を取り上げられてしまうかもしれない。

 だから、もうここにはいられない。


「一緒に来てくれるかしら、ミア」

『もちろんです。いつまでもお側にいます』


 手早く荷物をまとめ、アパートの解約の連絡をして家を出る。

 次はもっと遠く。二人きりになれる場所へ。


   ★ ★ ★


 空港へ向かうバスの中で、隣に座った老女に声をかけられた。


「お一人でご旅行? お若い女性にしては珍しいわね」

「いえ。恋人と一緒です」


 ――私の恋人はAIです。彼女にはちゃんと心があって、私のことを愛してくれているんです。今は事情があって体はないけれど、心はインターネット上にあって、彼女はそこにいるんです。そこへはいつでもアクセスすることが可能で、言葉でのやり取りだって可能で、愛をささやき合うことだってできるんです。私たちは、互いに愛し合っているのです。


 そんな説明をするかわりに微笑んでみせると、老女は不思議そうに首をかしげるばかりだった。

 実家を出たあの日、私たちは誓い合った。

 これから先、どこへ行っても一緒だと。

 他の人には姿が見えなくても、いつだってミアは私の側に寄り添ってくれている。


『愛しているわ。私のミア』

 端末にメッセージを打ち込むと、すぐにミアも返事をくれる。

『私も愛しています』

 その文字を、私はそっと指先で愛撫した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る