第10話 悪果が実る

「神崎くん! 無事!? ハクは? ハクが来たんでしょう?!」

「た、瀧本……? なんで……」


 なぜあかりが突然現れたのかとタケルは驚いた。一瞬、彼女も魔物の類だったのかという思いがかすめたが、汗を光らせ肩で息をし心配げに自分を見ていることに気付くと、ふっと力が抜けた。

 あかりは、学校を飛び出した自分を追いかけてきてくれたのだ。タケルは情けなく目尻を下げた。


「ありがとう。無事、かも。あの腕輪のおかげで……」


 金網に磔にされたハクを指さした。

 あかりはタケルからそちらへ視線を移し、小さく頷いた。


「……そう、みたいね」


 無事だという言葉に頷きはしたが、あかりの表情は固いままだった。じっとハクを睨みつけている。

 ぐったりとして動かない魔物の体からは、ゆるゆると白煙が昇り続けていた。


「でも、安心はできないわ」


 タケルもこれでハクを倒せたとは思っていなかったが、あかりに言われるとやはりそうなのかと、少し落胆してしまうのだった。

 あかりはゆっくりとハクに近づいていく。そしてカバンの中からじゃらじゃらと長い鎖を取り出し、大胆にもハクの首にサッと巻きつけた。その鎖にはアクセサリーやフォーク、スプーンが大量にぶら下がっている。多分それらは銀製品なのだろう。

 途端にハクが目を剥き、悲鳴を上げた。


「ガアァァ!!! やめろぉ! あかりぃぃぃぃ!!」


 ハクが絶叫し、その体がビクンビクンと痙攣する。白煙が増した。

 苦悶の声を発しながら、怨念のこもった目であかりを睨んでいた。だがあかりが怯むことはなかった。鎖を更にぐるぐると巻きつけ、ハクを金網に固定してしまったのだ。

 そして、タケルが投げた銀の腕輪をゆっくりと拾い上げ、拘束され苦しみ悶える魔物を静かに見下ろすのだった。


 タケルは声も出せずにその様子を見つめていた。

 このあかりという少女は、勇敢だとか度胸があるとか言うよりも、まるで恐怖心そのものが欠落しているのでは無いかと思ってしまう。


「神崎くんに二度と手出ししないで」


 ハクは気絶してしまったのか、項垂れたまま何も答えなかった。

 あかりは少し眉をしかめてから、タケルのもとに戻ってきた。そして、腕輪を差し出した。また持っておけということのようだ。

 彼女の意図はわかったのだが、あまりの出来事に脱力してしまったタケルは動けずにいた。

 するとあかりはタケルの手を取り、そっと腕輪をはめてくれたのだった。


「もう大丈夫だから」


 タケルの手を握り、にっこりと笑う。

 温かい手だった。そして優しい笑顔だった。つい今しがた、全くの無表情でハクを拘束したのが嘘のようだ。


「行きましょう」


 ゆっくりと時間をかけて立ち上がったタケルの手を、あかりがそっと握った。そして、導くように歩き出したのだった。






 二人はファストフード店で、向い合って座っていた。

 店内は客でいっぱいだった。賑やかな話し声が幾重にも重なって、BGMもよく聞こえない。


「食べないの?」


 あかりはハンバーガーにかじりつきながら聞いた。

 タケルはさっきからずっと、うつむいたままだ。恥かしかったのだ。女の子に助けられ、女の子に手を引いてもらってここまで来たことが。


「相当ショック受けたみたいだし、食欲なくてもしかたないわね」


 あかりは平然と、またパクリとかぶりつく。

 それを見るとますます恥ずかしくなり、タケルは落ち込んだ。そのくせ、さっき握ったあかりの手の暖かさを思い出すと胸が熱くなってしまう。

 小さく首を振って、聞きたいと思っていた質問を口にした。


「アレって一体何なんだ?」

「難しい質問ね。……本当、何なのかしら……上手く言えないかも」


 そう言いながらも、あかりは自分が知っている限りのことを、丁寧に話してくれたのだった。

 妖精を自称しているハクのような、人ではない生き物は確かに存在している。彼らには多種多様な種族があり、人間に害をなすものもいれば、恩恵を与えるものいるらしい。

 共通しているのは、超自然的な能力を持っているということ、常に人との関わりを持っているということだった。人間の方ではそれと気付くことは少なかったが。

 彼らは、人間の傍らにいつもいる。世界中のどこにでもいる。今もどこかから覗いているのかもしれない。

 世界各地の伝説になっている妖精や精霊、妖怪、妖魔の元になったのは彼らなのだ。


 タケルは、トキがバクと呼ばれたこともあると言っていたのを思い出す。バクならば、確かに害はないように思えた。

 しかし、同じように悪夢を食べるといっても、ハクはトキと違って遙かに邪悪なもののようだ。自らを妖精などと言っていたが、やはり妖魔と呼ぶのがふさわしい。


 あかりの話では、人知を超えた超自然的な能力を持つ彼らにも弱点があるらしい。ハクの種に限って言えば、それは銀だった。それは、タケルが自分の目で確認した通りだ。


「なんで、銀に弱いんだ?」

「さあ。それは分からないけど、アイツにとっては銀が人間にとっての毒と同じ意味を持つのは確かね」


 あかりは淡々と話を続ける。

 食の進まないタケルをよそに、ハンバーガーを食べきりポテトをつまみながら。どんな神経をしてるんだと、半ば呆れ気味にタケルが自分のバーガーを半分に割って差し出すと、あかりはクスリと笑って受け取った。


 そして次の話題に移った。ハクが食べたいと言っていた悪果のことだ。

 人の心の中に育つ木は誰もが持っているもので、精神のエネルギーのようなものだという。それは小さな種から育ち、枝葉を広げて成長し実をつける。

 種とは一つの行動であり、言葉であり、物事のきっかけとなる事柄。その種は、宿主の感情を栄養にしながら大きくなっていく。

 ある一つのきっかけが、ある一つの結果を実らせる。

 時間をかけて育つ木もあれば、あっという間に成長して実をつけるものある。

 一人の人間の中に、何本も生えることはめずらしいことではないし、育つ過程で様々な影響を受けて形状を変化させもする。そして実る果実も様々だ。

 木も実も、それを宿す人間自身でもあった。


「アイツが食べているのは、簡単に言えば人間の心なのよ。アイツは悪果と呼んでいるけど。心の闇の結晶、なのかしら。妬み、裏切り、憎しみ、怒り……あらゆる陰の感情の詰まった心の結晶ね……。もちろん、愛や慈しみといった陽の感情が成長して、実ることだってあるのよ。当たり前よね。人間の心は悪だけで出来ている訳じゃないんだから。善意もちゃんと実るのよ。ただアイツが食べるのは悪果だけ。ホント、悪趣味だわ」


 あかりは、嫌悪をあらわにして言った。


「悪果……アイツに心を喰われること自体が、悪果つまり最悪の結果よね。醜い心を持ってしまったがゆえの、悪因悪果」


 なんだか小難しい話になってきたなと思いつつ、タケルは必死で理解しようとした。


「つまり、オレは、あいつに心を喰われそうになってたってことか?」

「そういうことね」

「あいつ、オレにはまだ実がなってないから、代わりを差し出せって言ったんだ。取引しようって。そうしたら、オレのことは喰わないからって」

「それで? なんて返事したの?」

「……わかったって、頷いた」

「早まったわね。……気持ちはわかるけど」


 あかりは急に身を乗り出し、手のひらをタケルの胸に軽く当てた。

 驚いて、タケルは立ち上がりそうになった。


「少し動かないで」


 あかりは、軽く目を閉じて静かに言った。


「ヤダ。もう育っちゃったみたいね……」


 タケルの胸から手を離した。困ったような顔をしていた。


「そ、育っちゃったって、その実のこと?」

「自分でも見てご覧なさいよ。自分の内側にしっかりと目を向けて。今の神崎くんなら見えるんじゃない?」

「え……自分で見えるもんなのか?」


 タケルは戸惑い気味に、胸に拳を当てて目を瞑った。周囲の雑音や、あかりのことが気になって全く集中は出来なかったが。

 あかりはため息まじりに呟いた。


「常套手段よ。アイツはあなたを惑わし取引を持ちかけることで、心を負の方向に傾けたの。他人を利用してやろうっていう悪意を生じさせるためにね。そして、その黒く濁った心を、悪果を食べるの……」

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