第39話 北の友人(三)

 季節が冬に変わると、北の大地は南のユークレースとは比べ物にならないほど冷え込む。騎乗して進めば吹く風は鞭打つような痛みを頬に与え、舞い落ちる粉雪が馬の背中に置いた手袋の上で結晶を見せる。

「平地だからましとはいっても、辛かったら言って。馬車だったらもっと快適だっただろうけど」

「いえ、大丈夫です。馬車でしたら足が遅くなりますから」

 アネモスの呼びかけに、横に並んだクエルクスが風の音に負けぬよう声を張って答えた。後ろからはヒュートスとほか二人の近衛隊員の馬が雪を踏み、鼻を震わせる音がする。ラピスは風で後ろにずれかかった頭の覆いを被り直し、自分の後ろで手綱を取るアネモスの方へ振り返る。

「それより本当に良かったのですか? 近衛団の第一部隊がトーナ女王陛下のお側を離れるなんて」

「ああ、それは大丈夫。第二部隊もいるから。第一、第二なんて言うけれどトーナ近衛団の上位二部隊の実力は変わらないし」

 第一部隊を同行させるのがユークレースに対する陛下のお気持ちなのだと、アネモスはラピスを安心させるように切長の目を優しく細めた。

 トーナ国境の街ジノーネを出て、もう何日か経つ。近衛団の任務という名目を立て、途中の街で何回か馬替えができたおかげで、雪空の多い冬の天候の割に一行の旅足は早く、トーナを縦断し秋の国へ至るまでの道程は当初の予定よりずっと順調に進んだ。

 クエルクスがトーナ女王に申し出た内容は、外国に対する依頼として常識的に見れば度を超えたものだった。危険を伴う旅であるのは目に見えており、それを勝手に入ってきた他国の王女のために行えというのは極めて無礼に当たる。

 ところが、トーナ女王は躊躇いなく快諾した。よほど生前のユークレース王后ラズルと懇意だったのだろう。第一部隊をつけると、その場でアネモスに命を下したのだ。

 彼女の決定に驚き異を唱えたのはむしろラピスの方だった。いくら深い友情があるからといって、自分たちは非礼を働き勝手に入ってきただけでも許されるはずはないのに、その他国の王女が何が起こるか分からない未踏の地へ赴くのに、国家の精鋭を護衛につけてもらうなど有り得ない。トーナ女王の厚意は身に余る光栄だが、ユークレースの国を背負うべき者として、自国の問題に関しそこまで頼ることはユークレースの道義に悖る——そう述べて頑なに申し出を受けいれようとしなかった。

 しかしクエルクスも引かなかった。またパニアの刺客が来たらどうするのか、クエルクスが倒れたら逃げ切れるのか、それともラピスが自分で自分を守れるとでも言うのか、と愉した。これまでに見たこともない冷ややかなクエルクスの反応にラピスは言葉に窮し、渋々ながらも承諾したのだ。

 そして実際、クエルクスの説得は正しかった。

「まぁ、呆れるほど奴らもしつこいよね」

「え?」

 ラピスが疑問の目を向けると、アネモスは「ちょっと持っててね」とラピスの手に手綱を握らせ、弓を手に上体を真っ直ぐに伸ばした。そして背中の矢筒に手を回し、流れるような仕草で右後方の草むらへ矢を放つ。すると低い呻き声と共に下枝が重い物に折れる音がたった。

「ヒュートス?」

「うん、顔はパニアかな。商人風にしてるけど」

 首を後ろに回してヒュートスが確認すると、草むらから烏が一声高く啼いて上方へ飛び上がった。黒い羽根が舞うのを見上げ、クエルクスも付け足す。

「間違いない。こいつが言うにはパニアみたいですよ」

 アネモスは弓を担ぎ直してラピスから手綱を受け取ると、紅を差した唇を皮肉な笑みの形にする。

「軽症で見逃してあげるからさっさと帰れば。あんたの主人に口説き方学んでこいって伝えなよ」

 ひらひらと片手を振りながら叫ぶと、アネモスは茫然と口を開けているラピスに「しつこい男は嫌だよね」と笑いかけた。後ろでヒュートスが「国に伝えに行く前にうちの兵が捕らえるけどな」と呟き、最後尾に走る近衛隊員の一人に賊の始末を命じて道を戻らせる。

 刺客が来たのはこれが初めてではない。国境のジノーネを出てから北上する間、すでに二回、パニアからの追っ手らしき者を始末した。といってもどちらもヒュートスかアネモスが鮮やかなまでに素早く動きを封じ、近場の街の警備隊に預けてしまったので剣を交えるまでにもならなかった。今のように鳥獣が伴うこともあったが、それらもクエルクスによって軽い傷を負わされると一目散に逃げていった。

 ただこれがクエルクス一人であったなら、獣か人間かどちらかの相手で手一杯だったろうし、そもそもラピスを庇いながら刺客の相手をするには限界がある。近衛団の手練れに囲まれ彼らの動きを見ていれば、ラピスにも二人だけで進むと言った自分の考えの浅はかさがよくよく分かった。

 利点はそれだけではなかった。まず一つには、地理的知識がラピスたちと近衛団では格段に違うため、最も適切な経路を選べたということである。特に冬が続いているいま、雪道になっても比較的楽な道を進めているのは重要だった。

 もう一つはなんといっても近衛団という肩書きの持つ威力である。これまで通りのユークレースの旅券であると、勅使とはいえやはり若い二人相手には検問の役人も懐疑の目を向けた。しかし国王の近衛部隊一行となれば、アネモスたちが徽章を掲げ見せるだけで誰も何も言わずに検問を通したし、宿の扉を叩けば優遇された。おかげでトーナ国内は驚くほど速く北上でき、間も無くして秋の国へ辿り着くところまで来ていた。

 しかし精鋭の力を借りたこの安全な足の運びも、もう長くはない。

 近衛部隊が随伴するという申し出を受けるにあたり、ラピスは一つだけ条件を出したのである。

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