第35話 夜の剣戟(三)
キイィン……
高い音が木霊し駆け込んできた者たちの動きが止まる。
扉から乱入してきたのは三人。狭い廊に成人の男が並んで通れるだけの幅などない。クエルクスは先頭の男の斬撃を止めると、相手の剣を抑えた力で弾みをつけ、軽く後方へ跳んで身を屈めた。打ち合った剣が離れて相手の男が体の支えを失ったところにすかさず踏み込み、頭から鳩尾に突っ込む。急所を打たれた男の体が後ろへ傾ぐと、背後に控えた男が体勢を崩した。そこへ間髪入れずに突きを繰り出し、男の腕を叩いて得物を落とす。男が痛みに悲鳴を上げている隙にクエルクスは一人目の男の体を蹴り倒した。後方へ雪崩れかかる男の体に押されて二人もろとも床に倒れ込む。その僅か数秒もない間にクエルクスは床を蹴り、三人目の男へ向かって刃筋を立てた。
しかし相手の動きの方が今一歩、早かった。クエルクスの剣は空を切り、同じ瞬間に刃鳴りとともに左方から男の太刀が切り込む。
「……なるほど速いな」
すんでのところでクエルクスは太刀筋を躱して跳び、右から撃ち込んだ。それを止め、男は逆にクエルクスの剣に凄まじい力を加えていく。その重圧にクエルクスの顔が歪んだのを見て、男は笑いを含んで低く言った。
「さすが、ただ一人で姫を攫い出すことはある」
「なんだ……と?」
思いもよらぬ言葉にクエルクスの力がほんの刹那だけ緩んだ隙に、刃音が鳴るか鳴らないかのあと、鋭い切先が首筋に当てられた。
「だがここまでだな。ラピス姫を解放してもらおうか」
男が半眼になり、手首の筋が微かに動いた——その時である。
「待ちなさい!」
突然、クエルクスの背後から高い声が響いた。
「私がそのラピスです。私の従者たるその者から今すぐ剣を離しなさい!」
「はっ⁉︎」
凛と響いた言葉に男は素っ頓狂な声を出し、その一瞬にクエルクスは男の剣先から逃れて間をとった。支点を失った男は体の均衡を崩して膝と手を突き、剣を離して顔を上げる。
「この者は……従者?」
「そうです。一体、何をもってそのような言葉を述べ、何が理由で私たちを襲うなどと」
ラピスは短剣を持った腕を降ろして背筋を伸ばして立ち、クエルクスの横に進み出た。後ろでは宿の女主人が口を半開きにし、呆気に取られてラピスを見つめている。
「も、申し訳ございませんっ!」
男は狼狽しながらも慌てて姿勢を正して片膝をつくと、胸の前で腕を床と水平に掲げた。
「自分はトーナ王室近衛団第一部隊副長を務めております者です!」
「王室⁉︎」
うわずった声は女主人のものだ。確かに男の姿勢は、トーナ王宮の正式礼だ。男は頷いて続けた。
「ラピス王女保護の命を受け参りましたが、とんだご無礼を!」
「全くだわ」
男の背後から、張りのある澄んだ声が響いた。男が振り返るのと一緒にラピスとクエルクスもその方向を見ると、長剣を携えた女性が立っていた。一つに結んだ暗めの銀髪が戸外の明かりに照らされて煌めく。籠手を着けた手からは白い指が覗き、手首がしなやかに柄を操り剣を鞘に収める。
「だってラピス王女は男と一緒だから保護しろってアネモスが」
「誰がその男性が賊だと言ったのよ、ヒュートス。大体、外の奴等の動きを見れば王女を狙っているのは誰かわかるでしょう」
見上げて抗議するヒュートスを、女性は目を細くして見下ろし、「まぁ外は片付いたからいいけれど」と呟いた。長い髪をさらりと揺らし、クエルクスとラピスの方へ向き直る。
「この盆暗が失礼致しました。申し遅れました。わたくしはトーナ王室近衛団第一部隊長を勤めております」
アネモスと呼ばれた女性は剣の柄を二人の方へ向けた。そこには確かに、百合の花と十字が組み合わされた徽章——トーナの国章がある。
「先にこの宿を囲んでいた不貞の輩どもは、間違いなくパニアより侵入した賊です」
「パニア……」
「お心当たりがあるようですね?」
ラピスの瑠璃の瞳が見開き肩が緊張で強張るのを、アネモスは見逃さなかった。そして、粛然とした表情を和らげて微笑む。
「御安心ください。奴等は全て捕らえましたから。わたくしは陛下よりラピス王女をお連れするよう拝命しております。陛下がお待ちです。どうぞ従者殿と共に御足労をお願い申し上げます」
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