ドラマ

伊ノ守 静

第1話

 19時過ぎ、吉祥寺の駅のホームで私は電車を待っていた。すると駅員のアナウンスが聞こえて来る。

「先程荻窪駅にて人身事故があり、電車が停車しております。復興の目処は現在立っておりません。」

周囲からは溜息と悪態が漏れる。背広を着たサラリイマンのしかめ面や学生の嗤い声がホームを満たしていた。私は突然の手持ち無沙汰の為に携帯の画面を眺め、snsで「荻窪 人身事故」と検索をかけていた。そこにあった書込みの大半は帰りが遅くなるだとか電車が混みそうだとか、そんなような事だったが丁度荻窪駅に居合わせた人の投稿で現場の写真が載せてあるものがあった。どうやらホームから線路に向かって飛び込み自殺を図ったようだった。ブルーシートが周囲を囲んで、その中で係員が死体を運んでいた。反対側のホームから撮られた写真には僅かながら死体の革靴を履いた足が映し出されていた。しばらく経った後にその死体が20代前半のサラリイマンである事が分かった。その時、私はふといやらしい空想をした。


 高校卒業と共に田舎から東京の大学へと進学した彼は雑多な街や人々に戸惑いながらも眩しくて恥ずかしいような学生生活を過ごした。電車の本数に、駅の人の多さに驚き、都心の煌びやかな街並みに胸を弾ませ、バイトで貯めた金で買った真新しい服と香水を着けて大学に通った。気付けば四年が過ぎ、大学を卒業して中小企業へ就職した。生真面目な性格であった彼は就職活動がなかなか上手くいかず、やっとのことで内定を貰えた企業に入ったのだが、業績をシビアに求められる営業職ではその生真面目さが故に半ば押し込むような態度を取れない彼は社内で軽蔑されはじめていた。朝早く起きて朝食も食べずに会社へと向かう。朝礼では言いたくもない社是を真面目腐った顔で言い、上司の罵声を浴びながら営業へ行く。同僚は浅薄でくだらない人間ばかりだ。この間抱いた女の話だとか営業先の受付が綺麗だとか、そんなことばかりを話す。仕事が終わればキャバクラだ風俗だとまるで猿みたいだ。しかし、上司はそんな彼らを評価する。口先ばかりで丸め込んで仕事をとってくるような人間を評価する。彼はというと、会社に戻れば「また今日も時間を浪費したのか、穀潰し」だと罵られ、今日に至っては「もう来なくていい」と言い捨てられた。何がいけないのだろう。何が間違っているのだろう。僕は誠実に生きているつもりだ。怠けてなどいない。人を欺いてなどいない。真摯に向き合い、公平にものを述べているつもりだ。でも、僕はこの社会にとって価値は無い。純心は美徳であるはずなのに、此処では何の輝きも無くくすんでいる。彼は故郷を想う。父を亡くし、一人残して来た母を想う。もう要らないと言ったのに、毎月送られてくる僅かな仕送りと手紙。返事はしない。する時間がない。そう言い訳をする。大丈夫だよ、こっちは元気に生活してるよ。何度手紙を書こうと思ったか分からない。けれどその度に、手が震え文字がよれてぐしゃぐしゃになってしまう。僕が一体何をしたというのだろう。自分の弱さを知っているからこそ、涙も出ない。間違っているのは自分なのだろうか。その答えを知っているから、怖くて考えるのを止める。

 会社を出て駅に向かう。19時過ぎ。ホームのスピーカーから駅員のアナウンスが流れる。

「まもなく特急列車が通過いたします。黄色い線の内側まで下がってお待ち下さい。」

僕は足を踏み出す。一歩、二歩。止まらない。もう、止められない。


 そこまで想像して私は嫌気がさした。まるでお涙頂戴の安っぽいドラマだ。本当にくだらない。こんなもの、ただ感傷に浸りたいだけのエゴだ。この街では周囲の舌打ちが、苛立ちが正当なのだ。此処にいる誰もが間違ってなんかいない。心ない非人間なんていない。ただ、忙しないだけなのだ。

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ドラマ 伊ノ守 静 @sei_anemone

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