第23話 リーダー殿は、どういう顔をしていいのか一瞬困った。

 明るかったので、意識が覚めた。

 ひどく身体がだるい、とFAVは思った。

 いつもなら寝起きはいい筈なのに目が開かない。月ごとの客の日ではないのに…… と、手足をとりあえず伸ばしてみる。


 ―――あれ。


 その時肌に当たる感触がいつもと違うのに気付く。


 あ。


 嫌な予感がして、おそるおそる目を開けた。どんぐり目が自分を見ていた。心臓がばくん、と音を立てたので慌てて毛布の中に引っ込んだ。


「あららら。せっかく目が開いたのになあ」


 TEARは上半身を起こしながら残念がる。そうっとFAVは見つからないように自分の横にいる相手を見る。そして思う。


 ずるい。


 相手はタンクトップをつけていた。

 この様子だと、自分よりずっと早く目が覚めていたに違いない。そしておそらく自分の寝ている様を見ていたのだろう。

 何となく悔しい。


「また寝ちゃうの?」

「あー触るなっ」


 毛布の端を持って開けようとするのをFAVは必死で止めようとする。だが外で開ける方の人間の方が優位にある。ひらりと開けて、


「おはよー」

「……」


 実に平然とTEARは言う。まるで当たり前の朝のようだ。

 仕方無しFAVは身体を起こす。だがやはり目が半分開かない。

 ものすごくだるい。

 何でこんなだるいのか、その理由を考えるのがとても怖いような気がするが。真正面でTEARはまだ半分ぼーっとしているFAVの頭を撫でながら。


「あーあ髪くちゃくちゃ」

「こんなもんだよいつも」

「大爆発しとるよ」

「知らんわ」


 寝起きの声は普段の喋り声より半オクターヴ、トーンが落ちる。

 FAVはのそのそと手を伸ばし、その辺にあるのではなかろうかと思われるシャツを探す。

 と、その手をTEARに止められる。


「何するよ」

「まだ勿体ないじゃん」

「何が」


 言いかけて、自分の身体に目を落とす。そしてその瞬間顔に血が上った。目が全部開いた。

 幾つもの朱が散っている。


「綺麗じゃない」

「おい」

「だって昨夜はそうまじまじと見られなかったじゃない」

「不公平」

「不公平?」

「あんたばっかりもう着替えちゃって」

「お望みなら脱ごうか?」


 そう言ってTEARはぱっとつけていたタンクトップを脱ぎ捨てる。

 しなやかに筋肉がついた腕に続いて、意外に白い、豊かな胸が広がる。そこにはやはり朱が散っている。

 ちょっと待て、とFAVは自分に問いかける。

 どうやら自分は相手のことをあれこれ言える立場ではないらしい。いくら相手が上手くとも下手でも、自分の胸に朱を散らすことはできない。


 とすると。


 酔わない程度とは言え、アルコールが入っていたのは事実。

 それに相手が何かとつぶやく言葉に酔ってしまったのも事実。

 あのアルトの声が耳元でひたすら囁く言葉に頭の芯がくらくらしてしまったのも。

 そしてどうした? そこからほとんど記憶がない。


「あたし何した?」

「はて」


 TEARはすっと手を伸ばした。そのまま引き寄せる。


「知りたい?」

「ちょっと待て」

「こうゆうこととか」

「ん―――」


 あっと言う間に唇を塞がれる。

 FAVはもがこうとするが、頭の中がまだぼんやりしていたので、もがいているつもりでも、していないことに気付いた。

 そして妙に相手に触れている場所が暖かくて柔らかくて、気持ちいいので、頭の芯がぼぅっとなる。

 相手の手が、首の後ろからかきあげるように髪の間に入ってくると、ぞくりとした感触が背筋を伝う。頭の芯がぐるぐると―――



 そして次に気がついた時には―――

 目に入った空が非常に綺麗だった。

 もう光が直接差し込む時間ではなかった。夕暮れの色をしていた。


「はい?」


 それに気付いた時FAVは慌てて飛び起きた。そして視界に入ったものを見て、今度は意識がはっきりした。


「今何時!」


 時計の針は既に五時半を指していた。テーブルの上に開けていないビールの缶が置いてある。そしてその下に手紙があった。


『バイトあるんで行きます。また後で T』


 ……


 また後で。


 ……ということは、HISAKAのところでまた会おうということだろうか。

 FAVはん、と大きく伸びをした。

 途端にお腹が鳴る。

 その時、昨夜からビール以外口にしていないことに気付いた。

 のそのそと起きあがってシャツを羽織ってベッドの下に降りると、ひどく腰がだるい。

 生理の時のようだ、おかしいな、とFAVは思う。

 今までこんなことはなかったのに。イキの時だって朝はいつもの通り起きられたのに。

 翌朝(朝ではないが)こんなに疲れることなんて。

 くくく、と笑うベースの女の表情が浮かぶ。

 冷蔵庫を開けると、昨夜持ち込んだ持ち手の取れたコンビニの袋がそのまま入っていた。

 何かあるかな、と見ると、中からごろごろとプリンやデザートチーズが出てきた。

 腹は減っていると言っても、朝昼食べてない時に急に詰め込むのはためらわれた。

 FAVはプリンを出すと、麦茶と一緒に胃の中に入れ始める。仕事が休みで本当に良かったと思う。

 壁のカレンダーには仕事が休みの日に花丸がつけてある。TEARはそれを見たのだろう。第二ラウンドまでして、起こさずに出て行った。


 第二ラウンド。


 思い出して顔にまた血が上った。慌ててプリンを流し込む。

 プリンの柔らかい感触。「柔らかい」という単語を思いついた途端、TEARの大きくて柔らかい胸が浮かび上がる。


 確かにあたしはあいつの身体に跡をつけたんだ。

 

 気が抜ける。

 スプーンを置く。

 ふと視線を落とす。

 幾つか折ったシャツの袖から白い細い腕がのぞく。

 そこにも朱が散っていた。

 その濃さが違うから、昨夜のと今朝のが混じっている。その跡を指でたどる。ここにも一つ、あそこにも一つ……

 息苦しくなる。

 と、電話が鳴った。

 電話が鳴っている。

 それを感じるのに数秒かかった。結局六回コールを鳴らして取る。


「……はい……」

『ああFAVさん? ずっと留守だったの?』

「HISAKA?」

『午前中と昼すぎに電話したけどあんた出なかったから』

「あ、ごめんHISAKA。寝てたから」

『具合良くないの?』

「いやそんなことはないけど…… TEARそっちにいる?」

『TEAR?』


 HISAKAの言葉が数秒、途切れる。ラジオだったら放送事故だぜ、とかFAVは思いながら次の言葉を待つ。


『まだ来てないけど』

「そお…… あたしもう少ししたらそっち行くからさ」

『大丈夫?』

「大丈夫。寝すぎだけ」

『睡眠時間少ないっていつも言ってる人が珍しい』

「そういうことだってあるさぁ」


 *


「なるほどね」


 HISAKAは片眉を上げて、後ろのTEARをちらりと見ながら言った。


「あんたやけにご機嫌いいと思ったら。腕も今日は長袖シャツだし?」

「はい?」


 TEARは電話の相手に気付いたらしく、にやにやと笑いを浮かべながら問い返す。


「昨夜送っていってそれからどーした?」

「ありがたく頂きました」

「あ、そ……」


 リーダー殿は、どういう顔をしていいのか一瞬困った。

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女性バンドPH7①エスニックデコスリムのギタリストがボンキュッポンのベーシストに落とされるに至るまでの話。 江戸川ばた散歩 @sanpo-edo

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