5 Good day to die(ホワイトデー限定)


「初めまして、ずっと君に会いたかったんだ」


男は開口一番にそう言った。

雨の日が続いたからか、地面はぬかるんでいた。

グラウンドを囲む空気もやや重い。


湿気のせいか、あるいは亡霊によるものか。

どちらにせよ、あまり気分のいいものではないのは確かだ。


「ようやく殺してもらえると思うと、何だかほっとする」


この男のように、死ぬことで自分が救われると考える者も少なくなかった。

何かしらの宗教的な考えに基づいているのだろうか。

よく分からないし、理解できるとも思えない。


一つ言えるのは、男は神でも何でもない。

ただの人殺しであり、サイコパスであり、殺人鬼であるということだけだ。


彼の持つ唯一無二の能力、それが「送りバント」だった。

自分の持つ何かを代償にして、願いを一つ叶えるというものだった。


その能力があるおかげで、彼は処刑屋という名を得たといっても過言ではない。


「実は僕を殺すように頼んだメール、自分で書いたんだよね。

よくできていたでしょう?」


工作で作った作品を自慢する子どものような、純粋無垢な笑みを浮かべる。

そんなものを自慢されたところで、何もならない。

自作自演は珍しくもなんともないのである。


ただ、そこまでして死にたい連中も一定数いることは確かだ。

彼ら曰く、「これ以上、生きたくない」らしい。

だからといって、自殺もできない。誰か代わりに殺してほしい。


男にはよく分からなかった。

彼と同様、死ぬ勇気がないくせに、死ぬことしか考えられない連中も実に多かった。

考えていることが実に矛盾している。


「本当に表情一つ、変えないんだね」


男をからかっているのだろうか。バカにしているようにも見える。

彼は表情をころころと変えて、笑っている。


「その冷たい目を向けながら、僕を殺すのかな?

人を殺すときって、どんな表情をしてるの?」


楽しいと思ったことも苦しいと思ったこともない。

そのような感情はすべて、送りバントの代償になって消えた。


ごく稀に、違う何かが代償になるときだけ、何か感情がこみ上げてくる。

その時だけは、沸き上がる苦しい物を飲み込めないでいる。

人はそれを、罪悪感と呼ぶのだろうか。


「何も答えない。喋らないんだね、君は」


「お前の話が長すぎなだけだ」


この手の連中は早く黙らせるに限る。

永遠にしゃべり続け、時間だけが無駄に過ぎていくからだ。


「ようやく声が聞けた」


彼は楽しそうな笑みを浮かべる。

何がしたいのか、いまいちよく分からない。


「ねえ、何者にもなれなかった僕のこと、君はどう思っているんだろう」


何者にもなれなかった、か。

これもまた、よく分からない表現だ。


正直、何かになったつもりはない。何かになれたつもりもない。

周りが勝手に持ち上げ、自分に名前を付けただけだ。

そう簡単に剥がすことのできない、レッテルを貼られただけだ。


「せめて、君みたいな何かになれたら、よかったのに」


彼は一言、そう漏らした。


「何かになったら、変わったのかなあ」


そんなことで人生が変わったら、どれだけ楽なのだろうか。

あるいは、何者かであることが、それだけ重要なことなのだろうか。


無名であることほど、楽な物はないと思う。

名前がなかったら、人が寄ってくることもない。

目立つような物がなければ、誰かに利用されることもない。


「こんなこと、聞かれても困るか」


彼は諦めたように笑う。


「もういいよ、僕は黙っているから。

それとも、今度は君が話してくれるのかな?」


「何者であろうとなかろうと、俺はお前を殺すだけだ。

名前など、関係ない」


「さすがは死神だね。それじゃ、よろしくお願いします」


彼はそう言って、目を閉じた。誰かに祈っているようにも見える。

ここには死神しかいないというのに。


バットを握りしめて、静かに垂れた頭に一発叩き込む。

名もなき赤い花が咲き乱れた。


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