3 Love me Love me Love me(バレンタイン限定)


ひゅうと、グラウンドに風が吹き抜けていく。

ぐるりと囲むフェンスは二人を見つめているだけで、何もしてくれなかった。


今日の空気は少しだけ冷たい。

今晩は冷え込みそうだ。


目の前にいるワンピースを着た女はさぞかし寒いことだろう。

後ろ手で拘束され、その場で正座をさせられたまま、どれほど経っただろうか。


男にとって、容姿や年齢、種族や性別は関係ない。

等しく虚しく、すべてを無にするだけである。


男は処刑屋と呼ばれ、サイコパスと恐れられ、殺人鬼と蔑まされている。

高額な報酬と引き換えに、気に入らない奴を殺してくれることで有名だった。

メールを一つ送れば、男は引き受けた。


男の手にあるのは、釘が大量に打ち込まれたバットだった。

釘バットと呼ばれているそれで、彼は人を殺していた。

狙った獲物は決して逃さず、必ず仕留めていた。


それができているのも、男の持つ「送りバント」と呼ばれているスキルのおかげだ。

自分自身が持つ何かを代償にして、男の願いを一つ叶えるというものだ。


発動する度に何かを失っていった。男は何も持っていなかった。

パッチワークのように縫い合わされた体は、さながら抽象画のようにすべてをないまぜにしていた。


宵越しの銭を持たぬ代わりに、男は宵越しの記憶を持たなかった。

朝になれば、すべてを忘れてしまうのだった。

そしてまた、依頼主のメールを待つのだ。


「殺したければさっさと殺しなさいよ!」


だから、次の朝になれば、女の言葉も忘れてしまう。


「アンタ、人殺しで有名なんでしょう!

気持ち悪いのよ、この殺人鬼!」


茶色のショートヘアは何度も怒鳴り散らす。

口元のホクロが印象的で、猫を思わせるような目つきをしている。

彼女は野良猫のように男を睨んでいた。


「さぞかし気分が良いことでしょうねぇ!

人を殺すだけで、お金をもらってるんだからさ!」


この女の言う通りだった。

男は人を殺す代わりに、高額の報酬金を得ている。

その報酬金は生活のために使われているが、とてもじゃないが使い切れない。


「こっちだってねえ、苦労してんのよぉ!

アンタみたいなサイコパスには分からないでしょうけど!」


「ああ、分からないとも」


女の叫びはひどく、醜いものに聞こえた。

とてもじゃないが、聞いていられない。


だが、両目から溢れ出ている涙は美しいと思ってしまう。

この女が人間として、生きようとした証なのだろう。


他の人間も彼女と同様に涙を流して、様々なことを訴えてきた。

命乞いからメールの送り主に対する恨み言、男に対する罵倒。

彼らの言葉は覚えていないが、決していい言葉ではなかった。


しかし、この女は何かが違っていた。

違う何かがあるから、バットを振れないんだろうか。


「分かってんのよ、私みたいなゴミなんか死んじゃえばいいんだって!

アンタだってそう思ってんでしょ!」


何故だろうか。

叫ぶだけ叫ばせたほうが、後が楽な気がする。


男は天国や地獄とかいう存在を信じてはいなかった。

釘バットを振って、壊した後は何もなくなる。

ただの肉の塊になるだけだ。


ただ、もし、死んだ後に行く世界があるなら、未練はない方がいい。

叫び終わるまで待ってやるか。

めずらしく、そんな気分になっていた。


そして、女はそのままうずくまって、静かに泣き出した。


今が好機か。釘バットを握り直す。

後頭部に一撃、それですべてが終わる。


「無駄になっちゃったなあ……せっかく渡そうと思って、超がんばったのに」


ああ、また別の話が始まった。

冷え切った風が2人の間を吹き抜けていく。


「こんなところで死ぬんだったら、もっと前に渡しておけばよかった」


やり残し何かを後悔する者も少なくはない。

この女もまた、その1人なのだろう。


「アンタさあ、どうせ1人なんでしょ? 代わりに受け取ってくれない?

ポケットにあるからさあ……お願いよ」


男はかすかに目を見開いた。

手荷物はいつのまにか集まっていた人間たちが没収していた。

女を拘束させ、座らせたのもあいつらだ。身体検査はしていなかったらしい。


「毒なんて入ってないわよ……いいでしょ?

それくらい引き受けてくれたって」


女は体を上げて、男に笑いかけた。

涙でぐちゃぐちゃになっていて、見れたものじゃない。


それでも尚、美しいと思ってしまう。

最期まで生きようとしていた証だった。

すっきりとしていたその表情は、とても綺麗だった。


「言いたいことはそれで終わりか?」


沈黙が下りる。

男は釘バットを後頭部に、叩き込んだ。

地面に赤い花が咲いた。


果たして、ワンピースのポケットにその荷物は入っていた。

リボンでラッピングされた小さな赤い箱だった。


包装を破ると、小さなチョコレートが宝石のように詰め込まれていた。

女は答えない。地面に突っ伏して、血を流して倒れている。


「確かに受け取ったぞ」


一つを手に取って、口へ放り投げる。

なるほど、今晩の代償は「甘さ」のようだ。


その味はおそろしいほど苦く、飲み込むので精一杯だったからだ。

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