#11

 小寿は席を立つと彼女から一歩距離を置き、グラディーヴァを槍にして構える。一方聡の母親の姿をした悪夢はただ微笑んでいるだけだった。小寿は胸を痛めながらやっと声に出して言う。


「私は、あなたを殺さなくてはいけません……。」


 それに対して彼女は抵抗する様子もなくただ同意するように頷いた。


「はい、仕方がないと思います。私もそれが良いと思います。」


 小寿は槍を彼女の心臓に向けて構えていたが、やがて目を閉じてそれを下げる。顔には疲労感が見え、今も迷っているような様子が伺える。悪夢はそれを見て何故、という顔でこちらを見る。


「ダメですね私、聡くんの現実での苦しみを想像すると、元の世界に戻す決心がつかない。彼の心にその準備ができてからでもと思ってしまうんです。」


「小寿さんは優しいのね。でもあの子の心の準備なんてどれくらいかかるかわからないわ。いえ、恐らく彼は戻らないと言うでしょう。例えここで死ぬとしても、ここで一生を終えることを選択するわ。」


「でも、それは……。」


「ええ、それはダメ。私は聡の人生を守りたい。夢まぼろしの中であの子の将来の可能性を埋没させるわけにはいかないわ。」


 すると二階から聡が降りてくる。話し声がうるさかったのだろうか、目をこすりながら二人を見る。小寿は彼にグラディーヴァを気付かれぬように消して、椅子に座り直していた。


「お母さんたち、まだお話をしていたの?」


「聡くん、うるさかったですか。大丈夫、もう帰ります。」


「……ねえ聡、元の世界に戻らない?」


 母親の話にギョッとする小寿。まさか悪夢自らが自分の死を望み、彼の将来を尊重するとは思っていなかったし、聡にその話を直接持ちかけることも予想していなかった。


「……嫌だよ、戻りたくない。叔父さんのところは嫌だ。お母さんと一緒がいい。」


「聡、ここはいつまでもいられる場所じゃないのよ。いつか帰らなくてはならないの。」


 聡は俯き、拳を強く握りしめて、痛みに耐えるような表情で答える。


「叔父さんは。いつも男の人をうちに連れて来る。その人達は僕を裸にして、殴ったり、あそこを舐めたり、気持ちが悪くて痛いこともする。」


 小寿は激しい怒りに駆られた。この夢世界ではなく、現実の世界にだ。ただ今は唇を噛むと、じっと聡の話に耳を傾ける。


「僕はあそこにいる限り、嫌な思いをたくさんする。友達も僕の体の痣を見て気持ち悪がる。あんな世界は嫌いだ。ここのみんなとずっと暮らしていたい。」


「聡。あなたのことを想って言っているのよ。」


「……お母さんと一緒なら……。」


 悪夢は困った顔をして聡の頭を優しく撫でる。


「……ダメよ。あなたは賢い子だから判っているでしょう。」


 すると聡は鋭い目つきで小寿を睨む。


「お姉ちゃんがお母さんに何か言ったから、お母さんがこんなこと言うんだろ。」


「私は……。」


 小寿は聡の怒りを真正面に受けてどうすれば良いのか判らずたじろいでしまう。聡は彼女に詰め寄って責め立てる。


「出ていけ!やっと手に入った僕の生活を邪魔しないで!」


「こら、聡!そんなこと言ってはダメよ!」


「いえ、良いんです。ごめんね聡くん帰るね……。」


「早く帰れ!」


 小寿は追い立てられるように家から出て行く。聡の後ろでは悪夢の母親が心配そうにこちらを伺っている。悪夢に心配されるだなんて。外は暗く、風が少し肌寒かった。


 小寿はノルベルトの能力を使い、少し離れたところまで移動すると、大きな木の上に登り、そこでグラディーヴァをテントに変形させるとその中に入った。中にはベッドとサイドテーブルがあり、杖に付いていたのと同じランタンが部屋の中央に掛かっている。


「小寿。気にするな。キミはいつもどおりこの世界を壊せば良い。」


「うん。でも、そのあと聡くんはどうなるんだろう。叔父さんのところに戻って。私は彼に何がしてあげられるのだろう。」


「ケケケ、大人に相談するんだな。戸土井や加賀野井、紋田に。」


「うん。そうだね……。私、どんな状況であっても、夢世界よりも現実世界の方が良いと思っていた。でもそうじゃない人も、いるんだね。」


 小寿はそう言うと指をパチンと鳴らす。するとグラディーヴァのランタンがふっと消えて部屋の中が暗くなった。街灯の光が仄かに部屋の中に差し込んでくる。小寿はしばらく輾転反側したのちにようやく眠った。


* * *


 翌朝、聡に会いに行くのも憚られ、夢世界の端で無の空間を眺めながら考え事をしていた。このまま聡に見つからぬままにあの母親の姿をした優しい悪夢を斃してしまっても良いものだろうか。やろうと思えばできる。だが、そのときに聡の心は果たして無事であろうか。


「いずれは必ずあの悪夢を倒さなければならない。でも、私に彼を説得できるような信頼を得ることは、恐らく難しい。彼はこの世界に執着している……。でも理由が理由だけに私も強くは言えない。」


 自分のできることが夢世界の破壊だけという事実に、彼女は無力感を感じていた。夢世界でなら自分は万能だと思っていたのに、全然そんなことはなかった。軽く唇を噛む。小寿は答えを求めるようにノルベルトを見た。


「ケケケ、小寿。相談に乗りたいのは山々だが、客人のようだ。」


 小寿が後ろを振り向くと、何人もの少年少女が刃物を手にこちらを向いている。夢の中の住人。その生命は現実世界のものとは違えど、ものを考え、思考する生き物。しかし小寿は夢世界に対して氷のように冷たくなる。それが例え子供の姿をしていようが、容赦はない。


「小寿、彼らに悪夢の反応はない。この敵意はあの母親から齎されたものではない。」


 それに対して小寿は頷く。この世界で自分に敵意を向けるもの、それはひとりしかいない。


「聡くん……。」


 少年少女が子供とは思えない速さで近づいてくる。小寿の表情はふっと無表情になり、彼らを真っ直ぐに見据える。最初の子供の頭を杖で吹き飛ばし、次に襲いかかる子を回転を付けた斧槍で薙ぎ払う。一切の躊躇のない動き。


 子どもたちも死を恐れずに襲いかかる。手に持った包丁やカッターナイフ、鎌や手斧などを持って真っ直ぐに向かってくる。しかし小寿のスピードとリーチの差により、成す術もなく斃れていく。


 小寿が最後のひとりを屠ろうと槍を振るおうとしたが、その子供は聡だった。小寿は槍の勢いを殺し、慌てて軌道を逸した。その隙をついて彼は小寿の左腕に深々と包丁を突き刺した。


「小寿、それは聡ではない。よく似ているこの世界のものだ。」


 それを聞いて小寿は聡の姿をした少年を槌で吹き飛ばした。左腕からはとめどなく血が溢れ続けている。包丁は骨の隙間を縫って腕を貫通している。確かに子供では無理な傷だ。小寿は力なく笑うが、痛みで顔は歪んでいた。


「高速治癒を開始する。包丁を抜くんだ、小寿。」


「ぐっ、くうっ!」


 彼女は目を瞑り、歯を食いしばると包丁を一息で抜いた。栓の抜かれた傷口からは大量の血が流れる。小寿は念の為に高い木の上に登るとノルベルトの治癒機能を起動させた。


 それは確かに傷の治りを早くするものではあったが、体の治癒能力を加速促進させるものなので、即座に回復をするわけではなく暫く安静に回復を行わねばならない。小寿は冷や汗をかきながら痛みに耐えている。


「この程度の傷なら2時間もあれば治るだろう。ケケケ、痛いか小寿。」


「意地悪だね、ノルベルト。とても痛い。」


「すまないが麻酔機能はない。せめて目を閉じて休むといい。見張りはしておこう。」


* * *


 小寿は目を空けて上半身を起こす。眠ってしまったようだ。日は既に沈み、辺りは暗くなっていた。左腕は既に完治していた。思い迷い、結局何も決められずに一日が終わろうとしていた。


「小寿、起きたか。あれから敵意を持ったものは現れなかった。」


「見張りありがとう、ノルベルト。ごめんなさい、眠りすぎたね。少し疲れていたみたい。」


「最近は夢世界へ行くことが多かったからな。体力と精神、両方が消耗されていたようだな。ケケケ、とは言え小寿、早めに決断をすべきだ。」


 小寿は腕を軽く動かして状態を確認した。痛みはなく、手先もよく動く。大丈夫そうだと頷き、立ち上がる。


「小寿さん。」


 柔らかく優しい呼びかけ。樹の下を見ると聡の母親の姿をした悪夢がいた。小寿には彼女が何をしに来たのかわかる。覚悟を決めるのだ。地面に飛び降りると髪がふわりと膨らんで閉じる。


「聡くんは?」


「寝かしつけて来ました。どうかお願いできますでしょうか。」


「……はい。任せてください。聡くんは元の世界に連れ戻します。そして、できる限り彼があの世界でつらい思いをしないように、手を尽くします。」


「ありがとう。」

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