#10

 戸土井の車で小寿は現場と付近と思われる場所まで辿り着いた。車を降りると、何人かの大人や子供が誰かを探しているように呼びかけている。


さとるくん~!尾上聡くーん!何処ですか~?」


「尾上~!返事しろよ~!」


 これはと思い二人は彼らに近づいて教員と思われる女性に事情を伺う。


「子供がひとり消えてしまったんです。授業中に忽然と。こっそり教室を抜け出してサボったのだと思って最初は気にしていなかったんですが、授業が終わってお家に連絡を取っても帰ってないと言いますし、クラスの子たちや近所の方も見かけていないらしく、心配になってこうして探しているんです。」


「尾上、急に消えたんだよ。席も立たずに消えたんだ、本当だよ。」


「もしかしたら、お家のことで家出をしたのかも知れません。尾上くんの家は良い噂がないので。」


 如何にも話し好きそうな教員で、立ち入った噂話をしたがっているように見える。非常に軽率で見下げた態度だが、しかし、夢世界がどんなところなのかを推測するには良いので、戸土井は彼女に好きなだけ話すようにそれとなく促した。


「彼のお家は両親が亡くなられていて、今は親戚の叔父さんの家に引き取られて暮らしているのですが、その、虐待の可能性があります。体育の授業で着替えるときに体に痣があるのです。普通に転んでもできないような場所にです。」


「それは、かわいそうに。叔父さんに暴力を振るわれていると?」


「それだけではないのです。彼は、その男の子にしては非常にかわいらしい顔をしていて、まるで女の子のようなのです。彼は無理やり暴行を受けている節があります。」


「そんな大事になっているならば警察や児童相談所に相談はされたのですか?」


「いえ、その、噂の範疇を出ていないので誰も。」


「そんな、本当にそんなことが起きてたらどうするんですか?」


 ただ聞くだけに徹していた小寿も堪らず声をあげる。それに対して教員は少し不機嫌に答えた。


「本当にそんなことが起きてなかったらどうするか、でみんな行動を躊躇っているんです。」


「なるほど。とにかく僕たちも一緒に尾上くんを探すのをお手伝いしますよ。ね、小寿ちゃん?」


「え、は、はい。」


 そして二人は彼らと少し離れたところに移動して相談を始める。


「もしあの教員の話が本当ならば、消えた少年は重度の心的ストレスを抱えていた可能性が高い。夢世界は必然的に悪夢に傾き、恐らく狂気に飲まれるのも早いだろう。」


「ええ、そう思います。既に向こうでは何日経っているのかわかりません。早急に行かないといけない。」


「……僕は危険だと言っているんだよ。キミの身を案じているんだ。頼むから十分注意をしてくれよ。」


「はい。大丈夫。私は簡単には負けません。ノルベルト、起きて。」


「ケケケ、行くのか小寿。」


「うん、よろしく。夢座標は既に来ているはず。」


「確認できている。では行くぞ。夢世界固有ナンバー確認、照合。誤差修正、許容範囲内に調整完了、全システム正常、F.Y.D.介入システム起動。介入成功。夢世界へ飛びます。」


 周囲が水しぶきと弾け、それが雨のように降り注ぐときれいな花々の咲き誇る庭に淡い虹を掛ける。新しい舗装された道路、白い一軒家、木にはブランコが取り付けられ、子どもたちが公園で遊んでいる。絵に描いたような暖かく牧歌的な風景。これが尾上聡の夢世界だった。


「これは、悪い夢には、見えない。」


「ケケケ、むしろ抑圧された精神が幸福な夢を見せている、といったところか。」


 多くの子供達が遊んでいる。小寿はどれが聡かわからなかったが、呼びかけて警戒されるよりは、彼が幸福な夢をみている間に悪夢を見つけて処理するほうがいいと判断した。


 ここは小さな街のようで、人々がのんびりと暮らしている。商店街があり食料や日用品が売られている。小寿はノルベルトの機能で空高く跳び、悪夢の反応を探す。だが、この広いようで狭い世界の端、柵で区切られてそこから先は無が広がる場所まで探したが、悪夢の反応はなかった。


 気付けば日が落ち始めている。小寿は最初の公園に戻り、子どもたちの様子を見に来た。子どもたちは次々に家に戻っていく、ひとり残った少女のところに母親と思われる女性が近寄り、呼びかけた。


「聡、帰りましょう。今日は一緒に餃子を作るのでしょう。」


「うん、わかった。餃子、楽しみだなぁ。」


 聡と呼ばれたのは少女ではなく少年だった。彼は嬉しそうに母親と思われる女性の横に並び帰っていく。小寿は慌てて彼らを呼び止めてしまった。


「待ってください!聡くん?ですか?」


 聡と女性はこちらに向いて誰だろうという顔をしている。


「あの、すみません、聡くんのことを探していて、それで。」


 どう説明したら良いものかと迷いしどろもどろになっていると、聡は何か判ったような顔をして言う。


「お姉さん、あの世界から来たんだね。僕を探しに。」


 驚くべきことに、聡はこの世界が異世界であることを理解しているふうであった。理解していながら、この世界を受け入れ順応しているように見える。


「……、はい。そうです。」


「僕は帰らないよ。あの世界、嫌いなんだ。ここにはおかあさんもいるし、友達もたくさんいる。」


「そうですね……。」


 彼が現実世界で本当に虐待を受けていたのであれば、彼が帰るのを拒否するのは当然だ。小寿は痛ましい気持ちになって端切れの悪い言葉しか発せられない。するとそれを察したように母親が小寿に呼びかけた。


「もし良かったら一緒に餃子いかがです?包むのを手伝ってもらうことになるけれど、私や聡にとって重要なお話のようですから。」


「それが良いよ。お姉さん悪い人には見えないし。お腹も空いてそう。」


「お言葉に甘えます。でもお腹は、ドーナッツとかマカロンとか沢山食べたのでそんなに空いてないはず。」


 そう言うと小寿のお腹が空腹を訴えて鳴るのだった。彼女は頬を赤らめて上目遣いで彼らへバツが悪そうに微笑みかける。それを見て二人もくすくすと笑った。


* * *


 家は隅々まで掃除の行き届いたきれいな2階建ての一軒家だった。あの花々が咲いていた庭があり、窓は大きくそれが一望できた。


 聡も母親も気さくな人で、小寿はすぐに打ち解けて、三人で仲良く餃子を包む。


「あはは、小寿お姉ちゃん包むの下手~!」


「むう、なんだかちゃんと扇形になってくれません。」


「不思議な形だけれど美味しそうじゃない。」


 和やかに過ぎていく時間、夕食は温かくて美味しかった。小寿が久しく忘れていた家族の味だ。いつも自分で適当に作ったお肉料理か、コンビニのご飯だったので、彼女にとってこの時間は心に染みるようだった。


「お母さん、僕もう寝るね。」


「ええ、いい子ね、おやすみなさい、聡。」


「おやすみなさい~。」


 聡はそう言って二階に上がっていった。さて、と言う風に母親は座り直すと、小寿を真っ直ぐに見つめた。何でも聞いてくれて構わないと言った風情だ。


「あなたは、誰なのですか?」


 小寿のストレートな質問にも彼女は微笑みで返し答える。


「私は、聡の母です。」


「それは、この世界に於いて、という意味ですか?」


「ええ、そうです。私はこの世界に於いてあの子の母。聡の母の思い出を持ち、聡を愛する母親としての私です。ですが、小寿さんの言うように、私はここで生まれた者です。そう言った意味では本物の母ではありませんね。」


 人の深層意識から生まれたものが他者の記憶を持ちうるのか甚だ疑問ではあるが、彼女の思い出話をいくつか聞く限り、どうもまるで本当に母親の記憶を受け継いでいるように見える。実際には本当かどうか確認する術はないが、小寿は考え込むように口を開く。


「でも、あなたの態度や愛情、記憶には偽りがないように思えて、私は混乱している。」


「実際にそうです。私は母親として聡を愛しているし、あの子を大切に想っています。何よりもずっとずっと大切な、私の子。」


「この世界は聡くんにとても優しい。でもいずれ彼は狂ってこの世界とともに消滅してしまいます。でも、彼が本当に現実世界で虐待を受けているなら、私は……。」


「この世界が危険なのは、なんとなく判っていました。すべては一期の夢で、いずれ全てがどうにもならない袋小路になることも。私は聡がここで幸福ならばそれでいいと言う風には考えません。あの子にはまだ将来がある。元の世界に戻るべきです。」


「そう、ですか。彼がそれを望むかはわかりませんが、私の目的はそうです。彼を元の世界に戻すこと。しかし、残念なことにここには夢の核の反応がありません。それを破壊することで、この世界は崩壊し、聡くんを元の世界に戻すことができるのですが。」


 小寿はそれが嬉しいことのような複雑な気持ちで俯く。戻るのはもう少し先にして、彼がここで幸福を味わってからでもいいのではないか。夢の核が見つかってしまったら、彼の甘い夢を壊して、否応なしに再び冷たくて醜い現実に戻すことになる。するとノルベルトが小寿の隣に飛んで来て言う。


「ケケケ、小寿、言いにくいことだが。そこにいる女性は、悪夢だ。」

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