#5

 小寿と良明は幼馴染だった。小学生の頃はよく二人して外で色んな音を聞きに行った。波の音、虫の音、木々が互いの身を寄せ合う音、走る車やバイクの音。静かな町だけれど、いつも何かの音が鳴っていて楽しかった。その音が冒険心をくすぐって、大人にはダメだと言われた場所にもこっそり行ったりした。


 中学校に上がると良明は一層神経質で塞ぎがちになった。同級生の輪になかなか入れず、孤立することが多かった。彼自身はいつも寂しくて死にたいと思っていたし、かと言って同級生のことを浅薄な流行に流される愚か者と、少なからず馬鹿にしていた。


 そう言った彼の態度はやはり人にはわかるもので、彼が何を言わなくとも、同級生たちは自分らに対して彼が拗ねた感情を抱えていることを感ぜられ、良明をますます孤独にした。小寿はといえば、大様な性格で皆から人気があった。その自分との差が、良明に仄かな嫉妬心を起こさせた。


 しかし小寿はいつも良明のことを気にかけていたし、良明がピアノを弾くときはいつもいると言っていいくらい側にいてくれた。彼がピアノを好きになったのは、そうすると小寿が近くにいてくれたからだ。実に単純な理由。だから彼は彼女が喜んでくれる曲を練習した。小寿が生徒たちとではなく自分と一緒にいてくれることに優越感を得ていた。ある年の誕生日、彼は鈴のピアスを彼女にプレゼントした。それは小寿と自分で一つずつ付けるペアのもので、自分と小寿の繋がりを物理的なもので証明したかったからだった。


 小寿と良明は中学校を出ると、一緒に東京へ出てきた。通う学校は違うけれど、部屋は隣同士、6畳一間の小さな城。毎日がお泊り会みたいで楽しかった。食材は共有して、夜は一緒に料理を作って食べる。朝は一緒に家を出る。良明は今の生活が一番幸せだった。


「今日は俺が夕飯を作るよ。小寿が作ると食卓が真っ茶色になるからな。」


「お肉は美味しい。」


「はいはい。でも野菜も食べなきゃいけない。小寿は本でも読んでな。」


「本も読みたいけれど、宿題する。」


「ああ、俺も宿題出てるんだった。クソ、面倒だなぁ。ピアノだけ弾いていたい。」


「そういうわけにもいかない。ちゃんと勉強もしないとダメ。」


「判ってるって。ちゃんとやるよ。まったく、オカンかよ。」


 そうやって悪態をつくものの、小寿に気にかけてもらうことが嬉しくて、にやけながら野菜を切る。こんな顔を見られたら恥ずかしいと思って、小寿の方を目だけを向けて盗み見るが、彼女は宿題に集中しているようだった。


「学校は上手くいってますか?」


「ああ?勉強は滞りなくやってるよ。」


「聞き方を変える。友達はできた?」


「良いんだよ友達なんて、あいつらは馬鹿ばっかりだ。派手で安易なものにばかり目をやって、本当に優れた芸術などには目もくれない。何が正しいか、何が美しいか自分でものを考えることもなく、人から良いものだと言われ、与えられたものだけを消費して生きている。下らない。そんなやつらと友達になるなんてゾッとするよ。」


 中学生の頃からの彼のスタンスは変わりなく、小寿は諦めたようにやれやれと言うと再びノートに視線を落とす。でも彼がちゃんとやれているのかやはり心配なのだ。食事中はお互いの一日の話をしたり、映画や音楽の話をする。小寿は自分が読んだ本の話などをするが、良明は物語が好きでも、本を読む時間が余り好きではなかったので彼女の話を楽しく聞いていた。


 休日の午前中は良明にピアノのレッスンをしてくれる講師が来る。その間小寿は部屋で読書をしながら彼の練習に耳を傾けていた。しかし彼のピアノは聴くものの感情を揺さぶる力があったので、読書は遅々として進まず、気付けば同じセンテンスを何度も読んでいたりする。


「良明のピアノにも困ったものです。本が読めないじゃないですか。」


 小寿はそう言って微笑むと目を閉じて旋律に耳を澄ますのだった。


* * *


 それは高校二年生になってから数ヶ月後の夏、白雨の日だった。二人は良明の講師から譲ってもらった舞踏団の公演を観る為に放課後に待ち合わせをした。その舞踏団は小寿が好きな振り付け師の所属する一座で、海外からの珍しい来日公演だった。それを知ったピアノ講師は良明のデートの口実にと知り合いのコネでチケットを用意してくれたのだ。普通なら高校生では高くて買えないようなチケットなので、良明も小寿も受け取るのに躊躇したが、ピアノ講師は「タダだから受け取りなさい」と言って彼女らに手渡した。


「楽しみだな。小寿、相当好きだもんな、BDも持ってたし。」


「うん、実家に置いてきちゃったけど、凄く好き。」


 二人は傘を差して並んで歩く。良明はこの傘の距離がもどかしかった。本当はもっと小寿の近くを歩きたいのに。地面に刺さるようにざあざあと降る雨を恨めしそうに睨め付ける。


 会場には既に多くの客が来ていた。良明はこういう舞台芸術にこんなに沢山の人が集まることにカルチャーショックを受けていた。自分の周囲の高校生は、こういった美を解するものなど誰一人いなかったから。それが如何に視野偏狭なことであるかを痛感し、打ちひしがれた。そして同時にそれが嬉しくて興奮している。自分の感情が抑えきれず、思わず小寿の手を握ってしまう。


「ん?どうしたの?」


「あ、いや、違う!これはその……、そう、お前がはぐれちまうんじゃないかって心配になっただけで!」


「私、そんなに頼りないですかね……。まあふらふらしがちなのは自覚があるけれど。ではお言葉に甘えて。」


 そう言うと小寿は良明の手を握り返した。良明は自分が耳まで赤くなるのを感じた。心の裡でピアノ講師に感謝した。


 公演が始まると二人はあっという間に引き込まれた。赤裸々な感情がむき出しのエネルギーとなって発散されるような肉体的で官能的な現代舞踏。二人は手を握ったままそれを忘れてしまうほどだった。


 舞踏が終わると小寿は息を吐く。まるでずっと息を止めていたかのような長い溜息。感動のあまり体が震えるのを感じる。


「凄かったね、良明。」


 振り向くと良明がいない。舞踏に集中しすぎて離席したことに気付かなかったのだろうか。いや、そんな筈はない、小寿の右手は彼の手を固く握っていたそのままの形になっている。彼が離席したならば気が付くはず。では何故良明はいないのか。小寿は周囲を見回すが良明らしき人影はない。念の為に会場中を歩き回って彼の姿を探す。いない。何処にもいない。


 外は雨がまだ振っていた。良明の傘はまだ傘立てに残されていた。外には出ていないはずだ。そう思って探しても彼の姿は何処にも見えない。不安になった小寿は泣きそうになる。小学生の頃、良明は小寿にこうしたいたずらをすることはよくあった、だがしかし、こんな状況でするだろうか。何かが起きているのではないか、そう思って小寿は不安で仕方がなかった。


 小寿がどうすれば良いのか途方に暮れて、会場の入り口で雨を前に佇んでいると、一台のバイクが目の前で停まった。それに乗るのは若い女性のライダーと、後ろに乗る長髪をワンレンにした眼鏡の男性。


「ここで間違いないのかい!?」


「ここだわ!落夢の反応があった!」


「僕らだけで何とかできるだろうか。」


「それを確認するために来たと言っても過言ではないでしょう!さあ、F.Y.D.ファイド介入装置出して!」


「ちょ、ちょっと待って!濡れたら大変だから!」


 二人はバイクから降りて小寿のいる場所まで移動すると、男は鞄の中から分厚いハードカバー本のような大きさの機械を取り出して、それをいじり回している。


「あ~、えーっと、あれ。夢座標が定まらない。」


「ちょっと大丈夫なの?消えた人の状態もわからないんだから早くしないと!」


「消えた人!?あの、私の友人が消えたんです!何か関係が!?」


 二人は女子高生から突然話しかけられてびっくりしたが、小寿の緊迫した雰囲気を察して正直に話すことにした。


「お友達は恐らく別世界に囚われているわ。神隠しみたいなやつだと思ってくれるとわかりやすいかもしれない。」


「冗談を……言っている雰囲気ではないですね。本当なのですか?もしそれが事実ならどうにか別世界に行く方法はありませんか。」


「そのための装置が、これなんだけど……、おかしいなぁ、動かない……。」


「ちょっと!しっかりしてよね!」


 小寿の期待をよそに二人はまごまごしており、別世界に行く手立てがあるようには見えない。彼女の焦りは募っていく。


「ダメだ、機材の調整が必要だ。」


「ってことは、すぐには行けないってこと?」


「うん、ごめん、理論的にはイケるはずなんだけどな……。」


「苦しい言い訳はしないの!どうするの!?」


「今日は戻って出直すしかない……。」


「この、馬鹿!間抜け!!」


「あの、行けないんですか?」


「ん~、準備ができたら連絡をするよ!これ名刺、一度ここに連絡をちょうだい!」


「そのかわり、危険かも知れないわよ。それも命に関わるような。いいの?」


「いいです。とても大切な人なので。準備ができたら教えて下さい。」


 二人はお互いに目配せをして観念したように言う。


「判った。キミの意思を尊重しよう。」

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