第六章 ④


 それは、真っ黒な〝なにか〟だった。形容する言葉が見付からない。たとえ、世界中の言語を扱えたとしても説明出来る自信がリジェッタにはなかった。

 汚泥を積み上げた山から無数の手足が伸びていた。それも、形を維持出来ず融けてはまた新しいのが生えるのを絶え間なく繰り返している。水が沸騰し、泡が何度も弾けるかのように。

 顔はなく、口もなかった。ただ、どこからか人間の呻き声が聞こえる。この物体は間違いなくオルムであり、これが彼女の末路に違いなかった。

破壊王代理惑わぬ者の汚泥を完全に制御出来るはずがごぜいませんわ。……やはり、最初からこのような魂胆を」

 眼前に黒い風。リジェッタは両腕を交差させた。

 刹那、空はあまりにも青かった。

 牙を覗かせるリジェッタの口から血が噴き出した。霧のごとく散り、翼のように広がる。《偽竜》が地へと落ちた。受け身も取れずに背中から激突し、肋骨が軋む。

 激痛が脊髄の内側で荒れ狂った。視界が歪み、よろよろと立ち上がる。すぐに肉体が自己治癒を開始するも、思考までは正常に戻れない。

 いったい、なにがあった。攻撃を喰らったというのか。あれが本当に攻撃なのか。

 リジェッタは三階がある位置に開いた大穴を見て喉奥を詰まらせた。真っ黒な汚泥が凄まじい勢いで這いずり出てくる。こちらへと迫って来た。

 汚泥の山から伸びた腕が十重二十重と束になってリジェッタを狙う。爪が悪鬼の矢となって標的を穿たんとする。

 リジェッタは真横に跳び、距離を取ろうとした。

 見当違いの方向に跳んだ黒影の腕が地面や他の建物に激突する。そのまま融けて本体との繋がりを失う。

 それでも、体積は一向に減らない。むしろ、増大するのみだ。

 いや、無限に増殖するなどありえない。本物の破壊王代理でさえ、あくまで他の魔物や人を喰らった分だけ体積を増やしているだけだ。細胞分裂に必要な栄養さえ失えば、あとは減衰するだけ。

「つまり、ダメージを与えるだけ与えて弱らせる。ふふふ。これはなんとも、難しいご注文ですわね」

 そのときだった。

「《偽竜》! これはいったいなんじゃ!?」

 切羽詰まったカレンの声が飛んだ。その後ろには彼女の部下がいた。

 そうか、その手があったか。

「カレンさん! 今は詳しく説明している時間はございません。ですから一つ、頼みがあります」

「あん、頼みじゃと?」

「あれを倒すためです。無論、先に逃げても構いませんが」

 するとカレンがニヤリと笑みを濃くした。

「こんなところで逃げるわけなかろうが。これだけの大舞台じゃ。無論、最後まで付き合おう。そうじゃろう!」

 カレンの気合に、部下が雄叫びを上げて応える。

 歓喜に胸を震わせながら、リジェッタは言った。

「では、今すぐ集めてほしい物があります」

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