第三章 ⑥


「顔色が優れないようですが、コッセルさんを呼び戻しますか?」

「い、いや結構だ。お前の方こそ、ほ、包帯を替えるぞ。身体を起こせ」

「ふふふ。はいはい」

 言われた通りに上半身を起こす。赤マントが身体を近付け、リジェッタへと手を伸ばす。

「……お前は、全身に魔造手術を施したのだろう? その容姿自体にも手を加えたのか?」

「いえ、内側と比べれば外側にはほとんど手を加えていませんわ。せいぜい、体内面積が上がった分の皮膚を追加しただけです。それと手術痕を消してあります。ああ、もしかして私が醜いでしょうか?」

「違う! そんなつもりで言ったのではない!」

 即座に否定され、リジェッタは目を丸くした。

 赤マントが包帯を剥がしつつ、言葉を続ける。

「少なくとも、お前は綺麗だ。これまでに出会った者達の中でも、群を抜いている。まあ、私の知っている御方には遠く及ばないが」

「あら、随分と慕っているのですね」

「まあな。私は、あの御方のために生きている」

 随分と熱のある言葉だった。それは、母を慕う子供の心が透けるようで。リジェッタは、失礼だと想いつつも一つ踏み込んだ。

「その方というのが、ワイバーン騎士団へ侵入しろと命じたのですね?」

「……さ、さあ、なんのことだか」

 確信した。

 この子は、こっちの世界に慣れていない。

「なんだ、こっちを見るな。なにが言いたい?」

「ふふふ。なんでもありませんわ」

「ふん。おかしな奴だな」

 ぶつぶつ言いつつ、赤マントがリジェッタの左肩に巻かれている包帯をほどいていく。途中、その手がピタリと止まってしまった。

「こ、これは」

「胸が大きいですか?」

 赤マントがゴクリと生唾を飲み込んだ。

「確かに、この大きさはたわわに実ったメロンって違う! なんでそうなる!? なんでそうなる!? 私がいつ、お前の胸を見た!?」

「この部屋にいる間、結構な頻度で視線が私の乳房に向けられていますが?」

 指摘され、赤マントが黙り込んだ。

 リジェッタの表情が、慈母と肩を並べる。

「なにも恥じることはありません。人は、己が持たざるなにかに憧憬を抱くものです。それが財産であったり、地位であったり、乳房だったり。大丈夫です。その慎ましい胸を好いてくれる者は必ずいますから」

「見るな! そんな優しい目で私を見るな! ともかく今から私は包帯を巻く。そのことだけに集中する。分かったか!?」

「うふふ。はいはい」

 フードに隠れていない顔の下半分まで真っ赤になっていた。赤マントが口を真横に引き結んで作業を続ける。

 すると、また手が止まってしまった。

「……驚いたな。もう傷口が塞がっている。これが《偽竜》の自己治癒能力だとでもいうのか?」

「この分なら、三時間もしないうちに完治するでしょう」

「対物破壊小銃の二十ミリ口径だぞ? 狼男でさえ上下に引き裂くだけの威力がある。それを、たったの三時間だと!?」

 信じられないと、赤マントが首を横に振った。

「もしかして私は、医者を呼ばずとも良かったのか?」

 そこまで言って、赤マントが慌てて両手を振った。

「い、いや、勘違いするんじゃないぞ! 私は『お前にとっては軽傷だったのか』という意味で言ったのだ。けっして『こんなことなら治療費が無駄だった』という意味で言ったのではない。本当だぞ!?」

「うふふふ。分かっていますよ。それに、必要な治療でした。砕けた骨を取り除いて縫合したからこそ、三時間で済むのです。ただの自己治癒に任せるのなら、いらぬ骨片を融かして肩を再構築するまで半日はかかったでしょう。そんなに眠ってしまうと、冬眠してしまいますわ」

「それでも半日か。やはり、魔造手術というのは効力が絶大だな。私の想像を絶する力だ」

「けれど、万能ではありませんわ。実際、私は負けかけていましたから。あなたに助けられていなかったら、どうなっていたでしょうか」

 リジェッタに限らず、魔造手術によって屈強な力を手に入れた者達を倒すもっとも効率的な方法は不意討ちだ。

 毒殺に暗殺、そして狙撃。どんなに強靭な爪も牙も、遥か遠くから狙撃する敵には当たらない。

「それに、私の身体は燃費が悪いのです。日常生活では問題ありませんが。封印を解くのは、かなりのエネルギーを消費しますから」

「封印?」

「魔法ではありませんわ。私自身が私へと科している制約です。人間としてのカタチから外れる強化といいましょうか。あの腕がそうであるように」

 細胞を活性化させ、一時的に増大させる。成人男性なら何週間もすごせるだけの栄養を一気に消費するのだ。持続性などなく、短時間でしか活用出来ない諸刃の剣である。

「だから、私は銃を使っていますの。これでも、昔は銃一つで旅をしていたこともありますわ」

「ふむ。一つの力に過信していけないということか。私も、よくと覚えておこう」

「あなたは、ナイフを使うのが得意ですね。他には、なにかあるのですか?」

「銃も、少しなら使える。それと、最近が体術も勉強中だ」

 根が真面目なのだろう。危険を顧みずこちらを助ける辺り、まだまだこちら側の世界に染まっているとは言えない。

「《偽竜》は、一人なのか? 家族はいないのか?」

「今は一人で暮らしています。家族についてはよく覚えていません。私がいた村は、もう滅んでしまいましたから」

 赤マントが小さく息をのんだ。

「……す、すまん」

「いえ、気になさらず。この街に住む者なら、誰であれなにかしらの事情を抱いています。あなたも、そうではないのですか?」

「それでも、すまなかった」

 声を聞く限り、本当に落ち込んでいるのが分かる。

 この赤マント、人を切ることに躊躇なくとも、どこか心の弱さを克服しきれていない。

「あなたは、可愛いですね」

「どういう意味だ?」

「うふふふ。可愛い子に理由などありませんよ」

「い、意味が分からん。あ、やめろ。頭を撫でるな。だからやめろ、この、馬鹿、フード越しに頭をわしゃわしゃするなぁああああああ!!」

 赤マントが腕を振り払おうとするも、フードが外れないように掴むので精一杯だった。それをいいことに、リジェッタはさらにわしゃわしゃと頭を撫でる。

「赤マントさんはここで一人暮らしなのですか? うふふ。私と一緒に住みますか?」

「こ、断る。絶対に危険だ」

「そんなことありませんよ。私、朝は目玉焼きを乗せたトーストを食べるのが宗教でして。塩胡椒をたっぷりふったハムステーキがあると大変嬉しいです。あと、紅茶も。それと、マフィンなどあれば言うことないのですが」

「家事を押し付ける気じゃないか! お前そんなのでいいのか!? 《偽竜》だろう? イーストエリアでは有名な掃除屋だろう? もう少し威厳というものを持ったらどうだ!」

「竜とは、家事をしないものです」

 世界のどこかで竜が『いや、寝床の掃除くらいはする』と嘆いたような気がした。まだまだ、この世には知らないことが多い。

「包帯を巻き直したらおとなしく眠っていろ。私は食料を手に入れてくる。いいか、おとなしくしているんだぞ」

「はいはい。分かりましたわ」

 こんな風に、誰かに治療してもらったのはいつ振りだろうか。コッセルのような金目当てではなく、借りを返すためなど。久しぶりに感じる他者の優しさ、その温もりが心地良くてリジェッタは静かに目を閉じた。心の内で、左腕に伝う鈍い痛みと包帯の感触を想った。

「赤マントさん」

「なんだ?」

「助けてくれて、ありがとうございます」

 赤マントが、また手を止めてしまう。ただ、その肩が小さく震えていた。

「……別に」

 ぷいっと、赤マントがそっぽを向いてしまった。

 音を立てながら薪が崩れた。暖炉がくしゃみでもしたかのように、灰色の煙がわずかに吐き出される。

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