第三章 ④


 気付いたらベッドの上だった。

 腹筋の力だけで上半身を起こし、リジェッタは首を傾げた。

「まあ、ここはいったいどこかしら?」

 狭い部屋だった。壁は木製で、安い造りだった。リジェッタが寝ていたベッドに、丸テーブルと椅子、棚、クローゼットがある。暖炉の中で薪が燃えていた。おそらくは、どこかの集合住宅だろう。窓にはカーテンがかけられていた。

 ベッドから下りようとするも、左肩に鈍い痛みが走った。よく見れば、包帯が巻かれていた。少しだけ血が滲んでいる。

 段々と記憶が戻ってきた。

 そうだ、私は撃たれたんだ。

「お、起きたか。調子はどないやー?」

 陽気な声と共にドアが開けられた。部屋へと足を踏み入れたのは、リジェッタの知っている人物だった。

「まあ、コッセルさん。お久しぶりです。お元気でしたか?」

 コッセルと呼ばれた外見だけなら愛らしい少女が、ケラケラと笑った。

「ぼちぼちやなー。そっちはどないや? まあ、うちが治療したんやから元気百倍っちゅうもんやろう」

 コッセル・イースト・バラグレイは医者だ。ただし、頭に〝闇〟が追加されるが。

 帝国どころか、どの国の医術協会にも属さず、非合法の商いをモットーとしている。それでも腕は一級品で、魔造手術を確立させた《始まりの四賢者》の一人だ。リジェッタの身体も、全てコッセルが手を加えている。イーストエリアでは、もっとも優れた医療技術を持つ。

 外見は十代中頃か。リジェッタよりも頭一つ分背が低い。肩まで伸びる黒髪はワカメのように波打っていた。肌は白を通り越えて病人のように青白い。されど、ぱっちり開いた双眸を染める金色は酷く眩しい。それは、好き勝手に生きる人間特有の無制限な精気だった。

 見た目だけなら少女特有のか弱い肢体で、纏う白衣はお世辞にも似合っておらず、まるで仮装だった。袖から、指の第一関節までしか見えない。

「悪くない気分です。やはり《紅蝙蝠》の名は伊達ではありませんね」

「あったり前や。うちの腕は世界が認めているんやからな」

「うふふふふ。そういえば、バルグライ教徒の方達はお元気ですか?」

 南のアズラエル聖領から漏れた狂信者達だ。彼らの目的は魔造手術による人類からの脱却であり、ただの人間を抹殺することを日課としている。

 中央区を通さずに東へと密入し、百人以上の犠牲者を出した。ゆえに、リジェッタに依頼が飛び込んだ。

「ああ、あれか? もう《偽竜》のせいで大変やったんやでー。《黒狗》ちゃんも困ってたわ。『なんとか生かしてくれ。じゃないと、証拠が作れんわい』って」

「あら、彼らの隠れ家を掃除してくれと頼んだのは警察の方々ですのに」

「そうやなー。けど、情報持ってそうな幹部連中は生け捕りしろって言われてたんやろ? だったら約束護らへんと」

「私が悪いのではありませんわ。ちょっと身体に穴が開いた程度で死にかける方達が貧弱なのです」

 リジェッタの言葉に、コッセルがヒラヒラと袖を振った。

「ハンカチとはわけが違うんやで。それに、あんさの場合はそのゲテモノ銃で腕とか足をポップコーンみたいに吹っ飛ばしたやろう。お陰で、うちは三日三晩徹夜で人肉パズルに洒落込むはめになったわー」

「まあ、それは大変でしたね。それで、息は吹き返したのですか?」

「なんとかな。けど、途中から面倒臭くなってなー。それで、良いアイディアを想い付いたんよ。証拠が欲しいなら脳味噌動いて口から言葉が出ればええんやろ? なら、他はそんなに気にしないで平気やって。パンケーキやって、ちゃんと焼けば蜂蜜でもラズベリーソースでも美味いやろう?」

「そうですね。大切なのは土台ですから」

 論理と人道が裸足で逃げ出す会話、二人共笑みを絶やさない。

「で、十人くらい? を、纏めて繋いだんや。口は三つ残ってたし、脳味噌もなんとか七人分はあった。腕と足も合わせて十九本あってな。全部纏めて繋げて、喋られるようにしたんや」

「まあ、すごい。やはり、コッセルさんは天才ですね」

「そうやそうや。で、これが奇妙な話なんやけどな。脳味噌の数と口の数が合わないから、喋るときに考えが纏まらんで上手く喋られへん心配があったんよ。なのに、三つの口がまったくの同時に言ったんや。『コロシテクレ』って」

 それを聞き、リジェッタが『まあ』と言った。

「やはり、教徒の皆さん。考えることは同じというわけですか」

「仲間意識ってもんやなー。最期に、ええ友情見させてもらいましたで」

 コッセルがうんうんと頷く。

 リジェッタは上品に微笑み、ふと気付く。

「はて、私はいつコッセルさんを呼んだのでしょうか。ここは、あなたの監獄いいえ病院ではないようですが」

「それはやなー。こっちの人からあんさんの治療を頼まれたんやでー」

 コッセルが、開いたままのドアから離れる。

 もう一人、部屋へと足を踏み入れた。

「起きたのか《偽竜》」

「まあ、赤マントさん」

 記憶が、また掘り起こされた。

「あなたがコッセルさんを呼んでくれたのですね。では、ここは、あなたの家なのですか?」

 赤マントがベッドまで椅子を近付け、腰を下ろした。リジェッタの左肩へと視線を向け、ほっと胸を撫で下ろし瞬間、そっぽを向いてしまった。

「ふん。どうやら、死なずに済んだらしいな」

 コッセルが、声なく肩だけを震わせて笑った。

「なぜ、私を助けてくれたのですか?」

 赤マントに、こちらに手を貸す義理などなにもないはずだ。あんな危険な目にあってまで助ける理由がどこにある。

 暖炉の中で薪が爆ぜた。ちゃんと乾いていなかったのだろう。火の粉が散り、遅れて灰色の煙がくしゃみのように広がった。

「あの日、助けられた。その借りだ」

「まあ、律儀なのですね」

「ふん。お前に借りがあるのは不本意だからな」

 吐き捨てるように赤マントが言った。

 すると、ずっと部屋の隅で黙っていたコッセルが二度三度と咳払いをする。

「ところで、うちへの支払いはちゃんとしてくれるんやろな?」

 赤マントが慌てて椅子から腰を上げた。マントの内側に手を伸ばし、財布らしき革袋を取り出す。林檎なら、半欠けも入っていないような膨らみだった。

「いくらだ?」

「二十万コルー」

「そうか、二十万か、はっ、二十万!? 弾と骨片を抜いて包帯を巻いただけだろう。なのに、どうしてそんなに高いんだ!?」

 憤る赤マントに対し、コッセルはむしろそっちが心外だとばかりに首を傾げた。

「あのなあ、お嬢ちゃん。なんでうちが闇医者って呼ばれているか分かるか? 普通の病院に行けない連中を相手にしているからや。そりゃあ、治療費なんぞうちの都合や。そっちの理屈で計算されても困るっちゅうもんや」

 正論だった。少なくとも、こちら側の世界では通すべき理屈だった。赤マントが歯噛みし、財布の紐をほどく。小さくうなった。

「悪いが持ち合わせがない。後で払うのは」

「駄目や。今、きっちり払わんと規則違反や」

「けど、ない物はなくて」

「だーめーやー。分割も後払いも駄目。今ここで、払ってもらうで。それが出来んなら、うちがええ金貸しさんを紹介しましょ。お菓子大好き氷屋さんやけど」

「氷は氷でも高利だろう!? 駄目だ。そういうのはあれだろう。最終的に借金を膨らませていやらしい店に売るんだろう!?」

 わななく赤マントの姿に、困り顔になったコッセルはリジェッタへと視線を向けた。言外に目が言っている。『なんとかしてくれ』と。

「コッセルさん。私の服を取ってくれませんか?」

「はいな」

 コッセルが即座にテーブルの上にあったリジェッタの服を本人へと手渡した。

 リジェッタは左脇腹部分にあるポーチへと手を伸ばし、輪ゴムで筒状に纏められた紙の束を取り出した。

 赤マントが短い悲鳴を上げた。

「足りますか?」

 コッセルが紙筒を受け取り、輪ゴムを外す。それは紙幣だった。赤マントが声なく驚いている間に、闇医者がにこやかに枚数を数える。

「十八、十九、二十。確かに、毎度ありー」

「治療、ありがとうございました。それと」

 リジェッタが、また紙筒を取り出す。それも、さっきと同じ太さのを三本も。

 赤マントが膝を折りかけ、慌てて踏み止まった。

「今日、あなたはリーディングパークで散歩をしていた。そうですわよね?」

 紙筒を再び数え始めたコッセルが、にやりと笑った。

「そうやねー。今日はとっても暇やったから公園に行って散歩してたんよー。それで、お天道さんがポカポカ気持ち良くてなー。ついつい、お昼寝してしもうてん。変な夢視たわー」

「うふふふふ。夢とは起きると覚えていないものですわ」

「そうやねー。すっかり忘れてしもうたわー」

 リジェッタ達のやり取りに赤マントが唖然としていると、コッセルが鞄に紙幣の束を入れつつ片目を閉じた。

「あんさんもこっち側で長生きしたいなら、基本くらい覚えておくものでっせ。ほら、うちはこの辺で」

 そう言って、コッセルはそそくさと部屋を出て行ってしまった。

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