第52話 エピローグ

 



 

 天和3年7月3日(新暦1683年8月24日)。

 松平上総介忠輝が没した。

 享年92。


 25歳で別れた正室・五六八姫の逝去に遅れること22年後の大往生だった。

 古来より中流ちゅうる(近流と遠流の間)の地とされてきた諏訪に配流替えになって58年。長い歳月の間には、預かる側の高島藩主も、諏訪氏初代・頼水から2代・忠恒へ、さらに3代・忠晴へと代替わりしたが、各代の藩主とも、身内や敬愛する先達に対するように情愛の籠もった処遇を心がけてくれたことは、刻々と進みゆく時代からひとり置き忘れ去られた格好の忠輝にとって、何よりの慰めとなった。


 中央の仕置きにおいても、3代将軍・家光から4代・家綱、5代・綱吉へと代替わりするたびに、もともとの罪状さえ判然としなくなる一方の諏訪の流人への監視の目は、自ずから緩んでいった。


 もはや往時のように謀反を企てる意欲なしと見なされたのか、いつのころからか外歩きを看過されるようになった忠輝は、高島城下の浄土宗迎冬山貞松院月仙寺の和尚と出会い生涯の朋輩の契りを結び、寿命が尽きるまで互いに親しく往来した。


 膝を交えて碁を打ち、書画の筆を執り、謡を唄い舞い、ときに「野可勢の笛」を吹き散らすなどして、身分や立場を越えた交流を両者ともに心ゆくまで楽しんだ。


 雪解けのせせらぎを聴きながら。

 春雨に濡れる若葉を愛でながら。

 降り注ぐ蝉しぐれに浸りながら。

 小春日和の日差しを浴びながら。

 牡丹雪が降る庭園を眺めながら。


 真実の親友だけに許される、訥々とつとつとした会話が交わされたやもしれぬ。


「和尚。『野可勢の笛』には、いささかの仔細がございましてな」

「ほう、如何様な?」

「いや、やめておきましょう。いまさらの未練など、言わぬが花」


 というような……。


「前半生で出会った人たちが、近頃は急速に遠ざかって行きます」

「記憶の風化、ですかな」


「自分と同じく歳を重ねている事実を、認めたくないのでしょう」

「なるほど。いつまでも若いままの奥方であってほしいのですな」

「いやはや、恐縮至極」


 というような……。


「わが父上は、結局、男盛りに成した男子のうち、兄上(秀忠)ひとりしか認められなかった。天下取りの基盤ができたのちに成した末弟どもは、全員が無事に生き永らえております」「偉大な方のかげには、決まって泣く方がおられるもの」


「だが、いまとなってはどうでもいいこと。思い出せぬほど遠い昔から飼い殺しに置かれ、だれにも心の内を打ち明けられずにいたわしに、最後の最後に和尚のような佳き方を贈ってくださったことこそ、デウスのお恵みと深く感謝しております」


「拙僧こそ、上総介さまのような方とご一緒に、趣味三昧の日々を愉しめるとは」


 というような……。


「この笛をわしに託した父上の御心が、少しわかるような気がしてまいりました」

「それは重畳にて」


「念願の天辺に登り詰めたら、天上の御仏にははるかに及ばぬことに気づかれた。一時は天下を取った織田も豊臣も、いずれも滅ぼされている。徳川だけ例外という保証はどこにもない。であればせめて、跡取りの兄はやむを得ぬとしても、訳あって異端に置いた息子だけは虚しいまつりごと争いに巻き込まずにおきたい、と」「ご卓見でございますな」「いや、お恥ずかしい。いささか深読みに過ぎましょうか」


「月影の至らぬところはなけれども ながむる人の心にぞすむ」

「法然上人さまの御教みおしえですな」


「南無阿弥陀仏を称えれば、だれもが救われると御開祖さまが説いておられます。御仏は人を選ばれません。善人でも悪人でも、あるいは善人を自負する大悪人でも等しく救ってくださいます。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏……」


「天下取りどころか、海の彼方まで掌中におさめようと夢見たわしは、朝鮮出兵を企てた太閤さまの上を行く、どうしようもない極悪人であったやもしれませぬな」


 というような……。


「人間とは、いや、さように曖昧な文言では、問題の核心を外しかねませぬ。わしという人間とはと言い改めるべきでしょうな。未熟が小袖を着て恥ずかしげもなく闊歩していたような、わしという人間とは、まったくもっておかしなものですな」

「ほう、如何様に」


「いまはかように老いさらばえたわしも、若かりし頃はあり余る煩悩を持て余し、随所で面倒を引き起こしては迷惑をかけておりました。しかし、長い幽閉暮らしで雪に晒されたように欲という欲が消え失せ、物体のごとき存在になり果て申した」

「結構な仕儀にて」


「執着するものを持たぬ身は、死に対していささかの恐れもありませぬ。いまこの瞬間に命の灯が消えたとしても取り立てて騒ぐにあたわず。つい先刻までしていた息をしなくなった、ただそれだけのことに過ぎぬ。さような心持ちがいたします」

「生き仏の域に達せられましたな」


 というような……。



      *


 

 ――寂林院殿心誉輝窓月仙大居士。

 

 御公儀の厳重な検分を受けた遺骸は、唯一無二の朋輩となった和尚が身を挺して守る貞松院に葬られ、愛用の「野可勢の笛」を初め遺品のかずかずも、すべて同院に納められた。


 ものみな凍り付く厳寒期の早暁、


 ――ピシッ、ビシッ、ゴゥッー。


 荘厳な御神渡りの亀裂音と共に、


 ――ピューラリー、ララリーラ、ラリ―ラリーラ。

   ヒューラリー、ララリーラ、ラリ―ラリーラ。


 謡曲『景清』を奏でる2管の美しい笛の音を、たしかに聴いた……。

 そう囁き合う人びとが、その後、何年もあとを絶たなかったという。



      *


 

 忠輝のふたりの息子のうち、生母・茶阿局と同じく鋳物師あがりの側室・竹ノ局が産んだ徳松は、忠輝の改易で母・竹ノ局と共に武蔵岩槻藩主・阿部重次の預かりとなっていたが、罪人並み扱いの冷遇を恨み、寛永9年(1632)、屋敷に火を放ち母親と共に果てている。享年18。忠輝41歳の出来事だった。


 正室・五六八姫が産んだ黄河幽清は、育ての親・秀雄と共に仏の道を貫いた。

 晩年、政宗の重臣・鬼庭綱元から譲られた下愛子しもあやし栗生の西館に住んで「西館さま」と呼ばれた五六八姫が寛文元年5月8日に没する(享年68)と、その法号を冠した天麟院の住職として亡母の菩提を弔った。真田姓の復活を乞い願いながらも、生涯、伊達家の家臣として仕えた片倉守信とも終生の交遊を結んだ。


 養子(孫)・景長に後継を託した片倉重長が没したのは、万治2年3月25日(享年76)。亡父・真田信繁の遺言でもある真田姓復帰の念願を、片倉守信を名乗った弟・大八の嫡男・辰信の代で見届けた阿梅姫が、両親や亡夫のもとに旅立ったのはそれから20年余りのち、延宝9年12月8日(享年79)のことだった。


 一方、3代将軍・家光から絶大な信頼を寄せられた千姫は、のちの4代・家綱の母代わりに、さらには、のちの甲府宰相綱重の養母にもなり、並外れて不遇だった前半生を補填するように充実した後半生を送った。千姫の養女として仏道に入り、天秀尼を名乗った先夫・秀頼の忘れ形見の静蘭姫は、縁切り寺として名を成す鎌倉東慶寺の住職になったが、正保2年(1645)に没した(享年37)。


 すべてを見届けた千姫の逝去は、寛文6年(1666)2月6日(享年70)。弟・家光(享年48)より15年を生き継ぎ、乳母・刑部卿局、小姓あがりの侍女・松坂局、大坂城以来の侍女・早尾の「千姫組」が最後まで忠実に仕えた。


 天樹院栄誉源法松山とおくりなされた遺骸は徳川家所縁の3か寺に分骨された。徳川将軍家の菩提寺である江戸小石川傳通院。家康や秀忠が深く帰依した縁で第10世照誉了学上人に落飾の戒師を依頼したときから菩提寺と定めていた、常陸の寿亀山天樹院弘経寺(現在の茨城県常総市)。それに京の浄土宗総本山知恩院である。


 将軍家に生まれたために数奇な生涯を送った祖母の菩提を弔うため、孫(長女・勝姫の娘)の奈阿姫が書写した「浄土三部経 紺紙金泥阿弥陀経」は、故人が最も帰依した常陸の寿亀山天樹院弘経寺に納められた。7歳のとき大坂城の豊臣秀頼に嫁いで以来、身近で千姫を守りつづけた持仏・阿弥陀如来像も同寺に奉納された。


 若き忠輝が夢見た諸国(世界)がじつは丸い地球上に展開する。文字どおり驚天動地の事実を窮理学地理学者・司馬好漢が初めて『地球図』に著したのは、忠輝の死から110年後の寛政5年(1793)。さらに正確を期した『新訂万国絵図』(天文学者・高橋景保作)の出版には、それから20年を待たねばならなかった。



      *


 

 ときは大きく移る。

 

 松平上総介忠輝の改易から370年後の昭和59年(1984)7月3日。諏訪貞松院で行われた300回忌で、徳川宗家第18代当主・恒孝が忠輝を赦免した。


 清々しい読経が流れる境内で、信長、秀吉、家康、天下人3代の手を経て最後は忠輝に託された「野可勢の笛」は同院の書庫で、凄みのある黒光りを放っていた。

                                 【完】


 

 *参考文献

 今井広亀著『諏訪高島城――諏訪の神氏系図』(1790年 諏訪市教育委員会)

土生慶子著 『伊達政宗娘 いろは姫』(1987年 東光出版)

若城希伊子著 『政宗の娘』(1987年 新潮社)

平岩弓枝著 『千姫様』(1992年 角川書店)

読売新聞東北総局編 『白石城物語』(1995年 ㈶白石市文化体育振興財団)

内田啓一著 『江戸の出版事情』(2007年 青幻舎)

真田徹著 『真田幸村の系譜 直系子孫が語る400年』(2015年 河出書房新社)

『呪術と祈祷の日本史』(2015年 別冊宝島2413号 宝島社)

ほかにインターネット情報を参考にしました。

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野可勢の笛――松平忠輝と姫たち 上月くるを @kurutan

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