第50話 野可勢の笛⑦ 🌸忠輝・幽清、笛の競演





 やうやう 御急ぎそうろうほどに。

 これは早 日向ひゅうがの国 宮崎とかやに 御着にて候。

 ここにて 父御の御行方を 御尋あらうずるにて候。

 

 平家の没落後、源氏の世を拒んで自ら両眼を抉った景清は捕らえられ、日向国に流された。侘しい藁屋住まいの乞食こつじきに落ちぶれた父を訪ねた娘を、いったんは追い返した景清だったが、里人のとりなしで対面し、請われるままに屋島合戦の模様を語り聞かせる。相座すときの経過と共に親子の情愛は深まる一方だった……。

 

 ♪ 松門独閉ぢて。年月を送り。

 みづから。清光を見ざれば。

 時の移るをも。わきまえず。

 暗々たる庵室に いたずらに眠り。

 衣寒暖に与へざれば。膚は骨と衰へたり。

 

 落魄の身を恥じる景清の嘆きが、いまや佳境に差しかかろうとしたそのとき、


 ――ヒューラリー、ララリーラ、ラリ―ラリーラ。


 闇に没した南ノ丸の忠輝屋敷の方から、ためらいがちな笛が嫋々と流れ出た。

 

 ♪ 秋きぬと 目には さやかに 見えねども。

 風の音信 いづちとも。知らぬ迷の はかなさを。

 しばし休らう 宿もなし。

 

 時機を逃すまいと、すかさず秀雄が唄う。

 幽清の篠笛も、切々とあとを追った。

 

 ♪ 声をば聞けど 面影を見ぬ 盲目ぞ悲しき。

 名のらで過ぎし 心こそ なかなか 親の絆なれ。

 

 とっぷり暮れた諏訪湖の彼方此方の2管の笛が、得も言えぬ和音を奏で始めた。

 湖底に眠る、いにしえびとの魂魄にも届けよとばかりに……。

 

 ♪ 万事は皆 夢の中のあだし身なりと 打ち覚めて。

 今は此世に なきものと。思ひ切ったる乞食に 乞食を。

 悪七兵衛景清なんどと。呼ばは此方が 答ふべきか。

 

 謡が泣き、舞いが泣き、篠笛も泣く。

 凝然と首を垂れて、重長も泣いた。

 

 ♪ 親子と名のり給ふならば。

 殊に我が名も あらはるべしと。

 思ひ切りつつ過すなり。我を怨と思ふなよ。

 

 そこで幽清の篠笛がぴたりと止まる。

 だが、もう1管の笛は奏でつづける。

 合わせて秀雄も謡い、舞いつづける。

 

 ♪ 昔忘れぬ物語。

 衰へはて心さへ。乱れけるぞ恥かしや。

 此世はとても幾ほどの。命のつらさ末近し。

 はや立ち帰り 亡き跡を。弔ひ給へ 盲目の。

 くらき所のあしき道橋と頼むべし。

 さらばよ 留る行くぞとの。只一声を聞き残す

 これぞ親子の形見なる これぞ親子の形見なる。

 

 父子の笛の共演は、忠輝、幽清、重長、秀雄、4人4様の慟哭のうちに果てた。


 笛も謡も、秋祭りの笛太鼓の音までも、ふっと掻き消されたように、すべての音が止んだ諏訪湖上に、現世うつしよのものとは思われぬ不気味な静謐せいひつが舞いもどって来た。

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