第47話 野可勢の笛④ 🌸黄河幽清、諏訪へ出立



 

 

 同年9月1日(新暦10月14日)の寅の刻。


 朝霧が立ち込める仙台城西屋敷から、3体の虚無僧がひそかに信濃へ旅立った。

 先頭の中老は片倉重長。若僧の黄河幽清を挟み後方を大老の秀雄が守っている。


 藍の無紋の着物に男帯を前結びにし、首には袋、背中には袈裟を負う。頭に天蓋てんがい(深編笠)をかぶり、脚には脚絆、5枚重ねの草鞋を履き、甲掛を付けた手には1管の尺八を持つ。


 そこまでは一般の虚無僧と変わらないが、中央の若僧が腰に結わえた袋の中身は予備の尺八ではなく、1管の小ぶりな篠笛で、真新しい着物のふところには、まだ見ぬ父の生き形見の懐剣を忍ばせていた。


 未明びめいに溶けゆく3つの人影を、物陰からそっと見送る男女のすがたがあった。


 胸のロザリオを握り締める五六八姫を守るように後方に控えているのは、想いを遂げて若侍に嫁したのちも、変わらず西屋敷に通ってくる侍女の茜音。かたわらにたたずむ小柄な老人は当年64歳の伊達政宗で、依然として江戸屋敷に人質として留め置かれている正室・愛姫の分まで、日陰の孫息子の初旅の無事を祈っていた。


 ――ささずとも誰かは越ん関の戸も 降うづめたる雪の夕暮

   なかなかにつづらをりなる道絶て 雪に隣のちかき山里


 諸芸に長け、歌も能くする政宗が詠んだように、雪は旅程の大敵である。


 ――首尾よく目的を果たし、雪が来ぬ間に帰仙せねば。


 冬将軍に急かされるように先を急ぐ虚無僧一行の力強い味方は、遠い昔のわずかな縁を頼りに重長が江戸城の千姫の温情に縋った3人分の関所の通行手形だった。


 ――弟(3代将軍・家光)も寛大な目こぼしをしてくれるはず。


 流麗な筆跡のさりげない行間が隠密旅の先頭に立つ重長の心を明るませていた。


 江戸で生まれ、幼時に仙台へ移された黄河幽清にとって物心ついて初めての旅。

 見るもの聞くもの、匂い、感触、旅先で出会うことごとくが珍しく新鮮だった。


 絢爛豪華な錦を広げる紅黄葉が行く先々で一行を歓迎してくれ、烏が食べ残した熟柿や、わずかな風にも他愛なく靡く芒の穂までが一期一会の旅愁を奏でている。


 奥州街道と日光道中を通って江戸へ出た一行は、新宿から甲州街道を西上する。


 道々の宿場では愛らしい町娘に目を奪われる年頃の幽清を、ふたりの大人が微笑ましく見守り、旅籠に草鞋を脱ぐと、重長と秀雄の疲れた足腰を若い幽清が甲斐甲斐しく揉んだ。そうしながらも幽清の心はまだ見ぬ諏訪の父のもとに飛んでいた。


 八王子を過ぎ、出湯の石和を経て、武田信玄公が躑躅ヶ崎館を置いた甲府、さらには織田勢に攻められた勝頼が自ら火を放った武田氏最後の新府城跡が残る韮崎を過ぎると、甲斐路に別れを告げた甲州街道は、いよいよ目指す信濃に分け入った。

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