第45話 野可勢の笛② 🌼片倉家の出自は諏訪大社
大坂ノ陣でなにもかも失い、天涯孤独の身の上になった阿梅姫にとって、この世で唯一の頼りとする夫と、実は神代のむかしから繋がっていたという事実は、姉弟揃って縁もゆかりもない家に養育してもらうしかない惨めな境遇を支える、強固な矜持となっていた。
素直な讃辞を惜しまぬ妻と侍女を前に、重長の先祖語りはますます熱を帯びる。
「よいか、ここからが要諦なるぞ」
「はい。なんだか緊張いたします」
「諏訪大社のご祭神は、上社本宮が建御名方神さま、上社前宮と下社が奥方の八坂刀売神さまであらせられる。ちなみに、正月から如月にかけての厳寒期、諏訪湖の凍った湖面を凄まじい炸裂音と共に南北に亀裂が奔る
「まあ、素敵でございますわ。なんと浪漫的なお話なのでしょう」
うっとりと相槌を打つ阿梅姫に、重長は厳かに駄目押しをする。
「わが遠祖の片倉辺命さまは、ご夫妻の直系であられるのじゃ」
「まことに畏れ多いことにございます」
「まあ、聞くがいい」
目を輝かせる阿梅姫に、重長は片倉家に伝わる神話を話して聞かせた。
――因幡の白兎。
悪辣な兄神たちに酷い目に遭わされていた兎を助けた縁で国を任されることになった大国さまこと大国主神にまつわる昔話を、そなたも耳にしたことがあろう。
かくて、わが麗しの水穂国は大国主神さまがお治めになっておられたのじゃが、あるとき、天上から下界をご覧になった天照大神さまは……このあたりの成り行きはまことに人間くさいのじゃが……にわかに凡庸な母としての煩悩に目覚められ、
――かように繁栄する国は、ぜひともわが息子に治めさせたい。
残念至極にも、神さまにあるまじき邪心をお持ちになった。
でな、思い立ったが吉日とばかりに、さっそく交渉の使者を派遣したのじゃが、大国主神さまはなかなか「うん」と仰られぬ。まあ、当然といえば当然だわな。
――ええい、どいつもこいつも役立たずな!
こうして3度目の使者として遣わされたのが、剣の神の建御雷神さまだった。
しかし、たとえだれが派遣されようと、他者が治めている国を横合いから力づくで略奪しようというのだから、ことがそう簡単に運ぶわけがないのは当然じゃ。
――わるいことは言わぬ、女神の仰せにはおとなしく従うておくほうがおぬしの身のためじゃと? へん、おめおめと女の手先に成り下がりおって、男の風上にも置けぬ
大国主神さまに体よく断られた建御雷神さまは、こうなったら自慢の武力で押しきるしかないと思い決め、出雲の伊那佐の浜に自分の
そして、その上に大胡坐をかくと、「わしの偉大な底力を思い知ったであろう。どうじゃ、これでもまだ国を渡さぬと申すか」とばかりに、大いに凄んでみせた。
大国主神さまのふたりの息子のうち、兄の
その心意気やよし!
応援したいところではあるが、相手が粗暴な建御雷神さまでは勝ち目がない。
あえなく敗れた建御名方神さまは、はるかに東方の信濃(科野)
これにて一件落着となるはずだったが、実は取って置きの後日談があるのじゃ。
建御名方神さまが逃げ延びた諏訪地域を司る諏訪大社には、古来より、
ふたたび戦いを仕掛けた建御名方神さまは、地霊精霊の代表・洩矢神を倒した。
その結果、古来からの地霊精霊は新参の建御名方神さまの傘下に下り、諏訪大社の
「あらまあ、ずいぶん荒っぽい神さま方ですこと」
重長の力瘤を外すような阿梅姫の無邪気な反応に、侍女の蘇鉄もくすっと笑う。
だが、女人ふたりの無礼を咎め立てもせず、重長は家長らしく鷹揚につづけた。
「まあな。だがな、室よ。外から入って来られた神さまと、もともとこの土地を守っておられた地霊精霊の諸神の方々が仲良く同居なさっておる。そこに諏訪大社のふところの広さがある。さようには思わぬか」「たしかに、仰せのとおりにて」
「それが証拠に、北は蝦夷から南は琉球まで、わが
「あまりに膨大に過ぎ、如何様に思いを巡らせてみても想像が追い付かぬが、倭国広しといえど、かように茫洋として掴みどころがない神社は、ほかにはあるまい」
童女のように顎を上げ下げした阿梅姫は、居住まいを正すと畳に指をつかえた。
「偉大な神さまの末席に連ねさせていただき、まことに光栄至極に存じます」
年若い継室にべた惚れの重長は、ただでさえ伸び気味の鼻の下をさらに長くし、傍で見ている者がきまり悪くなるほど、他愛もなく、くしゃくしゃに相好を崩す。
可憐に小首を傾げながら、阿梅姫は、ふと付け加えた。
「なれど、殿。いまのお話、いささか面妖に存じまする」
「なんじゃ、どういうことじゃ。遠慮のう申してみよ」
「二度と諏訪の外へは出ぬという建御名方神さまのお誓い、あれはいつから反故になったのでございましょう。一歩も出ぬと仰せの口裏で、秋津洲の各地にご自身のご分身を、それも撒きも撒いたり、実に25,000体もばら撒かれたとあっては、建御雷神さまとのお約束の筋が違えてまいるのではないかと、末裔の端っこに連ねさせていただく身としては、いささか、いえ、かなり心配になってまいりますが……」
思ってもみなかった急所をずばり突かれた重長は、並みの夫たちのように体面を汚されたとして立腹するどころか、むしろ欣喜雀躍せんばかりに大喜びして、近頃ますます後退を深めている広い額を、ぴちゃぴちゃと音を立てて叩いてみせた。
「いや参ったな。見事に一本取られたわい。さすがは左衛門佐さまのお血筋じゃ。さように奇想天外な発想は、この小さき頭の何処から湧き出るのであろう。内部を覘いてみたくて堪らなくなる。こやつめ、またまた惚れ直してしまうではないか」
いやはや……。
興奮と緊張の宵は、しんしんと深まりつつあった。
やさしい弥生の闇に溶け込んだ3階櫓から眼下に見晴るかす白石城下には、ほんのりと薄墨に色づき始めた幾万の桜の蕾が、満を持して開花のときを待っている。
夏ノ陣のあと早々に全国の大名に向けて発布された一国一城令でも、とくべつに別格扱いとして破却を免れた白石城は、南北に長い仙台藩の所領のうちで奥州街道の最南端、つまりは最も危険な江戸寄りに位置している。
南方の敵から仙台藩を守る、軍事上の要衝拠点となる白石城下の経営は、民百姓に篤い片倉重長の善政と、主君・政宗の手厚い保護のもとに順調に進んでいた。
――主君第一。
先代・景綱の遺訓は、重長の代においても堅く守られている。
参勤交代の途次などに政宗が白石に立ち寄ると、常時、万全の手入れを怠らぬ「御成御殿」にご案内し、片倉家の主君であるとともに、真田家の救世主でもある大恩人のおもてなしに、重長と阿梅姫は夫婦で力を合わせ、誠心誠意、尽くした。
伊達家臣の松前安広に嫁したのちも白石城下に住まわせていた喜佐姫に2年前、長男・景長が誕生したので、かねてからの取り決めどおり重長の養子に入れた。
後継者出産の心労から解放された阿梅姫は、御殿医の診立てどおり、加齢による体質の変化もあってか、激烈な偏頭痛から、少しずつ解き放たれつつあるようだ。
その深更、重長は自室に片倉家の忍を呼び入れ、ふたりだけで密談を交わした。
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