第27話 流転の時代⑩ 🌸仙台城西屋敷の五六八姫




 

 元和6年10月10日(新暦1620年11月4日)。

 27歳の五六八姫は、早暁から落ち着かぬ時間を過ごしていた。


 この秋3度目の野分が晩のうちに蝦夷方面へ去ったばかりとあって、仙台城西屋敷の上空には、目の底まで染めるような勿忘草色わすれなぐさいろの空がどこまでも広がっている。小袖の身八つ口から忍び込んだ風が、わずかに汗ばんだ肌を心地よくなぶっていく。


 伊達政宗が五六八姫のために西屋敷を建てるとき、元の竹林を見映えよく残しておいた。名残の竹の葉を揺らせ、涼しげに渡る風の音が、ことさら耳に心地よい。


 真鯉や緋鯉が群れ遊ぶ大小の池の周囲を散策していた五六八姫は、

「いやあ、すこぶる満悦至極じゃ」娘のように華やいだ声をあげた。


「つい先頃までのうだるような暑さを思えば、ここはまさに別天地じゃのう。これだから秋は応えられぬ。百花が咲き競う春や、墨絵の如き冬景色も乙なものだが、わたくしはやっぱり今頃の季節が一番好きじゃ」謳うような語調を、つと変える。


「ところで、茜」

「はい」

「どこか儚げな瓜実顔にちらちらと竹の葉の青い影を走らせたそなたの別嬪ぶり、あらためて隅に置けぬと思うたぞ。さぞかし城内の武士どもを騒がせておろう」


 5年前、父・家康から勘当を宣告された松平上総介忠輝は、家康が没した翌年、異母兄の2代将軍・秀忠からゆえなく改易され、修験の伊勢朝熊へ配流となった。同時に正室の五六八姫は離縁された。


 当節の大名の常とはいえ、自ら政略の具に差し出した愛娘である。

 75万石の太守の妻として権高にときめいていた時代が幻であったかのように、惨めに尾羽打ち枯らして出戻った五六八姫を国許へ帰すとき、政宗は仙台城本丸の西方下に雪崩くだる大竹林に豪奢な屋敷を用意し、館まわりに廻らす庭園にも趣向の限りを尽くして、娘へのせめてもの詫びとした。


 西屋敷と名づけられた五六八姫の新居の東隣には、政宗の側室腹の弟・宗康の屋敷が建てられていたが、主の宗康は不在がちだったので、新参者には気楽だった。


「またまた、さようなお戯れを仰せになられて」

 いつにない上機嫌を、侍女の茜音は相応の諧謔で打ち返す。


「奥方さまこそ、今朝は格別にお美しくていらっしゃいます」

「世辞を申すでない」


「ご無礼ながら、今や遅しとご着到を待ち侘びられるお心の内が匂い出ておられますよ。間近で拝見しているわたくしの胸も、ひっきりなしに鼓を打っております」


 寡黙な茜音にしては珍しい長口説だが、肝心の待ち人の名は決して口にしない。


 ある日突然、栄華の絶頂の天国パラダイスから地獄ヘルへ引きずり降ろされ、得体の知れぬ獣や虫など有象無象の魑魅魍魎ちみもうりょうどもが這いずりまわる谷底からはるかに遠い空を仰ぎ、「だれか、助けて!」必至で腕を振りまわし、絶望の呻きをあげた。


 予想もしなかった真っ逆さまの墜落と地底への放擲ほうてきを、この世の究極の苦難を共にしてきた、いわば戦友同士の主従間に通い合う阿吽の呼吸だった。


 今日の五六八姫は、つと手を伸ばせばハラハラと散ってしまいそうなほど華奢な肢体をいっそう際立たせる豪奢な衣装をまとっている。


 金糸、銀糸の縫い取りに甚三紅じんざもみ、浅黄、翡翠、露草、紫紺、茄子紺などの色糸で、秋の野山に咲き乱れる渋めの百花繚乱を存分に透かせた絽の小袖で涼やかに微笑む艶姿には、同性の目をも和ませる可憐と、どきっとするほどの妖艶とが違和感なく同居していた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る