第15話 大坂夏ノ陣⑭ 🌸五六八姫のロザリオ






 五六八姫より2歳上の松平忠輝は、徳川家康の6男として江戸城で生まれた。

 母は鋳物師いもじ出身の茶阿局。


 どういうものか生まれついて実父の家康から顧みられることなく(面立ちが巌のように不器量だった、逆に、きわめて端麗で、信長の命で自刃させた長男・信康に酷似していた、母の出自が低かったなど諸説が伝えられる)、大勢の兄弟のなかでただひとり所領を与えられぬまま不遇に捨て置かれたが、双子の弟・松千代の夭逝によって潮目が変わり、8歳にして初めて武蔵深谷1万石を受領した。


 それからのちは、打って変わったとんとん拍子で、11歳で下総佐倉5万石を、12歳で信濃川中島12万石を加増された。


 翌年、奥州の雄として太閤秀吉をも畏れさせた伊達政宗との縁戚関係を天下取りの一石にしようと目論む父・家康の命により、政宗の長女・五六八姫と婚約した。


 絵に描いたような政略結婚は慶長11年(1606)春に実施され、それから4年後の同15年には、さらに越後高田を加増されて計75万石の大大名となった。


 同18年、徳川と伊達、当代2強のうしろ盾を従えた若夫婦は、江戸の松平屋敷から越後福島へ転居。翌年、政宗の強力な後援のもとに高田城の建築が始まった。


 幼少時の不遇が嘘のように順風満帆な日々にとつぜんの翳りが生じ始めたのは、父・家康の命で若き太守たいしゅを支えたふたりの家老をめぐる不可解な出来事、すなわち、花井三九郎の謎の怪死&大久保長安事件だった。


 不穏な波がひたひたと押し寄せて来る不気味な情勢下、大坂ノ陣が勃発した。

 冬ノ陣では留守居を命じられた忠輝に、夏ノ陣では一転して出陣命令が下った。


 だが、14歳のとき、就任から間もない2代将軍秀忠の名代として訪問した大坂城で、ひとつ年下の秀頼や、幼な馴染みでもある姪の千姫と夜を徹して語り合い、終生の友情の契りを結んだ忠輝には、理不尽な仕打ちとしか思えぬ大坂城討伐命令には、いかな父とはいえ、承服しがたいものがあった。自ずから腰が重くなった。それが傍目には消極的な不戦、あるいは故意の遅滞と映じたのかもしれなかった。



 かみしもの肩をいやが上にも四角四面に突っ張らせた松平勝隆は、家康直々の書状に認められた勘当の理由を、忠輝・五六八姫夫妻の面前で長々と読み上げている。


 ――ひとつ。大坂への途上、将軍の重臣・長坂血鑓九郎ながさかちやりくろうの弟らを斬殺し、詫びなかった一件。

 ――ひとつ。戦場に大幅に遅参したうえ、敵の首級ひとつ挙げなかった一件。

 ――ひとつ。戦後、越後高田への帰国時、許可なく間道かんどう信濃路しなのみちを通った一件。



 一方的に申し渡される側からすれば、


 ――ええ、ええ、そうでしょうとも。すべて仰せのとおりでございますよ。


 蓮っ葉に言って吐き捨てたくなるような、いわば為にする言いがかりに過ぎぬ、まことに大人げない条項ばかりが、仰々しく書き連ねられていた。


 いつも鑓先が血で染まっていて乾く暇がないですと? さように物騒な異名だけで素性がわかろうというものだが、将軍の家臣の縁故というだけで問答無用か?


 一に示された咎についても、二についても三についても、弁明の言葉がわれ先にせめぎ合っていたが、いまさらなにをどう言っても無駄なことは自明の理だった。


 

 重責を果たした満足感に髭面を紅潮させた使者がもったいぶった態度で引き上げると、変えられぬ現実にもどった五六八姫は、ようやく落ち着きを取りもどした。


「ことここに至っては観念するしかありませぬ。静かにお沙汰を待つがよろしいでしょう。かように申し上げてはなんでございますが、鬼や邪でもなし、べつだん取って食おうというわけでもなさそうでございますから、大事ありますまい」


 強気な妻の健気な励ましに、忠輝は無言でうなずいた。


 ――日頃は剛毅な殿が、さすがに悄然としておられる。


 自分が嫁いでくる以前から親しく忠輝に寄り添い、徳松という名の子まで成している側室・阿竹ノ方の存在を強く意識し、正室の沽券にかけてもなんとか夫の役に立ちたいと、年下だが姉さん女房のような舵取りを心がけてきた五六八姫である。


 ここを先途と忠輝を慰めた。


「殿の汚れなきご心情は、このわたくしが一番よく承知しております」

「ふむ、かたじけない」

「たとえなにが起ころうと、何処へ行こうと、デウスさまがお守りくださいます」


 豊かな胸元のロザリオを熱心にまさぐる妻に、忠輝はすがるような目を向けた。

 晩年にわかにキリシタンを弾圧した太閤秀吉からわが父・家康の御代に代わり、一時はゆるやかに思われた締め付けが、昨今は再びきびしさを増して来ている。


 取り締まる側の大名の妻が、いまだにこっそりとデウスを信仰している。まことに困った状況を見て見ぬふりでやり過ごしながらも、自身はいっこうに信仰に関心が薄かった忠輝が、妻の前で初めて見せた、神に対する真剣な眼差しだった。


 その夜、夫婦は変わらぬ愛を確かめ合った。


 ――最悪の場合、たとえ生木のごとく引き裂かれようとも、わたくしの心はどこまでもこの愛しい方のもの。デウスさま、わたくしたちをお守りくださいませ。


 夫の厚い胸の中で、五六八姫は譫言うわごとのように何度も呟いていた。

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