※ 掌の
――そうなんですよ。知ってたんです。コーヒーに入れる砂糖とミルクの数。普通は籠ごと持って行くじゃないですか。どれくらい使うのか知らないし。そうしたら今度は気になりますよね。肝心の田中さんの方はどうなんだろうって。そしたら、あの飲み会の時に……
「うぅん、なんで……」
話を聞いていたら、つい疑問に思ってしまった。考えても私には分かりそうにない。そんなの大きな声を出したつもりはなかったのに、向こうの方から田中さんが、何か?と驚いたように私の方を見ている。
「あ、いや。美大を出て、建築に興味を持ったというのは教えてもらったんですけど。何でスペインだったのかなぁって」
素直に、何故だろうと思っていた。日本国内にだって素敵な建物はあるし、それこそ、そのまま森本さんの元にいたって勉強は出来たはずなのに。
「畑中。スペインてのは凄い建築が沢山あるのよ。ほら、ガウディって知ってるでしょ。サグラダファミリアの」
「あぁ、あれってスペインでしたっけ。そっか、そっか」
千佳子さんの説明に、私はようやく合点がいく。田中さんは何も言わず、私たちのやり取りを見ていた。ただ自分の無知さをひけらかしただけだ、と気付くとちょっと恥ずかしい。そう思っていると、隣から意外な人が声を上げた。海さんだ。
「地球儀をグルグルって回して、指で止めたところにでも行ったのかなって思ってました」
少しだけ酔い始めた海さんが、ニコニコ笑いながらそう言うのだ。何それ面白い、と思って海さんを見ると、その奥で田中さんが目を丸くしていた。それから、気不味そうに、目を泳がせる。
「流石にそれはないわぁ」
「ですよねぇ」
その場は笑い話で流れていったが、田中さんの挙動はおかしなままだった。でもきっと、誰も気付いていない。
「海さん、珍しいですね。ちゃんと飲んでるなんて」
「たまにはね。何か今日は皆楽しそうだし、いいかなぁってさ」
海さんは、お酒が入って気が緩んでいるようだった。たまにこうして飲むのは問題ではないが、さっきの思い付きは何だったんだろう。あんなことを言うのは、本当に珍しい。本当に、酔っただけ、なのか。
――そんなことがあったのかって?そうなんですよ。海さんは笑ってましたけど、田中さんは、こう固まるって言うんですかね。本当に気不味そうにしてて。えぇ、私は見逃しませんでした。だから、そのあともね、ちゃんと見てたんですよ。
「海ちゃんは、最近どうなの?」
後から来た花枝さんが、急に海さんに水を向けた。彼女もまた、海さんの不幸さを心配しているようだった。
「何ですか、藪から棒に。皆さんにお知らせするようなことは、何もありませんよ。どうせ男運もないですし」
「そんなことないわよ。ねぇ、優奈ちゃん」
「いや、花枝さん。そんなことありますって。初めて聞いた時は驚きましたよ。そんなクズ男ばっかり集まりますかって」
「そうねぇ。この前のね、彼は酷かったかも知れないね」
「そうですよね。あんなの別れて良かったんですよ」
そこまで二人で話が合ってしまうと、流石の海さんも「いや、あんなのって」と止めに入る。そこまで元カレを庇うこともない気がするが、一度は好きになったのだから、そう思うのも不思議ではないのかと納得してみる。そんな時だ。挨拶回りをしていた田中さんが、「何の話ですか」と花枝さんの脇に腰掛けたのは。
「海ちゃんがね、男運ないって話よ」
「いやいや、話さなくていいでしょう。やめましょう、ね」
慌てた海さんが、花枝さんを制止する。状況を察した田中さんの顔には、しまった、と書かれているようだった。ちょっとだけ、意地悪したくなった私は、何も気付かない振りをして話を続けた。
「だって海さん。クリスマスの時の彼、酷かったじゃないですか。何で男って浮気するんですかね」
私を止めようとする海さんは、チラチラと下から見上げるように、気不味い顔を覗かせたのだ。二人を困らせたいわけでもないし、面白がってるわけではない。恋を諦めたような海さんに、幸せになってもらいたいだけ。
「ね、田中さん」
「いや、俺に聞かれても」
「男じゃないですか」
「あぁ、まぁそれはそうだね。代表して言える立場でもないし、一概に言えないんじゃない?男が皆浮気するわけじゃない。森本さんとかしないでしょう」
「あ、確かに。森本さんはしない」
彼は至って普通に、冷静に、話を流そうとしているようだった。海さんの恋と言う話題から、皆の目を上手く逸らしている。そして急に言うのだ。「木下さんって俺と同じくらいかなぁ」 と。
「え、あぁ年ですか。今年三十になりました」
「あ、やっぱり。俺も同い年です。今どき、結婚が全てって感じじゃないですよね?違います?」
「確かにそうですね。結婚しても仕事は続けるって考えの子も多いですし。スキルアップに時間を割いて、恋愛なんてそこそこですね」
同調したように二人は、この話題を変えようとしているように見えた。態々焦ったように、二人で。ふぅん、やっぱり何かあったんだな。そう思うのは当然の流れ。
「そう言うけどね。結婚なんていいの、しなくたって。でも私はね、恋はしてた方がいいと思う。女の子は絶対に」
「えぇぇ、結婚はした方がいいんじゃないですか」
結婚願望が強い私は、ついそう言い返した。だってウェディングドレスは着たいもの。結婚生活に憧れだってある。結婚なんていい、と言われてしまうと、自分が夢見て来たことが、何だか壊されてしまうような気がしたのだ。
「うぅん、そうねぇ。海ちゃんの言うようにね、結婚が全てではないのよ。ただ女の子はね、恋をしていた方が綺麗になるから」
「はぁ、そういうものですか」
「あら、バイトくん。そういうものなのよ」
田中さんに微笑みかけた花枝さんを見て、なるほど、と思った。結婚という手段を選ばなくとも、恋をしていた方が綺麗になる。それはそうだ。彼に会える日は可愛い服を着たいし、肌荒れもしないように気を付ける。そういう小さな思いが、きっと女を綺麗にするんだ。それは共感する。
「そうそう。そうなんですよ、田中さん」
態とそう言った。田中さん、分かりましたか? 恋をした方が綺麗になるんです。海さんだって、そうなんだから。眼力を込め過ぎたのか、田中さんは気不味そうにトイレへ立ってしまった。そうなれば、今度は海さんに念押しだ。
「海さん。恋はしましょ。多分、慎重に行けば大丈夫ですって」
「うんうん、そうよね。私もそう思うわ」
花枝さんは同調してくれたけど、気付いてないだろうなぁ。私がそう言ったのは、田中さんと言う対象が決められている。海さんはきっと気付いているはず。この間のグロスの件があるから。
「分かりました。そう言う機会があったらね。頑張ります」
「そう来なくっちゃ。ねぇ優奈ちゃん」
「そうですよ」
「出会いから慎重に探すことにします。さて、飲み物追加して来ますね」
誤魔化して逃げられたけれど、本当にこれが恋ならば、と思っている。過去、二人の間に何かがあったのは確実で。二人は顔見知りなのだ。どういう関係性か分からないけれど、時間が空いて再び恋をしたっていいじゃない。あとは、田中さんが浮気をするような人でないことを確かめれば、背を押すだけだ。
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