第三章

第一話 大人になった彼と

 あれから。朔太郎に再会をしてから。卒業式に見た綺麗な彼を、夢に見る事はなくなった。泣いて起きる朝が、ようやくなくなったのだ。都合良く夢を見分けられる訳ではないが、実際に会ってしまうだけで十分。それが海の今の気持ちである。飲み会の時に二人で少し話せたこともあり、現実でも何とか落ち着いて対応が出来るようになってきたところだ。自然に相談をし、取引先の相手として、きちんと向かい合えていると思っている。




「木下。悪いんだけど、今日現場行けないかな。床材が入ったから見に行く予定だったんだけど、別件対応しなきゃいけなくて」

「あぁ、大丈夫ですよ。打ち合わせが夕方なので、今から行けば大丈夫かと思います。品番とか確認してくればいいんですよね」

「そう。あと、木下の目で全般確認してくれる?内装もだいぶ進んだし。皆でやれば、多分違うところに気付くから。確かバイトくんも来るって言ってたから、一緒にやって」

「わかりました。じゃあ、直ぐ出ちゃいますね」


 海が何度言っても、野村は朔太郎をバイトくんと呼んだ。彼だけじゃない。バイトくん、と呼んでいた人たちは、そのままそう呼び続けている。朔太郎も気に留めていないようだし、と海は訂正することを諦めた。そうしているうちに、いつだったか気付いたのだ。あぁこういう所が真面目で融通が利かないという事なのだろう、と。



「おはようございます」

「あ、木下さん。おはようございます」


 海が現場に到着すると、朔太郎は既に打ち合わせをしているところだった。図面を手にし、職人と対等に渡り合う彼に、海はこそばゆい感覚が芽生える。もう高校生の朔太郎ではないことを、変に実感したのだ。


「すみません、急に野村がダメになって」

「いや、いいんですよ。インテリアは木下さんの担当でしたよね。それなら、壁と床の感じを実際に見てもらいたかったので、ちょうど良かったです」


 そうですか、と素直に受け取った。少し擽ったい気持ちがあったのは、仕事がきちんと認められているのだ、と感じたからだろう。

 朔太郎は図面を広げると、ここまで終わっている作業を説明し、その上で品番の確認を始める。急かすことはなく、海の動きを待つ。何だか大人になったな、と思うと、同じだけ歳をとった自分に気付く。あれから十二年か。


「すみません。コンセントの位置なんですけど」

「はい。えぇと、どちらのコンセントでしょうか」


 二人で現場を回りながら、細々としたチェックをする。彼は図面に赤を入れながら、海の言葉に耳を傾けた。海が気になった箇所は、三つだ。コンセントの位置。照明の位置。それと、壁である。こちらの疑問点を伝えると、彼はまた赤を引きながら丁寧に説明をした。


「壁ですね。腰壁にしたことで、汚れなどには対応が出来るようになったと思います。いかがでしょうか」

「そうですね。確かに汚れと言う面ではカバー出来るかな、と思います。あとはこの上の部分に埃が溜まってしまうのと、ここに指を引っかけて汚れたりすることがある、ということですかね」


 そう言いながらメジャーを伸ばし、椅子を置く予定になるところなどを測り始める。座る動作、立つ動作、それぞれを何度も繰り返した。例えば子連れの母親や妊娠中の女性、それから高齢の方ではどうか。色んなシチュエーションを想像して、確認をし直す。それを見ていた朔太郎は、なるほどなぁ、と感嘆の声を上げた。


「あとは、車椅子の方ですよね。自走出来る方も介助が必要な方もいらっしゃいますし……あぁそれを考えると腰壁は利点か。車椅子が当たって傷が付いちゃったら、気にされる方もいらっしゃるでしょうしね」


 無意識に喋り続けた海は、恐る恐る朔太郎に目をやる。変な顔で見ているのではないか。そう不安を覚えたからである。


「凄いなぁ。僕はつい、見栄えばかり考えてました。男目線とは違うものもありますね。なるほどなって思いました。そういった細やかさは、少し欠けていたかも知れません」

「あ、そう褒められても……何も出ませんよ」

「いや、そう言う意味じゃないですよ。かえって気付かせていただいて、有難いなって」


 もう数ヵ月、一緒に一つのものを作り上げているのだ。じゃあ今度コーヒー奢ってもらおうかな、と戯けられる程には緊張も溶けている。普通に、笑いながら。


「すぐ戻りますか?」

「いえ、お昼を取ってから戻ろうかと。あ、もうこんな時間なんですね」


 時計を見れば、十一時を少し過ぎた頃だった。お昼には少し早いですけど行きませんか?と朔太郎が自然に誘う。それはもう、ごく自然に。深い意味などあるわけもないのに、やはり身構えてしまうのは自意識過剰と言わざるを得ない。忙しく動き回る職人たちの目を気にしながら、海は同じように出来るだけ自然な雰囲気を見せた。


「あ、そうですね。そこで少し、家具の配置のとかもご相談していいですか」

「いいですよ。それならばカフェにすれば、色々参考になっていいかも知れませんね」


 まるでまだ打ち合わせる事があるのだ、と二人共が誇張しているようだった。疚しいことがあるわけでもないのに。暫く出て来なかった胸の騒がしさが、いとも簡単に戻って来る。意識し過ぎだ、と言うことは重々承知のこと。だから何度も、これは仕事の一環、と言い聞かせた。



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