epilogue
第22話
孝史は、坂道を登っていた。
満開の桜が美しい。時折吹く強い風に、花びらが舞うのも風情がある。
孝史が目指しているのは、古びた洋館である。近所からは、『お化け屋敷』だのと呼ばれている洋館だ。
特に用がある訳ではない。元より知人がいるでもなく、そこはずっと空き家である。
だが、何となく訪ねてみたくなったのだ。
春の陽気に、薄っすらと額に汗を掻き始めた頃、緩やかな坂の頂上の洋館が見えてきた。
表の塀には蔦が這い、塀越しの樹々が鬱蒼と覗いている。門扉の金属は赤錆びており、隙間から窺える分には、庭も草木が生い茂るに任せているようだ。
そんな洋館の前に、1人の男が佇んでいた。男はこちらに気が付くと、人懐っこい微笑を浮かべた。
「よう」
声を掛けてきたのは、大野だった。
脱いだ背広を肩に掛け、孝史が登ってくるのを待っている。
「何してんだよ、大野?」
「……何となく、ここに来たくなったんだ。そう言うお前は?」
「……。俺もだ」
そう答えると、大野は困ったような微笑を浮かべた。苦笑しているのかも知れない。
「日曜にゃ新郎になる奴が、何となくここに来たくなった……ってか?」
孝史は次の日曜日に結婚式を挙げるのだ。高1の夏休み前に告白されて、付き合い始めた。高校に上がるまでは恋愛に冷めていた自分が、何故かその時にはときめいた。
結局そのまま付き合って10年が過ぎた頃、孝史からプロポーズをした。あの娘は顔を赤らめ、俯いたまま、頷いてくれた。
「ああ。何でかは分からんけどな。こうやって、外からしか見た事が無い家にさ」
そう言って、2人で暫し、洋館を眺めていた。2人して、ここを訪れた理由が分からない――とはおかしな話であるが、不思議と違和感はなかった。
「そう言や、そろそろじゃねえのか? 3人目」
と、孝史が大野に言った。
「ああ。でも、式には出るってさ」
「嬉しいけど、無理はするなって、伝えてくれ」
「分かってるよ」
と、大野が頷いた。
「でも、大野があの委員長と付き合うようになるとは思わなかったぜ?」
「ああ。俺だって、そう思う。あいつにゃ、感謝し足りねぇよ。あいつがいなきゃ、俺は真っ当になれたか、分かんねぇ」
大野が照れたようにそう言うのを、孝史は嬉しそうに聞いていた。それに気付いた大野が照れ隠しにか、
「おい、孝史。これから飲みに行こうぜ!」
と、肩に腕を回しながら、誘ってきた。
「何い? 今からか? 会社、抜け出してきてんだぜ?」
「硬いこと言うな。飲みたくなったんだよ」
「……ッたく。相変わらずだな」
そして、どちらからともなく、坂道を下り始めた。
しばらく下った時、少女と擦れ違ったような気がした。気がしたというのは、少女が少し、離れたところを通ったような気がするし、大野と話し込んでいたからでもある。擦れ違ったのは、白い髪の少女だったように思う。
それで、孝史は気になって、振り返ってみた。今、擦れ違ったばかりなのに、誰もいなかった。気のせいかと向き直れば、大野も後ろを振り向いていた。
「……見たのか?」
と問えば、
「あ? 気のせいだろ」
そう言いながらも、大野は何だか、嬉しそうだった。
「真っ白な髪だった?」
「……。やっぱり、飲もう。とことん、付き合え」
再び、首に腕を巻きつけ、孝史を誘った。
「ああ、飲もう」
孝史も何だか、嬉しかった。
もう一度、振り返ってみたが、やはり誰もいなかった。
坂の上から、下っていく2人を見つめる人影が2つ、あった。
「行こうか」
その声の主に、ゆっくりと振り向いて微笑み、歩き出した――。
完
緋色の瞳 赤鷽 @ditd
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