35、適切な結論と適切な思考

 テーブルには空いた皿と、コーヒーが載っている。それを見るともなしに見ながら、まずは気持ちを落ち着かせようとした。落ち着かせるためにはどうしたらいいか。深呼吸だ。それぐらいしか思いつかないし。僕は馬鹿正直に深呼吸した。したことで、落ち着いたと思い込めるということが大事なのだ。思い込めばそうなる。


 さて、まず、決定事項を確認しよう……これも何度もやってる気がするが。美紀には結婚の意思を伝える。急ぎすぎではない。僕自身、この宙ぶらりんがイヤになったのだ。もし美紀が、まだ決められないというのなら、それでもいい。最悪、ただの遊びだったと言われても仕方ない。この滞った現状に裂け目を入れることが大事だ。


 ――それだけでいいかも……。この決心さえできれば、それで良かったのかも。過去をどう認識すべきかなんて、どうでも良くなってしまった。以前、プロポーズを決心したはずが実行できなかったので、あらためてその決意が確かなものか確認する、というのが今回の思索の一番の目的だった。結果、その決意は確かなもので、ただ実行する勇気がなかっただけだというのが判明した。それもあっさりと。テーブルを見つめているだけで。

 では、実行するためにはどうすればいいか。具体的に決めよう。ここを詰める必要がある。ようやく、何年かぶりに、〈予定〉を決めている。なんてこった、これまでの人生……。

 明日、いや、今夜にでも、美紀に直接会って言おう。そして、ありきたりだけど花束を持って……いや、それは美紀には重いかな? それに、美紀はまだ結婚したいような素振りを見せてはいない。ただ、付き合いを楽しんでいるだけのように見える。それに、そんなに本格的にプロポーズしたことで美紀が僕を重荷に感じて離れていってしまったら……それはイヤだ。イヤだけど、このままの状態でいるのも……。


 だんだんと、僕たちのあいだに変化をもたらすことで生じるリスクが判明してきて、結局一番無難で臆病で卑屈な〈現状維持〉に、僕の思索の結論は流れていきそうだった。現状維持では、何の意味もない!

 かと言って、あんまり急に美紀にプロポーズして避けられるのもイヤだ。〈当たって砕けろ〉だと、砕けるだけだろう。単純で、考えなくて良くて、潔くスカッとしているけど、愚かだ。若いころの僕なら、そうなっていただろう。それで砕け散ったことは何度かある。


 分かった。結論――それとなく僕の結婚の意思をほのめかす。そして、美紀の反応を見る。美紀にもそれについて意識してもらうようにする――これが一番穏やかで、大人で、賢い方法だ。何より、一番僕の意図に合っている。僕は美紀に、結婚を意識してもらいたいのだ。そして、美紀にも自分の意思で、能動的に結婚に踏み切ってほしいのだ。もちろん、僕が多少はリードする必要があるだろう。僕こそがそれを求めているのだから。

 早速実行だ。僕はラインで、今夜会おうとメッセージを送った。場所は喫茶バイロンにした。僕たちが初めて二人だけで会った場所だ。あれはたまたまだったけど、次のステップに進むにはちょうどいいだろう。


 ふと気が付くと、僕は残りのコーヒーの存在すら忘れていた。何も口にせずに、考えていたのだ。結論が出たことを祝してコーヒーをすすったが、だいぶ冷めていた。モーニングを平らげてから、いつの間にか20分ほど経っていた。そのまま僕は、放心状態で、ゆっくりコーヒーをすすっていた。

 僕がラインを送って30分以上経ってから、返信が来た。おそらく、講義の合間なのだろう。確認すると、今夜は会えないとのことだった。僕は、しつこいと思われるのを怖れつつ、明日の夜はどうか、と送った。すると、それならOKだという返事が来た。


 僕はスマホをテーブルに置き、少しのけぞってフーと息を吐いた。「会えない」という返事が来たとき、一瞬ホッとしたがすぐに不吉な予感がした。手遅れになっていて、美紀はもう僕から離れてしまったのかと思った。慌てて明日の夜について訊いたが、そんなに焦ることはなかった。僕は不安に怯えすぎだ。

 正直、今夜、美紀がなぜ会えないのかは気になる。それに、明日の夜までのあいだという、これまた微妙な。そんなものにめげてはいけない。僕は取り越し苦労が多すぎる。何かのトラウマだろうか? しかし、過去にその原因を見つけても仕方ない。それは、確かアドラーが言っていた。その通りだ。原因が分かったからと言って、治るものでもない。『もう気にしない。きっとうまくいく』それだけ思っていればいい。もしうまく行かなかったらどうするか、なんて考えることはない。その時はその時に考えればいい。

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進むために土砂を削り丁寧にならして道をつくる ひろみつ,hiromitsu @franz

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