14、外的諸条件に関わらず自分の意志を貫くことこそ真の自由

 カントのストイックな哲学に共鳴したが、にわかな知識なので、言うまでもなく表面的な理解にすぎない。『純粋理性批判』を読んでも、難しすぎるところが多い。だが僕はカントの哲学を理解しようというよりも、カントのを愛するあまり、その象徴的存在である『純粋理性批判』という本に触れ続けていたかったのだ。

 そのある教えとは――と言っても、僕の大雑把で勝手な解釈だが、『真の自由とは、外的諸条件に関わらず、自分の意志を貫くことである』というものだ。これには感動のあまり、涙腺が緩んだくらいだった。僕はその教えを忘れないよう、愛し続けられるよう、そしてどこかにそれに似た文言がないか探すために、『純粋理性批判』を読んだ。部屋でも図書館でも、カフェや通勤電車の中でも読んだ。ときおり、それを匂わすような近しい文言に出合うと、腰から頭にかけて震えが走った……我ながら偏執的な、フェティッシュな、気色の悪い読書である。だが難解なはずの哲学書でこんなに快感を覚えている自分に、優越感を覚えてもいた。『純粋理性批判』のなかでも読みやすい光文社古典新訳文庫版であるおかげだろう。ちなみに第1巻は、3月中旬に八重洲ブックセンターで購入した。さらにちなみに、僕はしばしば、その本にキスをしていた……。


 僕のカント理解はかなり浅いし、『純粋理性批判』を読み始めて2ヶ月経った時点で、まだ3巻に入ったばかりだった。だが僕なりのフェティシズムを以って嘗め尽くし、味わい尽くし、じっくり堪能していた。もうお彼岸も、新年度の開始も、花粉症の流行も、ゴールデンウィークもどうでも良かった。カントじいに夢中で、晃子も次の女も昔の女もソープも頭から消えていた。あと3ヶ月で41になる、40が終わる――それはうっすら気になった。このままだと、『後半はカント爺さんに費やした40歳の一年でした』となりそうだった。だがしばらくすると、それもむしろいいと思った。よくある充実とは違うが、だからこそ僕は得意気とくいげだった。もしかすると、これが僕の〈不惑ふわく〉かもしれない……きっとそうだろう!

 その間、生活は規則正しく、自分でも驚くほどストイックな日々を送れていた。恋人もいなければ、女の尻を追うこともない。友人たちとも距離ができてきた。そうなると生活は完全に自分の支配下だ。初めのうちは、スケジュールを決めたはいいが、毎朝6時に起きて11時に寝るなんてことが本当にできるだろうか、と自信がなかった。しかし目覚ましが鳴って、起きようか気持ちのいい二度寝をしようかと迷っているうちに、僕の頭の中でぼんやりとカント先生が現れて『真の自由』を思い出させた。すると僕は一気に目覚め、機械のように起き上がるのだった。

 そして夜、YouTube をもう少し見たいとか、『純粋理性批判』なら読んでもいいだろうとか、今日ぐらいウィスキーに浸って夜更かししたい、なんて考えると、またカント先生が現れて、「君は不自由だね」と残念そうに言う。そうだ、くだらないことに巻き込まれていたくはない! 結果としてきちんと11時にはとこに就いていた。

 こんな調子で家を出ずして出家僧のような生活をしていた。こんなにセルフコントロールの効いた生活が送れるほどしっかりしているのであれば、仕事でも活躍して稼げるようになるだろう――と、世間一般の一般 people ことは思うのだろうけど、僕の場合そんなことは起こらない。もちろん以前よりも冴えた頭で仕事をしていたので、スキルも評価も上がったが、それが収入に即反映されるほどの高度なシステムを、弊社は採り入れていない。僕のような時給払いの身だと、残業以外にダイレクトに収入を上げる方法がないような単純で因習的なシステムなのだ。

 だが、そんなことはどうでも良かった。それよりカント的生活を送ることが楽しく、退勤はほぼ同じ時間で、残業をほとんどしないで帰っていた。自宅では瞑想も筋トレも毎日行っていた。相変わらず時間は5分とか10分のままだったが、継続のためにも無茶はしないのが賢明だ。様子を見て、もう少し時間をかけられるようであれば長めにやろうと思っていた。


 会社が休みの5月下旬のある日、図書館で本を読んでいた。10個ほどの椅子に取り囲まれた楕円だえん形の木製テーブルがあり、休みになるとそこでよく本を読んだ。そこで特に顔を合わせることの多い人間がいた。初老の男性2人、若い女性1人、小学生が3人程度。彼らは僕の中で〈心の同志〉となっていて、実際、僕を含めた7人はそれぞれ、簡単な挨拶を交わすほどになっていた。

 そしてその日、そこでは僕の他に4人が本を読んだりペンを急がせていたが、の中でいたのは、若い女性だけだった。僕がテーブルのあたりに来たとき、彼女は僕に気付き、お互いに笑顔を交わした。

 テーブルは、比較的広く空いているのが彼女の左側だった。だが、挨拶を交わしてすぐ隣に座るのは気詰まりだった。他にも同志がいて挨拶をしていれば、彼らの存在感が分散されて気にならないのだが、彼女だけに挨拶して隣に座るとなると、彼女が強く意識されてしまう。読書に没頭できないかもしれない――そう思ったが、そこはやはりカント先生の登場だ。カント先生は、〈環境や他者といった外的要因によって自分の意志を曲げられてしまうことは不自由だ。さらには道徳に反する〉と語った。僕は彼女を気にせず、ただ広めに空いているからという理由で、必然的にそこに座った。それから僕はいつものように周囲をシャットダウンし、カント先生の講義に没入した――彼女が声をかけてくるまで。

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