第25話 俺は秘密を共有する
俺のジャージの袖を掴んだまま、橋村は駅から反対方向へと歩いている。
行こう、と素直に応じてくれたのですぐに学校に戻るつもりだったのだが、橋村のほうは違うらしい。
「おい、橋村。学校はそっちじゃねえぞ」
「……わかってる。わかってるし、ちゃんと皆のとこ戻るけど、けど、その前に……あ、あそこならいいかな。人もいないし」
線路側の住宅地の、ベンチと砂場しかない場所。どうやら公園らしいが、公園にしては猫の額の敷地しかない。
ボール遊びをするな、走るな、ペットを入れるな、などの注意書きの看板があるが、こんな狭いところで遊ぶ子どもなんていないだろう。
「……ん」
ベンチに座った橋村が、隣をポンポンと叩く。
「まあ、座るけどさ」
「よし、いい子だミッシー……とまあ、冗談はこの辺にして」
ん、と伸びをした橋村がベンチにもたれかかり、いつもの飴をくわえる。
見上げる空は、表情と同様、雲でどんよりとしていた。
「バイトのことな。学校には許可は出してんだろ?」
「当たり前じゃん。バレたら停学だし、そこは大丈夫。担任の先生とか、このこと知ってる友だちには、出来るだけ黙ってくれるようお願いしたけど」
生徒会の先輩たちが橋村のバイトのことを知っている雰囲気はなかったから、生徒会の顧問の先生で話は止まっているんだろう。
「……あのさ、もしかして、今まで『友だちと遊ぶから』って堂々とサボってたのは」
「まあ、大体バイトが理由かな。もちろん、そのうち2割ぐらいは純粋なサボりだけど」
「そこは全部バイトっていっとけよ」
せっかく見直しつつあったのに、これじゃ台無しだ。
もちろん、ただの照れ隠しかもしれないが。
詳しく状況を聞くと、どうやらあのカフェ以外にも複数のバイトを掛け持ちしているらしい。本屋、スーパーの品出し、他にもいろいろ。休日限定だが、朝、新聞配達などもしているのだという。
生徒会には出ないことがほとんどだから、そうなると、週のほとんどはバイトに明け暮れている計算だ。
頭は悪くないくせに成績が悪いのも頷ける。放課後もバイト、休日もバイト。勉強する時間なんてなかなか取れない。
ノートを見せてくれと必死にせがんだのも、テストまで空いている時間がそこしかなかったのだろう。
「しかし、どうしてそんなにバイトしてるんだ? お前の家、そんなに貧乏な感じしなかったけどな」
電話で橋村父と母と話したときのことだ。印象としてはとても優しそうで、切羽詰まっているような印象は受けなかったが。
「私んところは普通だよ、フツー。パパとママはすっごくやさしいし、ケンカも反抗期もなかった」
「じゃあ、なんで」
「……ほい、これ」
「大学? いや、専門学校のパンフレットかこれ」
表紙にうつっている、奇抜なファッションをしている女性の写真。どうやら服飾系の専門学校の案内パンフレットのようだ。
「ちょっと真面目な話になっちゃうんだけど……笑わない?」
「笑うわけないだろ。ちょっとお前のイメージとかけ離れてるから、びっくりしてるだけだ」
「そう? なら、いいけどさ」
そう言って、橋村はぽつぽつと俺に打ち明け始めた。
橋村がこの仕事を目指そうと思ったきっかけは、実はさっきのカフェにある。
さっき俺が会ったばかりの姫河さんだ。専門学校生だと言っていたが、彼女は、橋村が持っているパンフレットのところに通っているらしい。
初めのうちは、橋村も両親からのお小遣い以外に遊ぶためのお金が欲しくて、あそこのカフェでバイトを始めた橋村。当然、将来のことなど漠然としか考えていない。適当に高校生活を過ごして、彼氏の一人でも作って、そしてそのまま――と。
そんな時、橋村は姫河さんに出会って、影響を受けた。
「――ミッシーもヒメ先輩見たでしょ? あの人、超やばいんだよ。綺麗だし、おしゃれだし、その上デザインの才能まであって……課題で作ってる服とか見せてもらったんだけど、なんて言うんだろ、ヤバかった」
その表現だといまいちピンとこないが、気持ちはわかる。感動したとき、上手くそれを他人伝えることが難しいのは。
姫河さんがいかにすごいかを語る橋村の顔は、先程とは打って変わって、きらきらとしている。
そこには、ひとかけらの嘘もない。
「だからさ、私もヒメ先輩みたいになれたら――って、そう思ってさ。小学生みたいな動機だけど」
しかし、それでも高校一年の時点で自分のやりたいことを決めているのはすごいことだと思う。現に俺は、自分の将来のことなど、何一つ考えてはいない。
なりたいと思ってなれる世界ではないから、もちろん両親は反対したというが、それでも橋村は意地で納得させた。専門学校に入ってかかるだろう学費や一人暮らしのための生活費など、すべてを自分一人でなんとかするから、と。
橋村がいくつもバイトを掛け持ちするのは、それが理由だった。
「だから、ね? お願いミッシー。会長たちには、このこと、あとちょっとだけ黙っておいて欲しいんだ。今日バックレたことは謝るし、いつかはちゃんと打ち明けるから」
「どうしてそんなに頑なに先輩たちには秘密にしたいんだ? 神楽坂先輩も正宗先輩も、お前の悩みを簡単に喋るような人じゃないことぐらい、わかってるだろうに」
生徒会の皆は良い人たちばかりだ。事情がわかれば、サポートしてくれるだろう。
「そりゃそうだけどさ……とにかく、あの人たちには話したくない。かわいそうに思われたくないっていうか」
「俺はいいのかよ。俺はお前の話聞いて、そこそこ同情しつつあるぞ」
「ミッシーはいいの。なんか同類って感じするし」
「お前と一緒にすんな、全教科赤点ぎりぎりのバカ」
「あー、ひどい! 補習なかっただけマシでしょ? バカバカって言わないでたまには褒めてよ! 褒めて伸びるタイプなんだよ、私」
「うっさい、バカ」
「むー! ミッシーのバカ! 知らない!」
むくれた表情で、橋村がそっぽを向く。事情を聞いてしまった以上、さすがにちょっと言いすぎたかもしれない。
「……わかったよ。とりあえず、今日のことは先輩たちには黙っておいてやる。そのかわり、この後の練習はちゃんと真面目にやること。いいな?」
「え? いいの?」
期待しているような顔で、橋村はくりっとした瞳をこちらへと向ける。
先輩たちに黙っているのは気が引けるが……こうなると、なかなか引っ込みがつかない。
「俺からは言わないだけだ。自分から言えるタイミングになったら、必ず先輩たちに伝えること。約束は守れよ?」
「うん、わかった。それでいい。ありがとね、ミッシー」
「……ほら、わかったら。もう行くぞ。そろそろ先輩たちも心配してる」
「うんっ」
気付かなかったが、先輩たちからの着信やメッセージがすごいことになっている。さすがにこれ以上のんびりとはしてられない。
「あ、そうだ。ミッシー、ちょっとこっち向いて」
「あ? なんだよ、もうわがままなんて聞いてやらな――んむ」
俺が振り向いた瞬間、口の中に飴玉を突っ込まれる。
新品状態じゃない、なめかけのもの……橋村がさっきまで口の中にいれていたヤツだった。
「お前これ……か、間接……」
「今日は色々ありがと。これは、そのお礼ってことで」
頬を緩ませて、橋村は続けた。
「――今日のことは、二人だけの秘密だね。ミッシー?」
「っ……」
きっと俺のことをからかって言っているのだろうけど。
いたずらっぽく笑う橋村を見て、俺はこいつのことがよくわからなくなった。
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