第24話 告白


 後夜祭は定刻通りに開催された。


 体育館にはかなりの人数の生徒が集まってくれたようだ。


 先ほどから舞台上に立つ司会の三年生が冗談を言う度に、会場で上がった大きな笑い声が暗がりにいる俺のところまで届いてきている。


 体の震えが止まらなかった。初めて履いたスカートのせいで足がスースーとしている。しかし原因はそれではない。


 かつて、これ程の緊張を感じた事があっただろうか?


 いや、きっとない。


 俺は極度の人見知りで、臆病者で、引っ込み思案なのだ。そんな俺が、自ら注目を集める場所に立とうなどという事は一度としてなかったはずだ。


 少しずつ、出番が近付いてきている。早く終わらせてしまいたいと思う反面、一生その時がやって来なければいいのにとも思う。


 自分が女子の制服を着ている事も、前髪パッツンのロングストレートヘアになっている事も気にしている余裕はなくなっていた。


 ポンッと肩を叩かれ、体がビクッとする。


 顔を横へやると絶世の美女が視界に映る。


「ごめんね。無理させちゃって」


 本当に申し訳なさそうな顔で言う彼女。なんて美しいのだろうと思う。でもこんな顔をさせてはいけないとも思う。


「だだだだ、だいじょうぶだよ。このくらい」


 そう。彼女のためならこのくらい。


 あの日、高みを目指すと決めたんだ。このくらいの事簡単にやってのけられなければ、その隣に立つ資格なんてない。


 唾を飲み込んで暗がりの中にあるその顔を見つめた。


 うん。大丈夫。


 彼女のためなら、俺は何だってできるんだ。これまでそれを証明してきたじゃないか。


 舞台上で音楽が鳴り出し、女装コンテストが始まった。一人ずつ順に名前が呼ばれ、暗幕の裏から舞台上へ飛び出していく。


「さて!お次は飛び入り参加のお嬢さんだ。可愛い見た目とは裏腹に、突然の選抜にも我が校のためならばと二つ返事で頷いた類いまれなぬ胆力の持ち主。実行係としても今回の文化祭に尽力してくれたこの人。根尾ノボル子ちゃんだ!」


 行ってくる。高嶺さんに一言呟くと俺は舞台へ向け歩きだした。


 全身が脈打っているかに感じる程の胸の鼓動。足に力が入らず、まるで宙の上を進んでいるかのようだ。


 それでも俺へ前へ進んだ。目の前が光に覆われる。


 聞こえてくるのは、歓声?


 この俺に向けられているのだろうか?


 ステージ上から会場へ身体を向けると、眼下に広がる体育館を埋めつく程の人の群れ。その全員の視線が俺に向けられている。


 見られている。そう思った途端に、足がすくみ、動かなくなる。頭にふわっときて、倒れてしまいそうになる。


 ダメだ。


 心の中で誰かが言う。しかしその時だ。


「うっわ、根尾すっげぇブサイク!」


 そんな声が聞こえたと思えば、ドッと笑い声が起こる。


 今の声は大川。戻って来ていたのか。


「いやいや、結構いけてるだろ」


 続いてまた声が上がる。富士だ。あんなにデカイ声を出す事もあるのか。


 足は動くようになっていた。


 俺は顔を前へ向け、舞台上から続くランウェイを歩き出す。


 上から照らすスポットライトの光が一緒に着いてくる。チラリとその光の出所へ目をやると、馬鹿にするような笑みを浮かべたアキヒコが俺を見下ろしている。


 本来ならこの時間、俺があそこにいるはずだった。奴がそれを代わってくれたのだ。


 あれ、結構難しいのに。器用な奴だ。


 足を動かしながら、いつの間に笑みを浮かべていた。 


「いいぞ、根尾!」


「せーの。ノボル子ちゃん可愛いー」


 次々と声があがる。クラスの奴。実行係の奴。


「根尾せんぱーい!」


 あ、今のは高尾さんだ。


 そしてランウェイの先端に到着。えっと、確かアピールをしなきゃいけないんだったな。


「みんなー!ありがとうー!」


 俺は大声で叫んだ。


 叫んでから、両手を口元へ運んで、特大の投げキッスをぶちかました。


 会場は爆笑の渦に包まれる……。



*


 その後の事はあまり覚えていない。


 俺以外の奴がコンテストで優勝して、舞台裏に戻ったら係の皆にからかわれて、漸く興奮でぼんやりした頭がまともに戻ってきた頃には、後夜祭はクライマックスを迎えようとしていた。


 生徒達は体育館からグラウンドへ移動を始める。


 外はすっかり夜になっていた。星が見える空と、そこに佇む校舎。いつもとは違う景色。いつもと違う感情。


 着替える暇と場所がなかったから俺のそのままの格好だ。すれ違う生徒達にクスクスと笑われたり、からかわれたりしたが、寧ろそれが心地いい。こんな格好でいて何も反応されないなんてのは地獄だ。


 体育館を出たところで「あっ、根尾」と実行係の先輩に声をかけられる。


 足を止めると先輩は手に持っている鍵を放ってよこした。「うわっ」と俺はそれを受けとる。


「そこの看板、倉庫にしまって鍵かけといてくれね?」


「いや、でも。片付けは明日でいいんじゃ?」


「それしまったら明日鍵借りなくていいから楽なんだよ」


 でも、もうすぐ花火が。口にしようとしたところで「よろしくー」と先輩はグラウンドへ歩いていってしまった。


 仕方ないと息を吐き、体育館入り口の『文化祭』と書かれた看板へ手をかける。


「うわ、重っ!」


 木製であるためか見た目以上の重さがあった。おまけに縦長であるため持ちづらい。


 それを休み休み運んでいると、どこからか高嶺さんが駆け寄ってきて、看板の片側へ手をかけた。


「手伝うよ」


「えっ!?でももうすぐ花火が」


「うん。だから早く二人で運んじゃおう」


 そうなんだよ。この人が美しいのは容姿だけではないんだよ。


 もしかしたらこれは二人の初めての共同作業かもしれない。なんて考えムフムフしている間に駐輪場近くの倉庫にたどり着く。


 そういえば富士に手紙で呼び出されたのはこの場所だった。半年くらいしか経っていないが、随分と昔の事のように感じられる。


 看板をしまって倉庫へ鍵をかけたところで、ピューと笛のような音が聞こえ、バンッと空が明るくなった。


「あっ、花火!」


 空を見上げた高嶺さん。


「根尾君。早く戻ろう!」


 そう言って彼女は駆け出した。俺もその後を追って二、三歩。しかしそこで立ち止まる。


「た、高嶺さん!」


「え?」


 彼女は足を止め振り返った。


 アキヒコと話した事が心に引っ掛かっていたのかもしれない。文化祭が終わってしまう。そう思ったら、急に居ても立ってもいられなくなったのだ。


「俺、高嶺さんにずっと言いたかった事があって……」


 緊張はあった。


「あの、良かったら俺と……」


 だけど込み上げてくる想いが、足踏みを許さない。


「俺と友達になってくれませんか!」


 俺は頭を下げて手を差し出した。


 随分と長く感じる数秒の間が空いて、前に出した右手を、ぎゅっとぬくもりが包み込んだ。


「はい。喜んで」


 ドンッという音と共に暗闇の中に彼女の顔が照らし出された。それはこれまで見た中で最も美しい、最も嬉しい笑顔だった。


 本当の望みはまだ遥か先。だけど今はこれでいい。今はこれが精一杯。なんたって、こんなにも幸せなんだ。幸せで体が爆発してしまいそうなんだ。


 半年かけて、どうにかこの場所までたどり着いた。卒業まであと一年。あと一年で、更なる高みへ……。




                    完。

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標高8000メートル先の恋~あの子を振り向かせるため、スクールカーストを成り上がれ!~ 網本平人 @hdito

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