第32話 夢の中なう


 体育館の至るところから黄色い声援が上がっている。


 それが向けられている先にいるのは俺、ではなく、ステージ上で演奏をしている四人のバンドグループ。


 俺はといえば体育館の二階にある細い通路の上、目の前に設置されている大砲のようなスポットライトで、そんな彼らを照らしていた。


 文化祭2日目。既に半日が過ぎ、本日の目玉の一つであるライブイベントも、間も無く終わりを迎えようとしていた。


 トリを務めているのは学園屈指のギタリスト富士義輝を率いる一番人気のバンド。富士を除くメンバーは全員三年生であり、その腕前はプロ顔負けのものだ。


 その中に於いても、富士という男はやはり異質の存在。演奏技術もさることながら、そのルックスと溢れ出るスター性に、既に五人の女性が失神し、保健室送りとなっていた。


 本日は外部の人も校内へ入る事が許されている。体育館の群衆の中には、他校生や大人のお姉さん、どこかのご婦人の姿もある。驚く事にその殆んどが、富士義輝ファンであるようだ。手製のうちわなどを持って熱狂するその様子には、去年も見ているとはいえ、驚きを感じずにはいられない。


 もし自分があんな人間だったらと、演奏する妄想を、過去何度もした事がある。だけどそれを現実にする事だって出来なくはないのだと、今は思う。努力さえすれば、届かなくとも近付く事はできるのだ。


 ジャーンとギターが鳴って、演奏が終わった。大歓声の中で、富士と目が合う。コクリと頷いた奴の頬が、少しだけ綻んだ気がした。


 ライブが終わると俺はステージ裏へと戻った。


 すると高嶺さんが近付いてきて、この文化祭のために作られたタオルを俺に差し出す。


「はい。お疲れ様」


 その優しさと笑顔にドキッとなる。


 ライブの照明係がこんなに大変な事だとは思わなかった。ライトは熱いし、演奏中はずっと集中していなければならない。


 数日間練習をしたおかげでミスなく終える事ができ、達成感が汲み上げてきていた。


 しかしまだ文化祭は終わりではない。この後も仕事が残されている。



 次の仕事は校内の見回りだった。トラブルや違反を見つけたら直ぐに対処する。これも実行係の大切な役割だ。


 そんな思いを抱く反面、俺の心はタンポポの綿毛みたいに浮わついていた。


 見回りは高嶺さんと二人で行う。仕事とはいえ、二人で文化祭を見て回るなんて、まるでデートみたいじゃないか。


 体育館を出ると、日は傾き始めていた。まず向かったのは多くの露店が並ぶ校舎の前のロータリー。


 今日は一般公開の日。当然の事だが、賑わいは昨日の比ではない。大人や子供や他校生。正しくお祭りといった様相だ。


 そんな中を歩いていると、普段感じた事のない視線を感じた。


 理由は直ぐに分かった。高嶺さんだ。女子も男子も。大人も子供も。誰もが彼女の魅力に惹き付けられているのだった。男達は顔を赤らめ、女達は羨望の視線を向けている。


 いつもは学校という狭い空間の中にいるため意識する事は少ないが、彼女の魅力は外の世界に於いても、やはり卓越したものなのだ。


 何故だかそれが、まるで自分の事のように誇らしく感じた。彼女へ視線を向ける人々へ「どうだ。俺の好きな人は、最高に美しくだろう」と自慢したくなった。


 クラスの模擬店の様子を見てみようと言った高嶺さんに頷いて歩き進んでいくと、すれ違いざまにこちらへ気がつき「おっ!根尾じゃん!」と足を止めた一団がある。


 同じクラスの大川と赤城だ。後ろに、他校の制服を着た二人の女子を連れている。


 大川は足早にこちらへ近づいてきて、俺の肩を抱えると、高嶺さんを見ながら俺にしか聞こえない声で口にした。


「おいおい、やるじゃねぇか根尾。高嶺と二人きりだなんて」


「そ、そんなんじゃねぇよ。実行係の見回りだからで。てかあの子達は?」


 俺は大川達といた二人の他校の生徒へ目をやりながら言う。


「逆ナンだよ、逆ナン。さっきのライブで富士の友達かって聞かれてよ、そうだって言ったら一緒に回る事になったんだ」


 大川はまるで偉業でも成し遂げたような口振りだった。しかし彼女達はおそらく富士義輝の友人というブランドに惹かれただけなのだろう。きっとライブ中に大川達が富士の名前を連呼しているのを聞いたのだ。また、顔だけは優れている赤城という男が隣にいたのもあるかもしれない。この様子からするに、本人はまるで気付いていないようだが、すごく楽しそうにしているから、教えないでおく。


 それから軽く言葉を交わすと「じゃあ、そっちも上手くやれよ」と奴らは去って行った。


 また歩きだし、直ぐに俺達のクラスの模擬店が見えてくる。


 随分と繁盛しているようで、タピオカドリンク屋の前には長い列ができていた。


「声かけて行こうと思ったけど、忙しいそうだから止めといた方がいいかもね」


「う、うん」


 クラスの屋台を見ながら高嶺さんへ頷く。


「でもこの時間のレジを二ノ森君に任せたのは正解だったなぁ」


 ライブ終了後の夕方のこの時間、店が混雑する事は当初から予想されていた。そこでコンビニのバイトの経験がある二ノ森にレジを任せようと提案したのは俺だった。


 あまりそうした場に積極的に顔を出す二ノ森ではないが「根尾の頼みならば」と引き受けてくれた。


「根尾君、お手柄だね」


「い、いや。大した事じゃ……」


 笑顔を向けられて、顔がみるみると赤くなっていく。「 褒められた!高嶺さんに褒めた!」と、心臓がはしゃぎまくっている。


 にやけそうになるのを堪えながら、続けて幾つかの模擬店を見て回っていると、見知った顔を見つけた。


「あっ。高尾さん」


 模擬店の前にいる彼女は俺と目が合った途端慌てた様子で目を反らしたが、再びこちらをチラリと見て、近づいてくる。


 どうやら彼女も模擬店の店員をしていたらしい。制服の上から黄色いエプロンを着ている。つまり普段より厚着をしているというわけだが、それでもやはり主張の激しい二つの膨らみ。


「順調かい?」


「え。あ、はい。実は売れすぎてしまっていて。このままいくと次に店員をやる予定の人が来る前に材料が終わってしまいそうなので、少しお休みしているんです」


「へぇ。すごいじゃないか」


 口にしながらと揺れるそれをチラ見し、確かに彼女が店員ならば売り上げも上がるだろうなと思う。


「そ、それで根尾先輩。その、そちらの方は。も、もしかして彼女さんですか?」


 不意打ちを食らい、全身が熱くなる。


「そそそ、そんな!滅相もない」


 慌てて否定すると、落ち着き払った様子で高嶺さんが口を開いた。


「実行係の見回りをしているの。私、根尾君のクラスメイトの高嶺です。よろしくね」


 彼女が言うと高尾さんはペコペコと頭を下げた。そして自分の自己紹介を済ませると、思いついた様子で俺達に言う。


「そうだ。ウチの店の売り物、食べていってくださいよ。折角ですし」


「えっ。いいのかい?でも品切れなんじゃ?」


「二人分なら大丈夫ですよ。是非是非」


 高嶺さんと顔を見合せ、それじゃあと彼女へ告げる。


 彼女のクラスの店の前まで移動する。


「チョコバナナかぁ」


 俺は掲げられている手作りの看板を見ながら口にした。


「はい。らくそうだからこれにしようってなって。でも結構こだわっているんですよ。チョコが手作りだったりして」


 高尾さんは調理場からチョコバナナを持ってきて、俺と高嶺さんに一本ずつ差し出した。


 一見すると変哲もないチョコバナナだ。受けって口にしてみると、味も変哲もないチョコバナナだった。

 

「ど、どうですか?」


「うん。美味いよ」


 もぐもぐと口を動かしながらチラリと横を見る。


 長い黒髪を手で押さえながら、開いた口をチョコバナナへ近付ける高嶺さん。


 その姿に何故だかドギマギしてしまい、イカンと思って目を反らした。見てはいけない光景のような気がしたのだ。


 チョコバナナを食べ終えると、無料でいいと言う高尾さんへ、実行係がそんな事を出来ないと料金を支払い、俺達はその場を後にした。


 それから俺達は校内の見回りを始めた。高嶺さんとこれだけ長い時間二人でいれるなんて、まるで夢の中にいるような心地であったが、その間にも昨日、アキヒコと話した事を考え続けていた。


 これで満足ではいけないのだ。そしてこのチャンスを活かさなければいけないのだ。


 心臓は強く脈打ち続けている。


 三年生の教室が並ぶ廊下には、何やら人混みが出来ていた。


 トラブルでも起きたのかと駆け寄って、中を覗いてみると、その中央にいる人物を見て驚きの声を漏らす。


「ひ、日和!?」


 俺の幼なじみ、山本日和だった。


 彼女は廊下に踞り、両手で顔を覆っている。その周りにいる仲の良いクラスの女子達が、心配そうな顔で日和へ声をかけ続けている。


 俺は人混みをかき分けながら彼女達の元へ向かった。


「どうしたんだ?」


 尋ねると、クラスメイトの一人が答える。


「わ、分かんない。ここから出てきた後、急にしゃがみ込んじゃって」


 俺は彼女が指した教室を見て全てを察した俺は、日和に近付き小声で話しかけた。


「お前。なんでお化け屋敷なんて入ったんだよ?苦手だったろ?」


 顔を隠したままでいる日和は体をビクッとさせた後「う、うるさい」と返してくる。大方、その場の空気を崩したくなくて無理をした結果、腰でも抜かしてしまったのだろう。


「動けるのか?」


 更に声を抑えて聞くと、日和は僅かにコクリと頷いた。


 これだけの人に注目され、友達に心配をかけ、ただ怖いのが駄目でしたなんて、コイツの性格からして言えるはずがない。立ち上がる期を逃して、動けなくなっしまっているのだ。


 仕方ないと俺は顔をあげ、高嶺さんや、日和の友人達へ向けて口にした。


「大丈夫。軽い貧血だよ。コイツ、昔からたまにあるんだ。一応保険室連れていくけど、ちょっと休んだらよくなると思うから」


 彼女達が頷くと、俺は日和の腰へ手を回し、ゆっくり立ち上がらせる。


「ちょっと我慢しろよ」


 その最中に小声で日和へ言って、続けて高嶺さんへ口にする。


「ごめんね。そういうわけだから……」


「うん。見回り続けてるね。しっかり見てあげて」


 日和を支えるように腕を回したまま、廊下を歩き始めた。


 人波を抜け、角を曲がり、階段を下った踊場までいったところで、そっと日和から離れる。


 辺りに人影はない。


「ここならさっきの連中、いないだろうから」


「……ありがとう」


 日和はボソリと言う。


「いいよ、別に。じゃあ俺は適当に時間潰したら仕事戻るけど、お前もさっきの友達と合流するならバレないようにしろよ。貧血って事にしといたから、休んだら良くなったて言えば多分疑われないし」


「う、うん……」


 なんか。やけに素直だな。心なしか顔が赤い気がするが、もしかして本当に熱でもあるのだろうか。


「大丈夫か?もしあれなら、一緒にいるけど」


「だっ、大丈夫だって。さっさとあっち行きなさいよ」


「はいはい。暇あったら後夜祭も友達誘って参加しろよ。多分楽しいから」


「わ、分かった」


 頷いた日和を残し俺はその場を後にした。


 


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