第12話 はじめての……


 高校生活で一度だけある、最も大きなイベント。修学旅行の期日が近付いてきているせいか、二学年の生徒達は、少しだけ浮わついているように感じられる。


 旅のしおり作りや部屋決め。通常の授業の中にポツポツとそんなイベントが加わるようになってきた今日この頃。


 最初は皆の目が気になり、足が竦む程に緊張をしていたものだが、今では髪をセットし、カーディガンを着て、教室へ通う事への抵抗はすっかり無くなっていた。


 というのも存外、クラスメイト達は俺の服装など気にもしていないようで、俺の変化に反応を見せた生徒は、毎日言葉を交わすアキヒコを含め、誰一人としていなかったのだ。


 折角努力したというのに肩透かしを食ったような気分だが、俺にある確かな知識は日和ヒヨリに教わったものだけ。


 彼女にセットしてもらった髪型を写真に収めてあったため、毎朝それを見て髪を整え、なけなしの金で買ったグレーのカーディガンをブレザーの中に着て、学校へ登校してきている。


 日和に言われたため、ファッション誌の情報を参考に、眉毛の処理も行ったが、まさかあれほどの痛みを伴うものだとは思わなかった。


 俺は高嶺さんへの想いがあったからこそ耐えきれたが、他の人達は何を支えにしてあの苦行に挑んでいるのだろうか?


 そういったわけで周囲に変化は認められなかったものの、気付いた事が一つ。オシャレをするというのは、何となく自分の振る舞いにも影響を及ぼすような気がする。


 見られている意識、とでも言うのだろうか。不思議と些細な仕草もだらしないならないよう意識するようになったし、鼻をほじる時も以前より周りを気にするようになった。


 セットした髪が気になり、時折窓ガラスを鏡の代わりになんかして髪を直していると、アキヒコに冷たい視線を向けられる事なんかもある。


 以前まではそうした行動をしている男を、アキヒコ共にナルシストだ自意識過剰だと揶揄していたものだが、いざ自分がそちら側の人間になると、その他の大抵の物事と同じように、彼らを擁護するしかなくなった。それでもあまり頻繁にはやり過ぎないように注意はしようと思っている。


 五時限目の授業が終わったところだ。教室の中が騒がしくなると、アキヒコが俺の席までやって来る。


 因みに俺の前は大川の席である。彼は休み時間になると直ぐ様自分と仲の良い連中の元へ行くため、アキヒコも気兼ねなく俺の机の前に陣取る事が出来る。


 とはいえ気の強い大川の席に勝手に座ったりする事は出来ないため、アキヒコは休み時間をいつも立ったまま過ごす事になる。


 そんなアキヒコの席周辺には、クラスで一番素行の悪い大川のグループが集まっている。アキヒコが俺の席へやって来るようになったのもそれが理由だ。今では当然のように、そのグループの一人がアキヒコの席を利用するようになっている。自称綺麗好きのアキヒコは、それを嫌がっている。


 富士が最も親しくしているのはこのグループであるが、富士が自らそこへ加わる事は少ない。富士自身が彼らといる事を望んでいるというより、彼らが富士を慕っていて、富士は気が向いた時にだけ、その相手をしてやっている、というような関係にもみえる。


「修学旅行、なんで北海道なんだよ。沖縄の方が絶対いいだろ」


 アキヒコがやって来ると、俺は開口一番に不満を吐き出した。


「そう? 沖縄は暑そうじゃん。僕は北海道でいいかな」


「暑いからいいんじゃねぇかよ。海入れるんだぜ、海」


「あんな汚い塩水に浸かるのの何がいいのさ。あの中では沢山の生き物が捕食し合って、糞をしたり、腐ったりしているんだよ。そんなところへ入るだなんて、考えただけでもゾッとするよ」


 相変わらずのアキヒコの特殊な観点に顔がひきつる。深く考える過ぎると、その偏った考えに毒されてしまいそうなのが恐ろしい。


「でもよ、海と言ったら水着だろ? つまり、高嶺さんの水着姿を見られる。地上で最も美しいもの拝めるって事なんだぜ」


「地上で一番でも三次元には興味ないし。てか水着なら夏になれば体育の授業で見られるでしょ」


「た、確かに! でもどうしよう。いざ、目にしたその時、俺正気でいられる自信が……」


「ああ、大丈夫だよ。正気なら既に失っていると思うから」


 いつものように会話を交わしていると、耳には少し離れた場所にいる大川の一際大きい声が届いてくる。


「マジかよ!? 誰も空いてねぇの? 今日は俺完全にハンバーガーの口だったのに」


 奴の声は大きい。これもいつも通りだ。


 しかし間のなく授業が始まるという時、大川が席へ戻って来ると、いつもとは違う事が突然起こった。


「ああ。根尾でもいいや。今日放課後空いてる? ちょっとハンバーガー食いに行かねぇ?」


「え? う、うん。いいよ」


 これが、俺のこれまでの努力がもたらしたものなのかは分からない。ただ俺はこの日、高校生活に於いて憧れ続けていた事の一つ『放課後。友人とハンバーガーを食べ行く』というイベントを初めて体験する事になったのだった。


*


 夕方、まだ夕食には早い時間だというのにハンバーガーショップは混雑していた。


 やはり学生が多い。しかしその中には意外にもオバサンの集団や、若い恋人同士らしき人達もいて、彼らは夕食はどうするつもりなのだろう、と余計な事を思わされる。


 ハンバーガーショップの二階。俺は注文したバニラシェイクとチーズバーガーを前にして緊張で体を強ばらせていた。


 目の前には体育の授業ではポツポツと話すようになった大川。黒いの肌に明るい髪色。軽薄そうな見た目をした、カースト上位陣の生徒だ。


 何を話せばいいのか、どんな物を注文し、どんなペースで食べればいいか、分からなかった。こんなに早くこの日が来ると分かっていたのなら、予習をしておいたのだ。


 因みに、突然の事で持ち合わせが足りなかったのがが、そこはアキヒコに借金をした。いざとなった時、土下座するくらいの勢いで必死に頼み込めば、何とかしてくれるかもしれないというのが、アキヒコのいいところだ。

 

「いやぁ、根尾がいてくれて良かったわ。てかお前、ポテト食わない派? 珍しいな」


 しまった。ポテトはマストだったのかと大川に言われて思う。大川は他にも、新作のハンバーガーと、コーラを注文していた。


「い、いや。注文し忘れちゃって。今から頼むのも面倒だからいいかな」


「ドジッ子かよ。まぁいいや。分けてやるから少しなら食っていいぞ」


「わ、悪い」


 勧められたポテトを口に入れる。普段あまり口にする事がなかったためだろう。思わず「うまっ!」と大きな声が溢れる。それを見た大川がクスリと笑い、恥ずかしくなる。


 人見知りを克服できたわけではない。大川とも頻繁に話すようになったわけではない。それでもこんな事態になっている事を、不思議に思う。


 二人でハンバーガーを食べ始めたが沈黙が重たく、何か話さなければと考え続けて、漸く浮かんだ話題を口にする。


「そういえば今日選択授業あったじゃん。俺美術を選んでいるんだけどさ……」


 思い浮かぶのは高嶺さんの事ばかりだった。彼女の事ならば、幾らでも話せるような気がした。


 俺は高嶺さんが意外にもアニメ好きだった事。高嶺さんが美術で作ったのが『我らが暮らす愛すべき星』という俺が適当に考えたのと同じものであり、しかしそれは完全な球体を目指す事で世界の平和への願いを表現したという俺の思い付きとは似て非なる崇高な美術作品であった事などを長々と語った。


 時折相づちを打ちながらそれを聞き終えた大川は、にやけ面で俺に言う。


「てかお前、高嶺の事好きなのかよ」


 突然の言葉にミルクシェイクを吹き出す。それぞれ見た大川が声を出して笑った。


「図星かよ。まぁ気持ちは分かるけどな。あのルックスだし」


「だ、だよなぁ! やっぱそうだよなぁ!」


 これまでは、いくら高嶺さんの魅力を語っても理解してもらえる事はなかった。相手がアキヒコだったからだ。それをこうして認めてもらえるというのは嬉しいものだ。


「性格もいいしな。頭が回るっていうか、話してても結構面白い事も言うし」


「えっ!? 話した事あるの?」


「そりゃあ、あるだろ。クラス同じなんだから」


 こ、これがカースト上位陣というものか。


 しかし俺は今そんな人物と、ハンバーガーを食べに来ているのだ。高嶺さんに近付けているという実感が、初めて湧いてきたような気がする。


「まぁでも、正直難易度高いと思うけどな。アイツは」


 大川はポテトを摘まみながら言った。


「そ、そうなのか?」


「学校中の男子から告白されているけど、全部断っているらしいからな。アイツに振られた奴の人数は、既に二十人を超えているって話だぜ」


「し、知らなかった」


 おそらく休み時間や放課後に、呼び出されたりしているのだろう。暇さえあれば彼女ばかりを見ている俺だが、流石に後をつけたりまではしていない。


 やっても構わないというなら勿論そうしたいところだが、一応それがいけない事だという程度の常識は持ち合わせている。


「それどころか他校にも狙っている奴がいるらしいからな。まぁ、ウチの学校には富士がいるから、校門の前で待ち伏せたりするような奴は少ねぇと思うが、外でも結構声掛けられたりしてるんじゃねぇかな」


 彼女の美しさなら、それも当然のように思えた。


 きっと彼女を初めて目にしたのが教室ではなかったとしても、俺は今と同じ感情を彼女に抱く事だろう。


 それからも俺達は高嶺さんやクラスの事を話した。


 人見知りの俺でも、知っている事や興味のある話題ならば何とか話を繋いでいく事ができたし、何より大川の口数が多いため、自分から敢えて話題を提供する必要もなかった。


 俺達は日が暮れ始めるまで語り合い、店を後にする。


「てか根尾って思ったより面白い奴だったんだな。なんかこれまで勘違いしてたわ」


 最後に大川が言った言葉は、その日の夜、風呂の中で思い返してにやけてしまうくらいに嬉しかった。

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