きみ明日書籍化記念番外編

しあわせになりたい



「高須賀くん、私に好きだよって言ってみよっか」


「……はあ?」





 気づいていた。高須賀くんがそういう人だって。でも、そういう人すぎて、ひどすぎる。圧倒的に、言葉が足りない。私たちは付き合おうと告白するどころか、好きだと言い合ったこともないし、そもそも本当に付き合っているかどうかも怪しい。


「たった四文字よ? それくらい言えるよね? 高須賀くん」


「バカにしてんのか」


「うん、そういう当たり前のことを一切言えないところには、ちょっと愛想が尽きてるかもね」

 

 いつものように軽く言い合うだけで、甘い雰囲気には当然ならない。昼休みに、学校の裏庭でこんな話をするのは、ムードがあるのかないのか、どちらなんだろう。

 私は、自分のことを自分でも、ちょっと変わったかわいい女の子だと自覚しているけれど。でも、好きな人に好きだと言われたくないとか、そんな極端に異質な子ではない。

 つまり、普通に恋愛に憧れる恋する乙女なのだ。

 別に、特別甘い言葉を聞きたいわけじゃない。ごく普通に与えられていいはずの言葉が欲しいだけだ。

 私は高須賀くんに、にっこり笑いかける。


「言いなさい」


「命令かよ」


 進まない会話に、私はいらっとしながら「命令よ」とため息をつく。

 高須賀くんに、愛の言葉を囁かせるにはどうしたらいいのか。私は考え抜いたあげく、「そうだ」と呟いた。


「私のことも、名前で呼んだらいいじゃない」


 彼と更に近づくためのいい案だと思ったのに、彼の反応は私が求めていたものでは全くなかった。冷たく、困っているような視線に、私は逃げるように目を伏せる。

 だって、園山さんや桐原のことは名前で呼んでたじゃない。

 そうは言えず、押し黙る。

 私のことも、と言ったことで、私が何を言おうとしたことが分かったのか、高須賀くんは遠くを見るような目をして、


「お前は、あいつらとは違う」


 それって、どういうこと?

 私じゃ、あの二人のように、高須賀くんと近づくことはできないってこと?

 唇を噛みたい衝動にかられる。園山さんや桐原みたいになれなくてもいい。いや、あの二人のようには絶対になりたくない。違ったから、私は高須賀くんと一緒にいられるのだ。

 でも、あの二人に彼のことで負けているかと思うと、どうしようもないくらいの憎しみがあふれ出す。

 もう、いいでしょう。ここにはいない人たちをそんなに思ったって、還ってはこないんだから。

 そう言ってやりたい。けれど、高須賀くんの表情は、私の気持ちとは違ったところにあるようだった。

 私は、はっきりと嫉妬しているのに、どこか照れくさそうにそっぽを向いている彼を、不思議な気持ちで見つめる。

 何、その顔。ぶしつけにそう聞こうとした時、彼がふいに、私のほうを向いた。


「あいつらと違って、粟生野は」


 ぶっきらぼうな表情から、恥ずかしそうに赤らめた顔に変わっていく彼を見て、なんだか、言いたいことが分かってしまう。

 粟生野は、俺の好きな人だから。だから、あいつらとは違う。そう言いたいのだと勝手に解釈して、また勝手に、愛しさがこみ上げる。

 本当に、言葉足らずな人なのだ。素直に自分の思いを伝えることなど、ほとんどなかったのかもしれない。でも、それが彼女らのためになることなら、なんだってやってきたのだろう。そういう人だ。

 さっと彼から視線を逸らす。今の私の顔は、きっと彼と同じくらい紅潮しているだろうから、気づかれたくない。

 顔は赤らんだままだったかもしれないけれど、私は彼のことを、一瞬でも可愛いなどと思ってしまったことを一切見せないように、にっこりと笑みを浮かべる。


「高須賀くん、私のこと、好きでしょう」


 あえて語尾に疑問符を付けずに、言い切った。

 彼は、びくっと肩を揺らしてから、無愛想に視線を逸らし、何かを考えているような素振りを見せる。

 何よ! 言え! そう言いたい気持ちを抑えて、ぎゅっと拳を強く握りしめる。

 もどかしい。いつもならいらいらしつつもなんとか我慢できるのに、今は無理だった。

 目の前にたれていた、高須賀くんの制服のネクタイを力任せに引っ張る。そうして、自分のほうにぐいっと引き寄せ、いつものように、にっこり笑う。


「私のこと好きになれば、楽になるよ!」


 一瞬、何が起こったのか分かっていないみたいな顔をする彼に、更に笑みを深める。

 すると、高須賀くんはいつものように、うるさいな、こいつ、と言いたげな表情で、片手を握りしめ、親指だけを下に向ける。

 反抗的な反応だったけれど、高須賀くんはすぐにつり上げていた目元をゆるめ、穏やかな顔つきになった。「でも」と囁くように言い、優しい目で、私を見下ろす。


「もう、大分楽になってると思うけど」


「ううん、まだまだ足りないよ。私、もっと高須賀くんに」


 好きになってもらいたい。そう言おうとして、慌てて口をつぐむ。

 私が何を言おうとしていたか、全部分かっているような顔をして、高須賀くんは優しく口元を綻ばせる。


「まだまだ足りないなら、どんだけ好きになればいいんだよ」


 思わず、ぎゃあーっと悲鳴を上げそうになる。何、高須賀くん。いきなりそんなこと言って。何が起こったの、一体。

 動揺しまくっている私をよそに、彼はおかしそうに笑った。


「なんだか、粟生野のそういう顔、新鮮だな」


 遊ばれている、とようやく気づき、私は恨めしげな目で彼を見つめる。でも、彼はたいして気にもしていないような様子で、


「何か、俺にしてほしいことあるか?」


 真剣な面差しで、ぽつりと呟いた。

 

「どうしたの? 急に」


 聞くと、高須賀くんは少しだけ申し訳なさそうに、頭をかいた。


「俺、粟生野に色々してもらってばっかりだな、と思って。俺も、粟生野に何かできたらなって」


 思ったわけなんだけど、と照れくさそうに続ける彼の顔を覗き込み、


「なんでも?」


 念のために質問しておくと、彼は「なんでも」といとも簡単に答えた。

 私は、きっと、彼のために何か大きいことをしてあげられたわけじゃない。彼のことが好きで、自分のしたいように突き進んできただけ。

 でも、何かしてあげたいと言ってくれたことが嬉しくないわけじゃなかった。むしろ、嬉しくてたまらない。

 私は、前より少し欲張りになったみたいだ。

 高須賀くんの傍にいたい。でも、それだけじゃ、足りない。

 高須賀くんを、私だけのものにしたい。私のこと、もっと好きになってもらいたい。私だけを特別に思っていてほしい。

 少し考えるとか、そんな暇はなかった。私は更に彼との距離を詰めると、「じゃあ」と口を開いた。


「キスして?」


 目の前にある高須賀くんの顔が、驚きで埋め尽くされていく。

 

「はあ?」


「なんでもしてくれるんでしょう、だったら、今ここで、キスして」


 今度は疑問形じゃなく、命令するように言うと、彼は「今!?」と大きな声を出して、周りを見回し始める。


「他のやつに見られたらどうするんだよ」


「私は構わないけど? それとも、見られたら困ることでもあるの」


 じとっとした目で彼を見つめると、高須賀くんは深くため息をつく。

 できれば今してほしかったけれど、無理かなあ、とその表情を見て思う。

 私が一旦諦めて、目の前にいる彼から離れようと顔を引いた時だった。

 がしっと、後頭部を手のひらで掴まれる。そのまま引き寄せられて、視界が高須賀くんの口元辺りのアップでいっぱいになって、それ以外何も見えなくなる。

 唇に、熱いものが触れる。

 すぐに離れていく顔に釘付けになって、私は彼を呆然と見上げた。

 しばらくそうしていたかもしれない。とうとう辱めに耐えきれなくなったのか、高須賀くんは私に背を向ける。私は慌てて、待って、と声をかける。

 今。今のは、もしかして。

 高須賀くんは真っ赤な顔で振り向いて、吐き捨てるように、


「してって言ったから、してやったんだよ」

 

 そう言って、もう一度背を向けた。

 なんだ。別にこの場を去る気はないみたいだ。ただ恥ずかしくて仕方がないから顔を見てほしくないだけのようだ。

 彼の吐き捨てた一言の効力なんて、そんなもの全然ないのに、そう言うしかなかったという、彼の精神の限界が目に見えるようで。もう、彼の心をこんなにも大きく揺れ動かすことができるのは私だけかもしれない、なんて、自惚れてしまう。

 じんわりとあたたかい気持ちが胸に広がって、私は彼の背に頬をくっつけた。

 本当に、まだまだ足りない。もっともっと、彼のことが欲しい。願いが、止まらない。

 私のことだけ、好きでいて。

 しあわせすぎて、小さい笑いがこみ上げてくる。


「……なに、笑ってんだよ」


「別にー」


 彼と笑い合えることのできる未来が、私にあるのなら。

 この自分で築き上げてきた地位や、重ねてきた仮面も、全部なくなっても、彼がいるだけで生きていける。そう、思えた。


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「あの日のぼくら」サイドストーリー 駿あか編 紫(ゆかり) @yukari1202

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