第10話 しるこ屋にて、それぞれの出会いについて

「縁談?」


 あらまあ、とハナはぽとりと匙から白玉団子を落とした。


「いきなりじゃん」

「まあね」


 予想はしてたけど、と多希子は仏頂面で返す。


「そりゃあまあ、仕方ないか」

「仕方ないわよ。だけどねえ」

「いい人?」

「背は高いし、将来有望な建築士だし、年はぎりぎり十は離れていないし、顔も整ってるほうだと思うし、声を荒げたりもしないわよ」

「じゃかなりの好条件じゃん」


 落とした白玉をあずきの海の中からハナはすくい上げる。喫茶店よりも「しるこ屋」が彼女達のような少女には入りやすい所だった。


「いいひとだったら別にいいじゃない」

「だけど」

「他に好きな人が居るわけ?」

「居る訳ないでしょ」


 そういうものかなあ、とハナは目を丸くする。


「そんな暇ございません」

「あたしと会ってる暇はあるくせに。お嬢さん」

「またお嬢さんお嬢さん言う。あたしは多希子よ。お嬢さんって名じゃあないわ」


 ふふん、とハナは笑う。


「それに、そういうこと考えたことも無いし」

「だったらいいじゃん多希さん。つきあってみれば」

「だからつき合うことは、決まってるのよ。お父様もお母様も期待してるし」


 だけど、と多希子は眉を寄せた。つまりはただ何となく誰かの言うがままになってしまうことが嫌なのだ。


「あのひとはいいひとだと思うわよ。もしかしたら好きになるかもしれない。けど今この時点で卒業してすぐに結婚してしまう、というのは何かが違うと思うんだもの」

「ぜーたく」

「言って下さい幾らでも」


 そうだった。彼女の会った若手の建築士の宇田川は、正直、かなり「いい男」の部類だった。

 自分が断らないだろう、と思われるくらいの男をわざわざ父親が選んだのだから、それは当然だと思う。父親は人を見る目がある。だから決して多希子にとって悪い人物を選んだりするはずはないのだ。


「男前だった?」

「興味あるの?」

「そりゃあねえ」


 ぷう、と多希子は頬を膨らませ、自分の前のしるこを一匙すくう。


「そりゃ、俳優のような男前、ではないけれど、そのへんにたむろしてる学生よりは格好いい、と思ったわ。それに、ちゃんと距離とってくれるし」

「距離?」

「慣れてないから。男の人がある程度以上近づくと、逃げたくなるのよ」

「ああ」


 なるほど、とハナはうなづく。さしづめ自分だったら張り倒したくなるような距離、というところだろう、と彼女は納得する。

 多希子は先日の会話を思い出していた。



「だけど何故、あなたはそんなにコンクリートの建造物とかに興味があるんですか?」


 父親の勧めで、劇場に行った帰りだった。パーラーでアイスクリームでも、という宇田川に従って歩いていたら、建設中の宝塚劇場が彼女の視界に飛び込んできた。

 宝塚がお好きですか、と彼が聞いたので、いいえ、建物に、とつい言ってしまった。


「あってはいけませんか?」

「いえ、そういうことではないんですが」


 くす、と笑う。


「珍しいな、と思うのです」

「それはよく分かってますわ」


 少しすねた様に彼女は言う。


「いや、建物や住宅に興味を持つ女性は結構あるのですよ」

「え、そうなのですか?」


 それは初耳だった。


「ええ、決して多くは無いのですが、建築事務所で働く女性だって居る。全くのゼロではない」


 多希子は思わずアイスクリームの匙を置いて、話に身を乗り出していた。


「一畳だけの台所、とか、とにかく生活に密着した住居に関しては、実のところ、女性のほうがいい目を持っていたりします」

「ああでもやっぱり、家、なんですね。台所とか、小学校とか、大きなビルとか、そういうものを作ろう、というひとは無いんでしょうか?」

「残念ながら、今のところは」


 彼は苦笑する。


「やっぱり無駄な夢なのでしょうか」

「夢、ですか?」

「はい」


 多希子はうなづく。そしてハナに言ったような自分の気持ちを手短に話した。


「それと、あと、私の通った小学校が、新しかったんです」

「というと、震災後に作られた、あの」

「ええ、コンクリート作りの、窓の上の方が丸い。姉が通っていた当時はまだ木造の校舎でしたけど、私の通った頃に建て替えられたんです」

「なるほど。そう、あれらの学校建築は、明治以来の画期的なことでしたね」

「そうなのですか?」

「何しろ、当局の局長がもう熱心で。特に理科教育の設備と、暖房については、彼が激しく必要性を主張したということです。だけど文部省のお偉方ときたら、暖房は要らない、作法室を作れ、というような態度で」


 はあ、と多希子はうなづいた。初耳だった。


「建設中の小学校に、勝手に作法室が作られている、と聞いた彼は、何と、その作りかけを壊させたそうです」

「ええっ」


 さすがにそれには彼女も驚いた。


「だ、大丈夫でしたの?」

「あなたの学校はいかがでしたか? 暖房が無かったりしませんでしたか?」

「ええ、あの、冬でもスチームが効いて、暖かかったですわ」

「では、そういうことですよ」


 今度は彼がにっこりと笑った。



「何、結局そんな話ばかりなの?」


 ハナは口を歪めた。


「面白かったわ。今までの誰の話よりも。あ、あなたは別よ」

「それはどっちでもいいけど、色気も何もありゃしない」

「色気なんて無くてもいいじゃない」

「あればあったで楽しいと思うけどなあ」

「私はいいの」


 ずるずる、と多希子はわざとらしくしるこをかきこむ。


「だってね、誰も今まで私にそういう話してくれた人いなかったのよ。無論お父様はそういう話を私がすると、女の子らしくない、って嫌がるし、お兄さまは何か私のように何も知らない奴には話したくない、という感じだし」

「それはまあ、そうだろうねえ」

「でも私はそういう話をしたかったのよ!」


 どん! と多希子は卓を叩いた。振動で、そばに置かれていたお茶が倒れそうになる。ハナは慌ててそれを押さえた。


「そんなに好きだったら、本当、あんた建築家になっちゃえばいいのに」

「あなたもかなり大胆なこと言うわね」

「そんなに大胆かな?」

「女の人の洋裁師は結構居るじゃない。それに比べれば大胆よ」

「そんなのは最近のことだよ。それまでは女が、なんてとんでもないって言われたもんだし。何だってそうだよ。まあ分野は少しずれるだろうが、建築やってる女の人、居るんだろ? だったら、うだうだ言ってるなら、なってしまえばいい」

「どうやってなればいいのか分からないんですもの」


 は、とハナは両手を広げた。


「だいたいハナさん、あなたはどうなの? 私のお見合いのことばかりずいぶん聞くけどあなたには、そういうひとは居ないの?」

「そういうひと?」

「好きなひとは居ないの、って聞いてるの。あなたがお見合いってことは無いだろうし」

「そりゃああたしには紹介してくれる立派な親は居ないしねー」

「ばあか。そういうことじゃなくてねえ」

「はいはい判ってますって。居ない訳じゃあないよ」


 なあんだ、と多希子は口を歪めた。


「私のことばかり言って」

「悪かったねえ。でも始めっから叶わないって判ってるからさ」


 らしくない、と多希子は思った。

 しかしひとを「らしくない」ようにさせてしまうのが、そういう気持ちなのかもしれない、と思ったりもする。何せ彼女には経験が無いものだから、そのあたりがよく判らないのだ。

 しかし興味はある。自分にばかり喋らせてずるい、という気持ちもあった。皐月とはそういう話をしたことが無い。


「世話になってるひとが居るんだけどさ。あたしを今の職場に紹介してくれたひと」

「あら、いいじゃない」

「けど男爵の次男坊だよ?」

「う」


 多希子は詰まった。さすがにそれは身分の違いが大きくのしかかる。


「それに、何かもう、二年も帝大を留年してて、だらだらだらだらしてて、何やってるんだよ、って感じでさあ。それでいて何かたくらんでいるようで、いけしゃあしゃあと色んな話するし……」

「それでも好きなの?」


 ハナは憮然とした顔で黙った。


「何かさ、時々変な顔、するんだよ」

「変な顔?」

「何か、待ってるような顔。で、それを見ると、何か、言うこと聞いてやっちゃいたいなあ、という感じになる」

「よく判らないわ」

「たぶんあんたには判らないと思うけど」

「あぁまた決めつける」


 知らない、と多希子は残ったしるこを一気にかきこんだ。

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