第8話 父一ノ瀬氏、縁談を考える

 その夜、夫人は父親の一ノ瀬氏に話を持ちかけた。

 無論多希子が不良(?)らしい子とつきあっているのではないか、ということは口にはしない。彼女は娘をできるだけのびのびとさせてやりたかった。

 それでいて、良縁に、と考えるのは矛盾が無いか、と言われれば、それはそれで、この時代、特に矛盾とは考えられていないのである。

 真希子が昼間訪れたことを話し、彼女が婚家でどうもあまり満足していないのだ、ということを話してみた。


「私が悪いのですわ。もう少し真希さんの気持ちを思いやってやれば」

「ああ、あれも根性なしなのだ。放っておきなさい」


 今日だけではない。上の娘が婚家の文句を言いにしばしば実家へと戻ってきていることは、彼もよく聞いていた。


「だいたい真希子は嫁いだらそこが自分の家なのだ、ということを忘れているのだ。お前も今度来たら、いちいち話を聞いてやるのではなく、突き返すくらいで行け。お前が母親なのだから」

「でもだからこそ、多希さんにはちゃんとあの子の気性に合ったお宅へと嫁がせてやりたいのですわ」

「まああれも、なかなか頭でっかちの所があるからな。困ったものだ」

「でも優等生ですから、私も鼻が高いですわ。級長をしたこともありますし」

「ふむ」


 父親は節くれ立った指をあごに当てた。


「できれば、早いうちに相手の方とおつきあいさせて、しっくり行かせてからのほうが…… それでどうしても合わない方だったら、またその時考え直すこともありますし」

「お前も相当甘いな」


 しかし自分も甘いことを、この父親は良く知っていた。

 ただ甘いことは甘いのだが、理解はしていない。

 それを多希子が知って、あきらめかけていることなど、なおのこと、知らないのだ。それが幸か不幸かは、心持ち次第と言えばおしまいなのだが。


「いいご縁を得て、多希さんの幸せな花嫁姿を見とうございます」

「それはもちろんわしも同じだが」


 一ノ瀬氏は少し考えて見る。自分の守備範囲で、なおかつ多希子に好かれそうな「いい男」はいなかっただろうか。あの娘は、自分と話ができないような馬鹿な男は嫌いだろう。歳は。あまり若すぎても困るし、かと言って。

 頭の中に若手の幾人かを浮かべてみる。これはどうだあれは駄目、と考えていたが、やがていきなり手をぽん、と叩く。


「おお、そうだ」

「どうなさいましたか」

「彼なら良かろう。うん」


 自分一人で納得した顔だったので、夫人は少しすねた顔になる。


「おひとりで楽しんでいないで、お教え下さいな」

「ああ、そう急かすな。宇田川うだがわ君だ」

「宇田川さん…… ああ、先日大連からお帰りになったという方ですのね」

「そうだ。向こうでの大共和生命の新社屋のコンペで入賞して、その関係でしばらく向こうに渡っていたのだが、仕事も終わって、こっちに戻ってきたのだ。わしもうちの社の設計部に誘ったのだがな、昔から世話になっている設計事務所に、ということで見事にふられてしまった」

「ああでも、多希さんを振るなんてことはできませんわ」


 ほほほ、と夫人は笑う。そういえば、多希子を使いに出した時、その青年にも挨拶をしていたのではないか、と思い出す。

 しかし多希子は覚えていまい。何となくそれが判ってしまうあたりが、彼女は母親であった。

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