懐古的希望少女~昭和初期の令嬢と不良少女のそれぞれの夢

江戸川ばた散歩

第1話 銀ぶら中にご用心

 銀座をぶらぶらと歩くから銀ぶらなんだという。


「一人かい?」


 気が付くと、多希子たきこは数人の少女に取り囲まれていた。銀座の交差点から少し歩き出した時だった。


 も、もしかしてこれってとてもまずい状態?


 多希子は思わず肩をすくめた。

 年の頃は同じか、少し小さい位だ。洗いざらしの着物を少し崩して、暑いのだろうか。たもとをひらひらとさせて、腕まくりなんかもしてる。


 ……まさかこれが前まえから街中には出るって言う、噂の不良少女団って奴?


 多希子は思わず持っていたカバンをぎゅっと抱きしめた。

 一応学校帰りなのだ。父親の会社と、新しくできたばかりの服部時計店の時計台と、ついでに資生堂の竹川町店のショウウインドウをのぞいたりはしたが。


「へええ。府立の制服って、あたしゃ初めてみたよ」


 制服を見れば、府立のあの学校だ、ってことが判る。この東京でも、何校もある訳じゃない府立の高等女学校。しかも彼女の学校は比較的新しい。


「いいのかなあ、お嬢さん」

「こんな時間にこんなとこに一人でふらふらしてていいのかねえ」


 口々に少女達は言う。確かに、こんな昼ひなかから、学生がふらふらしていていい訳ではない。だが彼女には、それなりに理由があったのだ。

 だがそんな理由を言ったとこで仕方がない。そもそも、ぶらぶらしていたのがいけない、と言われればそれまでなのだ。


 震災から十年近く経った、昭和七年。

 大東京にはどんどん新しいビルが建てられている。

 先月、首相が暗殺される、なんていう物騒な事件もあったが、喉元過ぎれば何とやら、街中は活気があった。

 次々と立て替えられるビルは、新しい街並みを作りつつあった。そして多希子はそんな新しい景色が好きだった。

 資生堂のウインドウの前から、そんなことをつらつら考えながら歩いていたら、不意にどん、と右肩に衝撃を感じたのだ。


「あ、失礼……」


 反射的に彼女はそう口にしていた。それで済むはずだった。ところが。


「あん?」


 ぐっ、と喉の所にいきなり圧力を感じた。

 う、と思わず喉から声が出る。

 襟をぐい、と掴まれているのに気づくのには、さすがに少し時間がかかった。止めて、と眉を寄せたが遅かった。そんなことをされたことは無い身としては、どうしていいのか判る訳もない。


「失礼、だってよ」

「へええ」


 あははは、と大きな笑い声が彼女の耳に飛び込んでくる。


「ねえ、ちょっとお願いがあるんだけどさあ」

「な、何ですか」


 それでも多希子は気力を振り絞って、少女達をにらみつける。

 考えてみれば、人数は多いが、皆少女だ。怖がる必要なんてない、と自分に言い聞かせる。もっと柄の悪いおじさんや兄さん達も見たことがある。


「こーんな時間に銀ぶらしてたなんてさあ、学校には言わないであげるからさあ、ちょっとあたし達にお金貸してくれないかねえ」


 思わず眉が大きく動いた。冗談じゃない!


「あなた方に差し上げるお金なんて無いわ!」


 自分でもびっくりする程の大きな声が出る。少女達は皆一瞬、身をそっくりかえした。


「何だってえ!!」


 負けず劣らずの大きな声が道に響いた。だが通りを歩く人々には気付かれない。

 多希子は歯を食いしばる。


「いい度胸じゃないかあ、お嬢さん」


 一人が懐から何か出す。剃刀だった。

 はっ、と多希子は目を大きく開ける。ぴたぴた、と頬に当てられる。

 さすがに背筋にぞわり、と悪寒が走った。

 だが不思議なもので、一度通り過ぎてしまうと、肝が据わるらしい。


「そりゃあ持ってるわよ!」

「だったらいいじゃないか。出しな」

「けど私が持ってるったって、私のじゃあないわ! お父様のお金よ! 人脅して簡単に巻き上げるようなあなた方にはいそうですかと右から左にあげる訳にいくものですか! あなた方自分で稼いでいるんでしょう!」

「は、稼がなくていいお嬢さんが言うねえ!」

「親父さんでもあんたでも、あたし達には同じことだよ!」


 ぐい、と掴まれた腕が後ろに回されるのを彼女は感じた。

 ほらほら、と別の子がその腕を押さえつける。長く伸ばして後ろで編んでいる髪が、掴まれる。

 痛い、と彼女はもがく。

 その一方で、「身体検査」でもするつもりだろうか、と奇妙に冷静に彼女は考えていた。そして、反撃の機会を狙う。

 ここでさっさと金を出して逃げ帰る方が安全なのは判ってる。

 だけどそんなことしたら、お使いのついでの、たまの銀ぶらを父親から禁止されてしまうかもしれない。危険だから、と。それは嫌だった。

 多希子は必死でばたばたともがく。後で思えば、かなりこれは危険だった。顔には相変わらず剃刀が突きつけられていたのだから。

 そして本当に蹴り飛ばしてやろう、と彼女が思った時だった。


「そこまでにしておきよ」


 低めの声が響いた。

 多希子はその声に、顔を上げた。目の前の着物の子の後ろに、断髪に洋装の少女が、腕組みをしてふらりと立っていた。

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