東京通信(日本語版) 2050年9月16日〈文化面〉

吾妻栄子

琉球系移民からミス・アメリカへ

 二十一世紀の節目となる今年、全米五十三地域の代表たちから「ミス・アメリカ」の栄冠を勝ち取ったのはアーモンドアイの二十歳だった。


 去年三位に入賞したクララ・ヤマグチに続き、リリー・ナカマはミス・ジャパンとしては初のグランプリとなった。


 リリー・ナカマこと日本名、仲間友里恵さんは二〇三〇年、沖縄県那覇市(現:中華人民共和国琉球自治区)に生まれた。


 ハリウッドでも活躍する俳優のジョニー・キンジョー(中国名:金城宏)とは遠縁に当たるという。


 郷里の中華人民共和国編入に当たり一家で東京に移住したのは七歳の時。

「船の上で小さくなっていく島を見ながら大人たちが泣いていた光景を今も覚えています」

 という。


 一家で東京での新生活を始めたが、全米第五十一番目の州になったばかりの当時のジャパンも戦火で荒廃し未曾有の大不況にあり、家族は貧窮した。


「お前は中国のスパイ」

「沖縄に帰れ」

 学校では壮絶なイジメが待ち受けていた。

「琉球系移民であるアイデンティティを呪った時期もありました」

 と本人も語る。


 学校でのイジメと家での貧しさに疲弊した少女は癒しを求めるように放課後は図書館に通って本に耽溺するようになった。

「私の友達は本でした」


 転機となったのは、中学生時代、図書館で偶然手に取った「おもろそうし」だった。

「私のルーツにはこんなにも豊穣な文化があったのだと知りました」


 その頃からジョニー・キンジョーや知花汀ズィーホア・ディンら琉球系の中国俳優がアメリカでも人気を博すようになった。

「私も私に出来るやり方で故郷の文化を広めたいと強く願うようになりました」


 猛勉強の末、トーキョー・ユニヴァーシティに入学、東アジア文化を専攻し、故郷の琉球大学への留学も果たした。

 十年ぶりに目にした郷里では

「中国語しか話せない若者も増え、また、貧しさ故に進学や就職の選択肢も狭められてしまう現地民の子供の多さに悲しくなりました」


 ミス・アメリカへの出場は

「ジャパンの人たちはもちろん、私のような琉球系の子供たちへのエンパワメントになればと考えました」


 大会では琉球の伝統楽器である三線さんしんの演奏も披露した。

「多様性の時代だからこそマイノリティのアイデンティティや誇りを尊重する社会にしたいです」


 ミス・アメリカとして全米を巡る道のりはまだ始まったばかりだ。(了)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

東京通信(日本語版) 2050年9月16日〈文化面〉 吾妻栄子 @gaoqiao412

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ