第三章 二人三脚

     1

 それからというもの、いくやまさとは常にぶすーっとした顔をしている。

 なにを考えているのかは聞くまでも無い、もう表情の通りだ。不満いっぱいで面白くないのだ。イライラして仕方がないのだ。


 親友のはなと一緒に通学バスや電車に揺られている間も、モキチの授業中も、お昼休みの食事時も、絶えずこんな顔だ。

 部活の練習中ともなればなおさら当然のこと。むしろより以上、その顔は険しさを増す。

 何故ならば、このフットサル部での様々な出来事が原因で、身体の内側から大暴発しそうなほどのフラストレーションを溜め込むことになってしまったのだから。

 そのイライラに直結する人物が近くにいると、もう抑えられない抑える気もない、顔はさらに凶悪凶暴になり、睨みつけるようなその視線は、触れただけで物が爆発しそうなほどだ。

 イライラに直結する人物、というのは、やまゆうゆう、そして、


「あたしのこと睨んでこられても困るんだよね。やめてよね、ムカムカしてくっからさあ。ほんっとに、精神構造がガキかよ」


 なしもとさきが、練習用にボールを四つ胸に抱えて里子の前を通り過ぎていく。

 里子の髪の毛が悪鬼のごとく逆立ったが、咲にはそよ風を浴びたほどもなく、平然とした顔でゴレイロの練習場へと歩いていく。


 さて、ここでちょっとカメラを移動させて、咲を追おう。


 咲の向かう先には、ゴレイロの先輩であるたけあきらが立っている。


「ムカムカしてっからって、あたしのこと睨んでこられても困るんだよね」


 武田晶は、先ほどの咲の口調をそっくり真似した。

 進んで喧嘩を売ったりからかったりする晶ではないから、おそらく咲の態度をたしなめようとしたものであろう。


「ああ、ご心配なく。あたし、晶先輩にはいつもこんな顔してますから」


 咲は晶の前まで来ると、抱えていたボールをどさっどさっと落とした。ほとんど弾まないフットサル用のボールであるが、一つだけ、転がっていきそうになったのを、咲は足を伸ばし引き寄せた。


「まあ、確かにね。って里子のこといえないじゃんか。どっちの方がガキなんだよ」

「この前の一件ではっきりしましたが、あちらの方がちょっとだけガキでした」


 他愛のない軽口のようだが、二人はこれっぽっちも笑っていない。楽しい冗談として本人たちが会話していないせいもあるが、もとからして、晶はほとんど笑みを見せたことがないし、咲にいたっては皆無、と、そんな二人だから。


 さて、カメラはまた里子へと移動だ。


「うおっす、里子ちゃん元気ぃ?」


 フットサル部の部長である山野裕子が、体育館に入って来た。里子の睨むような視線などどこ吹く風で、背後に立って肩や背中をばしんばしんと叩いている。

 ふん、とバカにしたように鼻を鳴らす里子。


 まったく、今日も遅刻してるよこの先輩。どうせさあ、宿題忘れたかなにか知らないけど、放課後に教室に残って勉強させられていたんだろ。


「いや、参ったね、宿題やってくるのすっかり忘れちゃってさあ」


 と、副部長の武田晶に、遅刻したいい訳をしている。


 はあ、やっぱりだ。里子は心の中でため息。


 と、こんな下らない部長なんかのことを見ていても仕方ない。

 里子は、佐治ケ江の方へと歩いていく。もっと色々と教えてもらって、早く技術を盗まないと。早く追い抜かないと。


 背後では先輩たち山野裕子と武田晶がまたくだらないやりとりをしている。わたしに抜かれて悔しくないのなら、やってろやってろ。

 と、歩きながら振り返り、愚か者どもに少し憐れみの視線を向ける。


「なんでそう毎回のように遅刻するのかな。勉強出来ないのはいいけど、せめて宿題くらいはちゃんとやって来いよ。おバカな頭がなおさら……」

「こないださあ! 誰かさん、廊下でバケツ持って立た…」


 晶は慌てたように、裕子の口を手で塞いだ。

 と、その瞬間、晶の顔にぞくっと総毛だったような表情が浮かび、びくりと身体を震わせ、裕子の口から手を離していた。


「手のひら舐めたろ! 気っ持ち悪い。ほんと下品な奴だな。バカ王子! うわ、腕に鳥肌立ってるよ」

「そんなことより、みんな、どう? ちゃんとやってる?」

「いきなり話変えて。普段通りだよ。……里子はご覧の通り。なんだか、もともとのトゲトゲしさに拍車がかかった感じだ」


 と、二人の視線が里子に集中する。

 里子はふんと鼻を鳴らすと、前へ向き直り、佐治ケ江と花香に混ざって三人で練習を始めた。

 トゲトゲもなにも、お前らがのほほんとしているだけだろ。

 そんなことより、佐治ケ江先輩の技を盗まないと。勝負だサジ!


「サジ先輩、いつもいってますけど、抜かれるのが怖いからって手を抜かず、しっかり教えて下さいよね。どんどん技を盗んで、近いうち絶対に追い抜きますから」


 腕組みをして佐治ケ江の前にどんと立つ里子。どっちが先輩だか分からない。


「分かってねえなあ、あいつは。技はもう充分なんだよ」


 声が聞こえたか、向こうで山野裕子がしかめっ面で自分の頭をガリガリとかいている。


 充分じゃないよ。

 現に、まだサジ先輩を超えられていない。

 でも、超えるけどね。

 近いうちに。

 絶対。


     2

「この前ハナに聞いたんだけど、さとが中学の時にやってた部活って卓球、バドミントン、剣道だって」


 たけあきらは、喋りながらリフティングをしている。足の甲、腿、頭、放り上げて背で受けたり、と、ゴレイロだというのに、やまゆうより遥かに上手だ。


「はあ、個人競技ばっかりか。にしてもさ、なんかあんじゃないの、そういう世界にだって。自分一人だけじゃあ出来ませんよ成り立ちませんよ、って雰囲気というかオキテというかアンキモのキョーカイというか」


 山野裕子も喋りながらリフティングしているが、落としてばかり。まあ彼女の場合、喋りながらが原因ではないのだが。


「王子だって去年は自分自分だったじゃんか。王様プレーならまだしも、単なるバカ殿の暴れ馬が走り回ってるって感じで」

「バカ殿の、さらに馬かよ。いや、まあね、自分でも分かってはいたんだよ、チームプレーが大事なんてことくらいはさ。でもほら、あたしバカじゃん。やろうとはしていても、全然出来なくてさ。今年に入ってようやくだよな、分かってきたの。里子ならあたしと違ってそういうセンスは賢そうだし問題ないと思っていたんだけど、やっぱり性格かなあ。あいつ、賢いけどもバカなんだなきっと。もの凄い戦力になりそうなのに、ほんと惜しいよなあ」

「惜しいじゃなくて、ちゃんと溶け込ませろよ、部長なんだから」

「お前だって副部長だろ!」

「だから、ちゃんとやってんじゃんよ。王子がいつもいつも遅刻ばっかりしてっから。王子、朝練だって一回たりとも寝坊せず来たことないじゃんか」


 晶は文句をいいながらも表情ひとつ変えることなく、リフティングを続けている。


「里子の話してて、なんであたしの話になってんだよ!」

「王子がしっかりしなきゃ、部長として里子の面倒を見られないだろっていってんの」

「じゃあさ、クラスが違うんだから、おんなじ内容の宿題が先に出たら、そのノート見せてよ。そうすれば、遅刻せず部活に参加出来るかも知れず」


 出来ないかも知れず。


「やだよ、勉強なんだから自分でやんなきゃ意味ないでしょうが」

「ケチ。つうか晶だって、どうせデタラメ書いてただ提出してるだけなんだろ」

「なんで分かった?」


 ボールを受け損なって床に落としてしまう晶であった。


     3

 武田晶の落としたボールはコロコロコロコロ転がって、二つ隣の島で練習しているしのの方へ。


「晶、ボケッとしてないでよ」


 ボールを蹴り返した。

 亜由美はいま、づきともはらりんと三人で組んで練習をしている。二人に先輩として教えているところである。


「ここはこう、インサイドでボールを受けて、で、その瞬間に逆足を前に出してその爪先を軸に、ターン。ね、簡単っしょ」


 亜由美は二人の顔を見る。しかし、二人とも露骨に渋そうな表情だ。


「そういわれても、先輩はもうそれが出来るから、簡単そうにいうけど」


 鈴の言葉に、葉月は無言で頷いた。


「うーん。なんとご説明すればよろしいのでしょうかねえ」


 篠亜由美は困った様子で腕を組んでいたが、結局、


はるあ、ちょっとお願いカムヒア!」


 真砂まさごしげとパスアンドゴーの練習をしていたきぬがさはるは、呼び声を聞いて亜由美のもとへと駆け寄って来た。


「ごめん、ちょっとこの子らにさあ……」


 と、亜由美は春奈に、ターンテクニックのコツを、分かりやすく説明してあげるように頼んだ。


 亜由美と春奈のフットサル歴であるが、亜由美の方が長い。とはいえ、五ヶ月ほどの違いしかない。

 亜由美は高校入学と同時に、春奈は九月の終わりからだ。

 去年度の一年生は六月くらいまでほとんどボールを蹴らせてもらえなかったため、ボールを扱う技術の経験度には実質のところ三ヶ月ほどの差しかない。

 技術的にはほぼ同格の二人であるが、人に教える能力は、比較しようのないくらい圧倒的に春奈が上だ。

 亜由美は、自分ではなんとなく出来るプレーも、他人に説明するのは非常に苦手。どうでもいいことに関しては回りだすと止まらないくらいのお喋りなのだが。

 対して春奈は実に器用で、自分の技術力以上の領分を指導することが出来てしまう。

 本やビデオで勉強した理論が、頭の中にしっかり入っているのだ。

 その理論を、目の前で見る部員のプレーに照らし合わせ、どうすれば良いかという回答を即座に言語化出来るのだ。

 自分よりも遥かに上級者であるゆうの動き方についても、指導したことがあるくらいだ。

 佐治ケ江は先天的に体力がつきにくい体質なのだが、春奈の助言のおかげで無駄な動きが減って、最近、疲れにくくなってきたようである。

 さて、春奈の手助けにより亜由美先生のターン講義はなんとか終了した。


 やがて、部長の声がかかり、一年生と二年生とに分かれ、それぞれ練習。


 一年生は、守備の戦術練習。

 コーチは二年生の真砂茂美だ。


「えっと、その場合、どうシュートコース切ればいいんですか?」


 練習の中でかじはなが質問し、それを受けた茂美は、すぐさま動きについて実践してみせる。

 動きは滑らかで、見る者に「なるほど」と思わせかけるものの、終始無言なものだから、やはりみないまいち理解出来ないようである。もごもごと、なにか喋っているようにも見えるのだが、あまりに小さく、風の音との区別もつかない。


「ん、なになに? どうしたって?」


 篠亜由美は、ついに自分の出番だといわんばかりの嬉々とした表情で、二年生の輪から抜けて小走りに近寄ってきた。


「茂美、もう一回やってみな」


 真砂茂美は、亜由美にいわれ先ほどの動きを繰り返した。


「ああ、分かった。茂美、もう一度、ちょいスローでお願い。……そこに葉月立ってるでしょ、その場所、そこからこう斜めに、こう体を入れて、すると相手はつられてそっちに動いてしまうはずだから、ほら、この時にこう動けば、もうここしか相手のシュートコースがない。……っていってんだよ」


 亜由美は先ほどの名誉挽回とばかりにぺらぺらと喋る。

 ビンゴ、とばかりに親指をぴっと立てる茂美。


「なるほど、茂美先輩の動きと亜由美先輩の通訳でよくわかりました。いまのはベッキでの動きだけど、アラでも応用出来そうですね。茂美先輩のように身体が動くかは別ですけど」


 と、花香はようやく納得出来たような笑みを浮かべた。


「つうか、茂美! てめえ、もっとでっけえ声で喋れやあ。何度もいってんだろ。そんなんじゃあ彼氏なんてぜってーにできねえぞ!」


 と、二年生のグループからやまゆうが叫んでいる。そこまで大きな声を出さなくても聞こえるというのに、無駄にうるさい。


「え、王子知らんの? 茂美、中学の時からずっと付き合ってる彼氏いるよ」


 亜由美のなにげない一言、それは佐原南フットサル部の部員たちにとって、まさに青天の霹靂たる衝撃を与えるものであった。


「えーーーっ!」


 ほとんど全員が、一様に驚きの声をあげていた。

 他人のプライベートに無関心なですら、ぽかんと間抜けな表情で立ち尽くしてしまっているほどである。

 ドドドドドドドドド、屋外なら間違いなく砂煙の上がりそうな、けたたましい足音とともに、山野裕子が走り寄って来た。

 裕子は茂美の目の前でブレーキをかけ立ち止まった。そして茂美の顔を前から横から後ろから斜めから下から、と訝しげな表情で散々と視線をぶつけまくった挙げ句、


「うええーーーーーーーーーーーーっ!」


 と、改めて絶叫した。

 実に失礼極まりない部長の姿であった。


     4

「うおっす」


 しのは、二年四組の教室に入るや出くわした去年のクラスメートにつに声をかける。


「なに、亜由美また来たの? ほんと好きなんだねえ、真砂まさごさんのことが。それじゃねえ」


 新田香穂子は、級友たちと教室を出ていった。


 亜由美は教室の中央でポツンと席についている真砂茂美のもとへ向かった。

 知らない子の椅子を拝借して、向き合うように座る。


 茂美の机の上に、カバンから取り出したパンとオレンジジュースの紙パックを置いた。茂美も自分のバッグからパンと飲み物を取り出した。

 今日のお昼はパンにしよう、と今朝自分たちの地元駅のコンビニで買っておいたものだ。


 高校に入ってからというもの、残念ながら去年も今年も二人は違うクラス。

 しかし三年間同じクラスだった中学時代と同様に、二人は相変わらず仲良しで、なにかにつけては一緒に行動している。

 もっとも「仲良し」「親友」を公言しているのは亜由美だけであるが。

 といっても茂美が否定しているわけではなく、単に無口な茂美はなにも語らずというだけの話。

 もちろん二人の態度を見ていれば、わざわざ茂美本人から聞き出すまでもなく、仲の良いことなど一目瞭然なのであるが。


 今日はパン食であるが、コンビニのお弁当であったり、学食であったり、二人がなにを食べるかは、その日によってまちまちだ。学校の近くに労働者が好むような渋い雰囲気の定食屋があり、そこに食べにいったこともある。


 自宅でお互いのお弁当を作り合って持ってきたときには、さすがに周囲が引いたものである。「あんたら、そういう仲なんじゃないのお?」なかにそうからかわれた亜由美は「バカだね、あんたも同じ中学なんだから、茂美がタッ君と付き合ってんの知ってるでしょ。……でも、あたしの方はあ、そういう仲でもいいかにゃあ」などと本気とも冗談とも分からぬ言を吐き、思わず身をのけぞらせたじろいだ田中美代は、それ以来、彼女に話し掛けることはほとんどなくなったそうである。


「ああ、そうだ、あとちょっとで体育祭だ。嫌だなあ。茂美、種目決まった?」


 亜由美の問いに、茂美は首を横に振った。


「あたしさあ、足速くもないのになんでか知らないけど百メートルに選ばれちゃってさ。だったら障害物にでも、とっとと立候補しときゃよかったよ。短距離ってさ、ビリになることよりなにより、スタートの時の緊張感が嫌だよね。ピストルがいつ鳴るかいつ鳴るか、っていう。遅い子を後ろからぐいぐい追い抜けるような速い子はさあ、スタートが適当でもいいじゃない。むしろわざとちょっと遅れたりしてさ。カッコつけて劇的に抜いたりしてさ。でも、あたしみたく遅いのは、いかに少しでも前の子と引き離されないようにするかだから、スタートの時がもうとにかく緊張するんだよねえ。ああああもう、いまから鬱だよお。鬱モード全開。クラス対抗なんかじゃなくて、好きなもん同士で組めたらいいのにね。そしたらあたし、茂美と二人三脚でも立候補してたよ。茂美が既に引き抜かれて空いてなかったら、王子を誘うかなあ。もの凄い怪力だから、あたしがぐうぐう眠っててもゴールまでかかえて走ってくれそう」


 と、いったいどのタイミングで息継ぎしているのかというくらい継ぎ目なく喋り続ける亜由美に、茂美は唐突にコッペパンを差し出した。ハマサキ製パンの、コッペパンシリーズ新商品だ。


「そういや茂美、新商品買ってたよね。でもそれ、とどのつまりがただの小倉マーガリンでしょ」


 などといいながらも、受け取って少しちぎって口に放り込んだ。


「あら、おいしいわ。なんだこりゃ。配合かな、材料かな。小倉マーガリンなんて、いまやどのメーカーも出しているけど、他メーカーのとなにが違うんだろう。ハマサキパン、あなどるべからずだな。うん、ほんと美味しい。よし、あたしも今日の帰りにお店に寄って、あ、そうだ、ダイエットしてっから食べられないんだ。パンは食べても一日一回までなんだった。もう茂美ったら、なんつーもん食べさせてくれるのさ。帰りにコンビニ寄らないようにするの大変じゃんか。苦行か。そいじゃ、いまの一口のお返しに、あたしのジャムレーズンサンド食べる? あまりおいしくなかったけど、茂美には好みな気がする。いや、絶対好きだよ茂美は。まったく根拠はないけれどお」


 そのジャムレーズンサンドをちぎって口に入れ、もごもご喋りながら残りを茂美へ差し出した。

 茂美は手を伸ばし受け取りかけたが、急に手を引っ込め、なにを思ったか慌てたようにペットボトルを掴んで、キャップをくりくり回して外すと、さっと亜由美に差し出した。

 と、ほとんど同時に、亜由美が青い顔で頬っぺたを膨らませ、自分の胸をどんどんと叩きはじめた。もう片方の手で、差し出されたペットボトルを奪い取るように掴み、ぐびりぐびりと喉に詰まったパンを押し流した。


「ありがと茂美。死ぬかと思ったあ。……というかさあ、なにその、『ナイスタイミングだったでしょイエイ!』みたいな顔。逆でしょが。無表情で黙ったまま、ちくちくとペットボトルいじりはじめるから、それがなんだかおかしくて喉詰まらせたんでしょうが! もう、あたしも怒るぞ、ぷんぷん!」


 人差し指を両耳脇に当てて角を作ると、今度はけらけらと一人で笑いはじめた。


「ほんと無口なんだからなあ。あ、いいんだよ。茂美はそのままでいいの。むしろそれがいいの。たぶん、だからあたしとの相性もいいいんだろうからね。タッ君も、あたしほどじゃないけど結構お喋りじゃん。中二の冬からだっけ? もう三年近くも続いてるじゃん。相性が合ってんだよ。もしも茂美があたしみたいにペラペラ喋ってたら、多分あたしともタッ君とも噛み合わなかったと思うな」


 あれえ、でも確かさあ、茂美んとこって家族全員茂美並みに無口だよなあ。お父さんと、お母さんと、お姉さん。すっごい無口だよなあ。お喋り同士はぶつかるけれども、反対に無口同士だと相性がいいのかな。まあいいやそんなことどうでも。それであたしと茂美がどうなるものでもなし。歴史が変わるわけでもなし。それにしても、あれだね、茂美の買ったコッペパン、おいしいわ。ダイエットしているから今日は無理だけど、あたしも明日、絶対に買おっと。そういや、コッペパンのコッペってどういう意味だろう。日本語じゃあないよね。何語? どーでもいいけどふと気になった。気になったぞお。ほんとどーでもいいけど。


 篠亜由美は、頭の中でもお喋りであった。


 ただ、それだけ。


     5

 午後六時。部活練習も終わり、後片付けの時間だ。

 同じ屋内で練習していた剣道部やバレーボール部は少し前に引き上げており、体育館はがらんとして静かだ。


 コーン、ビブス、ボール、ゴールネット、等など一年生を中心に片付けを進めている。


 ゴレイロはゴールネット担当なのだが、一年生はなしもとさきだけで、さすがに一人では持ち上げられないため、二年生のたけあきらと一緒に運んでいる。二人がかりでも、相当に重いのだが。

 よいしょよいしょとゴールネットを運ぶ二人の前に、いくやまさとの姿が。


 里子は今日もまた練習中に周囲と揉めてしまい、不機嫌そうな顔を隠しもせずにボールを次々と大きなバスケットの中に叩き込んでいる。


「かわいそうな性格」


 梨本咲は、ちょうど里子のすぐ脇を通る瞬間、ぼそりと呟いた。里子がきっと睨みつけてくるが、そよ風に当たっているかの如くすました顔である。


 怒りの形相を浮かべる里子の手から、ボールがどさりどさりと床に落ちた。わざと落としたのだろう。

 咲に向かって一歩踏み出し、そして口を開きかけたその瞬間である。


「ほおら、咲、そうやっていちいち挑発してんじゃないよ! この、お子様が」


 晶は、咲を叱り付けた。

 里子は結局なにもいうことなく、咲の胸倉を掴むこともなく、自分の作業へと戻った。

 なにもいえなかったのだろう。晶にああいわれた以上は、なにをやっても咲の仕掛けた挑発という計算に乗ることになってしまうから。

 咲に、してやったりと思われるなんて、こんな癪に触るものはないであろうから。


「しょうがないじゃないですか。あたし、子供なんですから。先輩のおっしゃる通りですよ。ま、どこかの誰かさんほどじゃあないけど」

「子供っつうか、わけ分かんない。里子のことばっかり嫌いすぎだよ」

「そんなことないです。里子ばっかりだなんて。……晶先輩のことも嫌いですから」

「ふーん」


 晶と咲の二人は、そのまま無言になった。

 五秒ともたず沈黙を破ったのは、晶の方だった。


「そりゃよかった、な!」


 晶はそういうと、二人で担いでいるゴールネットを、咲の方へとぐいと強く押した。

 咲はぐっと足を踏ん張ってもちこたえると、すぐさま押し返した。

 ととっ、とよろける晶。


「危ないよ、咲! 怪我したらどうすんだよ! あと、床に傷つくだろ!」

「こっちの台詞ですよ。そっちが先に押してきたんじゃないですか」

「ここでそういう常識論持ち出す奴が、さっきみたいな幼いこというかね」

「うるさいな。ゴールネットの片付け、あたし一人でやりますから、晶先輩とっとと帰っちゃっていいですよ」

「だったら、あたし一人でやるから、そっちこそ帰れよ」

「ありがとうございます。じゃあ、お言葉に甘えて」


 咲はゴールネットの、自分の持っていた側を床に降ろした。

 その瞬間、晶の肩にずしりと衝撃的な重さが加わった。我慢しきれず、晶もゴールネットを床に置いた。


 去っていく咲の後ろ姿を呆然として眺めていると、ドタドタと足音。やまゆうが走り近寄ってきた。


「お、喧嘩? 喧嘩してんの? 晶怒ってる? 怒ってんだろ? タコみたいな顔しないの? ね、いつもみたくタコみたいな顔しないの?」

「そんな変な顔、したことないっつーの! あっちいけよ!」


 しっしっ、と晶は裕子を追い払う仕草。


「じゃあ、ネット運ぶの手伝ってやるよ」

「いいよ別に。ていうか、じゃあの意味が分かんないんだけど」

「一人じゃ運べないって。引きずっちまうよ。ほらそっち持って」


 裕子は、ゴールネットの片方を担ぎあげた。


「ありがと」


 晶はとりあえず素直に礼をいうと、自分もネットの片側を担ぎあげた。


「咲、どうよ」


 裕子が尋ねる。


「難しいわ。押せば逃げて、引いても逃げて。かと思うとこっちが押そうというタイミングで向こうも押してきたりするし。相手が大人の対応するとますます殻に入るタイプかなと思って、さっき演技で子供っぽく振る舞ってみたんだけどさ、あたし。そしたらいつのまにか、演技じゃなくて本気で頭来てた」

「でも好きなんだよな、ああいうの」

「まあね」


     6

「やっぱりすげえなあ、あいつは。足速え~」


 やまゆうは素直に感心していた。

 一年生の女子百メートル走を見ていたのである。

 部活の後輩であるいくやまさとが、二位以下を大きく引き離してのぶっちぎりの一等賞であった。


「ま、あたしの方が速いけどね」


 裕子は、短距離走ならば誰にも負けない自信があるのだ。


 今日は秋の体育祭。

 空は青く、雲がほとんどない、見事な晴天だ。

 気温も湿度もほどよく爽やかで、絶好の運動日和である。


「え、青いハンカチ? ごめん、持ってない」


 学年対抗借り物競争で、一年女子のペアが裕子のところに来たのだ。裕子は今日に限らず、そもそもハンカチを持ち歩く習慣がないため貸してあげることが出来なかった。

 一年女子の二人は裕子にお辞儀すると、他を探し始めた。そして大きな声で叫ぶ。


「青いハンカチ持っている、いませんかー!」


 それを聞いた裕子は、前方につんのめって、並べられた椅子をガラガラと豪快に倒しながら地に倒れ込んだ。


「ひょっとしてわざとか、あいつら!」


 白いシャツに青い短パンという男女共通の運動着なので、裕子が男子と勘違いされてしまうのも仕方ないことかも知れないが。

 髪を短く刈り込んでおり、男子と比べても裕子より頭髪の短い者など野球部員くらいのものなのだから。


「お父さんとおじいさんが見に来ている人いませんか?」


「ご家族が犬を連れて来てる人、いませんか?」


 ごみごみとした生徒たちの間を縫って、ペアが目的の借り物を探して歩いている。


「赤い腕時計、持ってる人いませんか~?」


 三年生、むらあぜけいのペア。最近フットサル部を引退した者同士だ。二人とも笑顔で、とても楽しそうである。


 二人は裕子の方へと歩いてきた。


 なんだ、梨乃先輩たちは時計か。ありきたりだな。まあ学校に持ち込めるものなんて、限られてくるから仕方ないか。


 などと心にぶつぶつ、梨乃たちの様子を見ている裕子。

 と、梨乃が裕子の存在に気付いたようである。


「あ、王子、赤い時計持ってない?」

「持ってますけどお。すっごい女子っぽい赤い腕時計。女子のあたしのでよければ、貸しますが。女子のあたしのでいいなら。女性で女子で女子レディのあたしの女の子っぽい時計でよければあ」

「またなんか傷つくようなこといわれたの?」


 梨乃の質問に、裕子はこっくりと大きく頷いた。

 苦笑しながら梨乃は、裕子の裏に回りこんで肩をぽんぽんと叩いた。


「もっとしっかり慰めてくれたら、貸してあげますよ。無利子で」

「どうすりゃいいのよ」

「肩揉んで」

「それ、慰めるといわないと思うけどなあ」


 といいつつ、腕時計貸して欲しさか裕子の肩を揉んでやる梨乃。


「おー、きくう。先輩、上手! 気持ちいい~」

「オヤジじゃないんだからさあ」

「そ、そこもっとお、あっはあーん、きゅーっと強めで、強めでお願い」

「はいはい」


 と、梨乃は肩を揉み続ける。

 二、三分もたった頃、


「はい、ご苦労さん。それじゃ、貸してあげますか」


 裕子は小走りで、自分の椅子のところへ向かった。椅子の下に置いてある自分のバッグを開けて、腕時計をがさごそと探る。が、すぐに顔を上げて、


「あ、家に忘れて来ちゃった。いつもカバンに入れてんですけど、今日カバンじゃないから」

「んだとてめえコラ! つーか、いつもカバンの中じゃあ腕時計の意味ねーだろ!」

「うわ、久々の男言葉だ」

「王子、今度ハナキヤのイタリアンジェラートおごれよ。肩揉み代だ」

「ひじょうにキビシー!」

「嘘だよ」


 梨乃は笑った。


「ああよかった。あたし金欠でピンチなんですから。漫画も買ってないんですから」


 帰りに買い食いばかりしているから。


「梨乃、あったよ。赤い腕時計、貸してもらえた!」


 向こうで景子が腕を振り叫んでいる。


「景子、ありがと! それじゃ、王子、またね~」


 そそくさと、梨乃は景子の方へと走っていった。


「梨乃先輩、相変わらずだなあ」


 でも借り物競争って、なんか似合わないよな。梨乃先輩、確か中学時代は陸上部とかいってたのにさあ。

 牙が抜けた感じだな。


 などと梨乃の背中を見つめながら心に呟く裕子であるが、彼女自身ももうそろそろ出番である。

 裕子の参加する競技は二つ。

 一つは八百メートルリレーで、こちらはもう終了している。アンカーの裕子が三人ごぼう抜きで、奇跡の逆転一等賞だった。

 もう一つが二人三脚で、こちらが間もなく開始時刻なのである。


「野田コージの物マネ出来る人~、いないっすか~」


 裕子のクラスメート、えんどうしんろうが大声をあげながら近づいてきた。


 ああ、そういえば、こいつも借り物競争に出てるんだったっけ。


「あ、山野、野田コージの物マネ、この前やってなかったっけ? お前出来ない?」


 彼は裕子の姿を発見すると、ぱっと希望を見出したような表情になり、早足で近寄ってきた。


「出来るよ~」


 というと裕子は突然、下アゴを突き出して、腰落として腕をだらりと下げて走り回りながら、


「おーい、ぷりぷり小学校五年三組のケンタ君ヨシオ君、マナブ君サトル君、筋肉、切れてるうう? ナーイスバルク」

「うまい、お前天才! つーか、バカ」


 と、手を叩いて絶賛する遠藤慎太郎。


「二人三脚走女子の部に出場する方は、朝礼台前に集合して下さい」


 場内アナウンスが流れた。


「あ、呼ばれちゃった。ごめん、遠藤。いかなきゃ」

「えーー。なんだよもう」


 遠藤慎太郎は、がくり肩を落とした。


「サジ、いくよ」


 裕子は、すぐ近くにいる佐治ケ江優へと視線を向け声をかけた。佐治ケ江は自分の椅子に腰を下ろし、少し前かがみに小さくなっている。


「どうした?」

「あ、あの……緊張、しちゃって」

「この間の練習通りやりゃあいいんだよ。そもそも二人三脚なんて、楽しんだもん勝ちなの。フットサルの合宿の時だってそうだったろ」


 春休みにおこなった合宿で、レクリエーションと試験的な意味合いをかねて二人三脚ドリブル競争をやったことがあるのだ。


 なにを語ろうとも、佐治ケ江にはなんの慰めにもならないだろうが。

 ましてやフットサル合宿は、十人少々の、顔の知った者同士であったのだから。


 と裕子は心に若干の同情をしつつも、佐治ケ江の腕を強く引っ張り容赦なく立ち上がらせ、集合場所へと歩き出した。佐治ケ江は肩を縮ませ観念したように、裕子について歩いていく。


 競技の集合場所である朝礼台前に到着した。

 運営委員の女子生徒がヒモを配っている。

 裕子はそれを受け取ると、自分の左足と佐治ケ江の右足とをきつく結んだ。

 佐原南高校体育祭の二人三脚には特徴があり、少し距離が長い。トラック一周四百メートル、通常ならばリレーで使うような距離を走るのだ。


 やがて鉄砲の音が鳴り、競技が始まった。

 スターターの鳴らす鉄砲の合図に、次、また次とペアがスタートしていく。


 みんな、速い。

 タイミング合わず、転倒してしまうペアもいる。


 そのような者を見る都度、佐治ケ江の顔面はより蒼白さを増し、その都度、まるで苦痛でも受けているかのように顔をしかめる。自分のことのように思ってしまっているのだろう。


 そしてついに、裕子たちの順番が来た。

 隠しようもないほどに、佐治ケ江は緊張してしまっていた。

 ぎゅっと結ばれた足から、震えが裕子にはっきりと伝わってくる。


「サジさあ、人前でおならぶっこいたことあるか?」

「ない」


 佐治ケ江は即答すると、裕子の顔を一瞥した。こんな時にそんなふざけた質問するな、ということか。

 本気で怒っているようでもあったが、裕子はまるで気にせず笑顔だ。


「だよね。もしもそんなことがあったんだったら、もう恥ずかしくて恥ずかしくてとっくに自殺しちゃってたりとか、学校に来らんなくなってたんじゃない? 真面目真面目で笑って誤魔化すことが出来ない。ゆとりがない。カッコいいとこ見せるつもりはないけど、カッコ悪いとこ見られるのも嫌。だから、緊張しちゃうんだよ」


 その裕子の言葉に、佐治ケ江は前を向いたまま。しばらく沈黙したのち、ゆっくりと、口を開き、呟いた。


「あたしは、王子じゃない」


 と。


「そうだね。でもさ、今後も生きてりゃあ、来るよ。緊張すること。どうしようって思うこと。恥ずかしいってこと。みっともないってこと。今後、いくらでもあると思うよ。あと六十年も七十年も人生続くんだぜ。もっと、楽にならなきゃ。自分なりの向き合い方、探していかないと、辛いよ」


 緊張くらい誰だってある。もちろん裕子だって、たまには。

 それが悪いこととは思わない。

 だけど佐治ケ江の場合、傍から見ていて緊張がマイナス方向にばかり働いてしまっている。本当に苦痛そうな表情を作る。

 それを見ているのが辛かったから、裕子はこんな場所ではあるがこんな話をしたのだ。


「位置について!」


 裕子と佐治ケ江は、肩を組んだ。

 他、三つのペアが並んでいる。


 銃声が鳴った。

 パン、と爆発する火薬の音に、四組は一斉にスタートした。


 裕子佐治ケ江ペアは、思いのほか良いペースであった。全組ほとんど差はないとはいえ、二位につけている。しかし、

 トラックの第一カーブに差し掛かったところでバランスを崩し、足をもつれさせ、転んでしまった。


「王子、ごめん」


 佐治ケ江は謝りながら起き上がるが、もつれ、また転んでしまった。


「こっちこそごめん」


 さっと立ち上がった裕子は、佐治ケ江の手を掴んで、引っ張り起こす。


 他の三組はミスなく進んでもう遥か先、第二コーナーを曲がっているところだ。


 大勢のいる中で転んでしまったことが佐治ケ江にとってどうしようもなく恥ずかしかったのか、二人の動きは非常にぎくしゃくとしたものになり、思うように走れないどころか、真っ直ぐ進むことすら難儀な状態になってしまっていた。

 歩調がまったく合わず、そのせいでバランスを取れず、右に左にふらふらとしながら進んでいくコースアウトどころか、しまいには逆走までしてしまう始末。


 佐治ケ江は、ふと裕子の顔を見た。

 裕子は、薄笑いを浮かべていた。それが横目に入り、気になったのだろう。


「なに?」


 視線に気付き、裕子も見返した。


「そんなニヤニヤと笑わなくたって。……これでも、精一杯頑張ってるんだから」

「バカ。サジのことなんか笑ってないよ。さっきいったろ、二人三脚は楽しんだもん勝ちなの。そうだ、合宿の時にやった二人三脚ドリブルしよう。透明ボール使ってさ。ほら!」 


 裕子はボールを放り投げる仕草をした。

 見えないボールを追って、裕子は強引に走り出した。

 引っ張られる佐治ケ江。次の瞬間、彼女の表情に驚きが浮かんでいた。

 宙に浮くボールを見たのかも知れない。

 二人は、同じように視線を動かした。

 ボールは地面に落ち、低くバウンドしたようである。

 二人はボールを追い、走り出した。

 ちょんと蹴り、また走る。

 佐治ケ江、

 裕子、

 佐治ケ江、

 裕子。


 もう他の三組は、とっくにゴールしている。

 現在走っているのは、裕子たちだけだ。

 やがて、彼女ら二人の前にもゴールが近付いてきた。


「王子」


 ボールを追い、走りながら、佐治ケ江は小さく、しかしはっきりと裕子へと語り掛けていた。


「ん?」

「どうもありがとう」

「なにがだよ。変な奴だなあ」


 裕子は照れたように苦笑した。


 ゴール。

 文句のつけようのない、完全なビリ。


 しかし、二人にはなんともいえない奇妙な達成感が生じていた。そんな表情であった。


 裕子は、楽しげにガッツポーズを作り、その腕を突き上げた。


     7

 ゴールネットが揺れた。

 ゆうが放ったシュートのこぼれだまを、いくやまさとが押し込んだのだ。


 ゴレイロのなしもとさきは、床を拳で何度も叩いた。よりにもよって里子に決められるなど、彼女にとって屈辱以外のなにものでもないのだろう。


 現在0―4、咲のいるチームが大差でリードを許している状況だ。


「もうやめた! 負け負け。うちらの負けでいいですから、やめましょ!」


 咲は拾ったボールを放り上げると、遠くへと蹴飛ばした。


「お前なあ、なにを勝手なこといってんだ。紅白戦くらいでカリカリしてんじゃないよ。みんなの迷惑を考えろ」


 部長のやまゆうも、叱るべきかなだめるべきか困り顔である。


「だって、あたし一人で失点してるみたいじゃないですか。向こう、サジ先輩がいるんだからずるいですよ」

「そっちだって、ベッキはしげでバランス取れてるだろ。向こうのFPはピヴォはサジだけど、あとは里子にりんにハナ。鈴がベッキだぞ、鈴が。そっちは茂美にはるづき。ほとんど二年生。充分だろが!」

「それじゃ、やっぱりあたしのせいで負けてるっていってるようなもんじゃないですか! でも実際は、その貧弱守備陣から一点も取れないから負けてんですよ!」

「だって、向こうあきらがゴレイロなんだからしょうがないだろ!」

「ほら、やっぱりあたしのせいじゃないですか!」

「お前、縦のジグザグパスワークみたいな理屈こねるのやめろよ。頭痛くなる。とにかく、晶の方が先輩なんだし、そりゃ能力差くらいあるだろ」

「そこだけの問題で負けているように思われているのが癪なんですよ」

「んなこと思ってないって」

「絶対思ってるくせに。でも、あたしと晶先輩、そこまでの差があるとは思いません」

「だったら勝負してみろよ! はっきりさせてみりゃいいじゃねえか! はい、紅白戦中止! いまから晶と咲でPKデスマッチを行いまーす」

「王子、なに勝手なこといってんだよ」


 たけあきらが、個人と副部長どちらの立場からも制止しようとした。


「だってあたし部長だもん。権限あるしぃ」


 裕子は両手を頭の後ろで組んで、とぼけたような表情を浮かべている。


「PKなんてのは運もあるし、能力見るのに役立たないって。役立たないというか、そんなの能力の一要素でしかない。試合は判断力やらいろんなものが必要なんだから」

「いいのいいの。なんか面白そうじゃん。咲、もちろん受けるよな。晶からの挑戦状」


 裕子は咲に、ぴっとカードを投げる仕草。


「そんな挑戦状出した覚えない!」


 晶はどんと床を踏み鳴らした。


「いいですよ。勝てないまでも、圧倒的な力関係じゃあないってこと証明してみせますよ。その挑戦、受けてたちます」

「だからあたしは挑戦状なんて送ってないって。……じゃ、やってもいいけど、あたしはそんな肩肘張らずにやるからね。負けたって構わない」

「いまから弁解ですか、晶先輩」

「そういうことでいいよ。で、ルールは?」


 晶は裕子に不満そうな顔を向けた。


「簡単。全員が順番にボールを蹴る。全員終わったら、ゴレイロ変更。そんだけ。後攻は咲にしてやっから、みんなの蹴り方の癖を見て研究しとけ」


 裕子としては、咲を先攻にしたら、後攻の晶に対し失敗を念じるばかりでしっかり見て学習しようという意識が薄くなってしまうことが気になるところなのであろう。


「だったら、あたし先でいいですよ」


 咲としては、後攻で勝っても評価が薄くなってしまうじゃないか、ということだろうか。


「だあめ。先攻は晶。咲が後攻。それじゃはじめるよ。まず、サジがキッカーね」

「ほんとにいいの?」


 といいながらも、佐治ケ江はペナルティマークにボールをセットする。


「いいのいいの」


 裕子の言葉に、佐治ケ江は小さく頷いた。こんなギスギスしたムードでボール蹴るのは嫌だけど仕方ない、という気持ちがひしひしと伝わってくるような表情である。


 晶はゴール前に立ち、


「準備完了。いつでもいいよ」


 と、両腕を大きく広げ、佐治ケ江を威嚇する。


 裕子は笛を吹いた。


 佐治ケ江は素早く踏み込むと、右足でボールを蹴っていた。

 シュートの放たれた瞬間、晶の身体は水平に動き、そして、右上の隅をしっかり捉えていたボールを見事に弾いていた。

 弾道を見切ったのか、蹴り足から瞬時に軌道を予測したのか、癖を知っていて当たりをつけてバクチを打ったのか。それは晶本人にしか分からないことであるが、とにかく素晴らしいセーブだったことに変わりない。

 周囲から、おーっと感嘆の声が漏れた。


 次のキッカーは、真砂茂美だ。

 結果は、×。


 晶の逆をつくことには成功したが、しかしポスト直撃だった。


「お前ン時もポストだといいねえ」


 裕子は、咲の顔をちらりと見る。


「それじゃ勝負の意味ないじゃないですか。茂美先輩、あたしの時はちゃんと蹴ってくださいね!」

「次、あたし」


 裕子は、ボールをセットした。

 ぐいぐいぐいぐいと後方に下がったかと思うと、突如走り出した。まるでゼンマイ仕掛けの自動車のオモチャだ。長い長い助走をし、そして奇声を発しながらボールを力任せに蹴飛ばした。

 バチン、と嫌な音が響いたと同時に、晶は身をのけぞらせていた。ボールは真上、宙高く跳ね上がっていた。

 落ちてきたボールを晶は見上げ、両手でキャッチ。

 裕子も失敗だ。

 晶はキャッチしたボールを床に激しく叩きつけると、肩を怒らせながら裕子のもとへズンズンと歩いて来た。

 ぐっと腕を突き出し、右手を広げた。


「ティッシュ!」


 晶の鼻から、つうと血が流れてきた。

 裕子は足元の医療箱から、ティッシュを一枚取り出して晶に渡した。


「……わざとやったろ」

「ごめんね晶ちゃん。本当にごめん。この際だから普段の恨み晴らそうとブッ殺すつもりで蹴ったら、まさかあんな見事に顔面直撃するなんて」


 そういうと、裕子は作った真顔を維持出来ずに、ぷっと吹き出してしまった。

 晶はティッシュを鼻につめると、相変わらず肩を怒らせたまま、「普段恨みがあるのはこっちの方だよ」とぶつぶつ呟きながらゴール前に戻っていった。


 次、篠亜由美の番。キックが弱く、晶に反応され、蹴り出されてしまった。


 衣笠春奈も失敗。キャッチされた。


 生山里子は力みすぎたか、宇宙開発。


 そして梶尾花香。蹴ったボールの勢いはそれほど強くはなかったが、晶は逆をつかれ、隅に決まった。

 ようやくにしてセーブ失敗した晶は、両膝を付き、床を拳で打ちつけて悔しがっている。


「なんだかんだ本気なんじゃねーかよ」


 と、裕子は呆れ顔。


 友原鈴の番。真っ直ぐだが勢いのあるシュート。晶は身体に当てて弾いた。


 続いて九頭葉月、晶は右腕に当てたものの、そのままゴールイン。


 そして次が最後の一人。

 梨本咲である。


「いきますよ!」


 咲はボールを踏みつけ、そのまま顔を上げ晶を睨んだ。

 晶は腕を突き出し、人差し指でおいでおいでの仕草。


「運良くセーブ連発してるもんだから、あいつ、すっかりハイになってるよ」


 裕子は、苦笑した。

 咲は助走を付けて、つま先で思い切りボールを蹴った。

 バズン、と凄い音が響く。咲の全力を込めて蹴ったシュートは、突き出した晶の両手の中に、見事収まっていた。


「すご……」


 花香が、思わず感嘆の声を漏らしていた。


 晶は突然に腰を落とし、ボールを置き片膝をつくと、顔を下に向けた。

 そしてそのまま動かない。

 裕子は素早く静かに晶のもとに走り寄った。腰をかがめ、晶の顔をのぞき込んだ。


「晶ちゃん、自分でも信じられない奇跡的なセーブに、顔がニヤけちゃってまーす」


 そのレポートに、亜由美と春奈と花香と鈴、思わず大爆笑であった。普段無表情な晶のニヤケ顔、爆笑も当然というものだろう。


「ち、違う、ニヤけてなんかないよ! ぶっ続けだから、疲れて下向いてただけだって!」


 晶は、顔を上げて猛然と抗議した。


「真実かどうかは皆様のご想像にお任せしますが、クールなイメージ壊されたくないこの必死な抵抗、これは本物かと思います」

「適当なことばっかりいってんだから」


 晶は立ち上がった。

 もうすっかりいつもの仏頂面だ。


「んじゃ次、咲が防ぐ番ね。キッカーの順番はさっきと同じで」


 裕子にいわれ、また第一キッカーである佐治ケ江がボールをセットした。

 短く助走し、蹴る。

 今度は難なく成功した。

 逆をつかれたと感じた咲は、咄嗟に足を横に投げ出したが、ボールはその上を通り越えてゴールイン。


 続いて真砂茂美。先ほどと同様、またもポストに当ててしまった。


「手加減いらないっていってんでしょ!」


 咲は激しく床を踏み鳴らした。


 次、山野裕子、成功。


 篠亜由美、成功。


 衣笠春奈、成功。


 生山里子、オーバーアクションで大きく振り上げた足を豪快に振りぬいた、と思わせて、弱く小さく蹴った。虚を突かれた咲の足の間を、ころころとボールは転がり、そろりゴールの中へ。成功。

 咲はどかどか拳で床を叩きまくる。


 武田晶、成功。


 梶尾花香、失敗。咲のブロックされた。


 九頭葉月。咲はキャッチし損ねて、ボールは真上へ。落ちてきたボールを、再びキャッチし損ね、両手の間をするりと抜けたボールは頭にバウンドして、ゴールイン。成功。


 これで全員が二回とも蹴り終えた。


 勝負終了。

 文句なし、晶の圧勝だ。


 咲は床の上に倒れこんだ。

 しばらく仰向けで大の字になっていたが、やがてごろんとうつ伏せになった。両腕で作った枕に自分の顔を埋めた。


「勝負あったな」


 裕子が、咲のもとへと近づいていく。

 咲は動かない。


「おい、聞こえてるか」

「聞こえてない!」

「咲の負け。おとなしく認めろ」

「運が悪かっただけ。実力じゃない」

「どう見たって負けてたろうが。子供みたいなこといってんじゃねえよ」

「子供なんだから、しょうがないじゃん! まだ生まれて十六年しかたってないんだからしょうがないじゃん!」


 半分泣き声になっている。


「練習すればいいんだよ。しっかり晶について、どんどん色んなことを盗めばいいんだよ。頑張ればすぐ抜けるって。あんなジャガイモみたいな変な顔の、性格の悪い奴なんて。頭も悪いしペチャパイだし」


 ボロクソいわれている晶は、怒りにボールを手に取り、手を振り上げた。山野裕子へ、ターゲットロックオン、と、その時である、


「そんなことないです! 晶先輩、凄すぎる。最初からかなうわけなかったんです。分かっていたんです」


 咲は顔を上げた。

 目が真っ赤にはれている。

 腕の中に顔を埋めながら、何度も何度も袖で拭ったようだ。

 咲は上体を起こすと、あぐらを組んだ。

 顔は、しゅんと下を向いているままだ。


「急に素直になりやがって。だからいまいったろ、晶から、どんどん盗めってばよ。あたしら二年生は、来年の夏で引退しちまうんだよ。晶もいなくなるんだよ。咲には立派なゴレイロになってもらわないと困るんだよ。フットサルっつーのは、ゴレイロの質が試合の相当な部分を左右すんだから。晶は顔だけじゃなくて性格もブスだから咲を褒めるようなことけっしていわないけど、裏では咲のこと、優秀だ、伸びしろある、絶対負けられない、ってよくいってんだから。顔も性格もブスだから黙ってっけどさ」


 裕子は後頭部にボールの直撃を受け、床に沈んだ。


「適当なことばかりいって、まったくもう。バカ王子め」


 晶はパンパンと両手を叩いて払うと、咲の方へと視線を向けた。


「咲さあ、今日のこと、あんまり気にしないでいいから。こんなん座興にしかならないって。それでも気になるっていうなら、バカ部長のいう通り、練習すればいいんだからさ。付き合うよ、いくらでも」

「二人とも、なに真面目に喋ってんですか? くっだらない。水飲んでこよっと」


 咲はいきなり立ち上がると、すました顔で体育館を出ていってしまった。


「ちょっと、なにそれ……」


 裕子と晶の、ちょっと虚しいハーモニー。

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