Ton.19 ヒトの業より産まれし罪の名は

 すっかり日が暮れて夜になった町を自動四輪車オートモービルが走っていた。

 四つのタイヤがついた、最新式の自動車である。前輪二つは後輪より小さい。後輪の間には、ガソリンによるエンジン駆動を行う黒い箱のような内部機関が置かれている。その上には物置として木箱がくくりつけられていた。

 運転をアルフィナに任せ、リュシアンは助手席でぶつくさと文句を垂れる。


「まったく、あいつにとって、殺人は例えどんな状況であっても絶対悪らしいな」

「あいつ?」

「ティア」

「絶対悪も何も、法典にもそうあるじゃない」

「じゃ、俺たちが今やろうとしていることは何なんだろうな?」


 揶揄するでもなく、あっさり聞けば、アルフィナが黙り込む。


「法典では報復や殺人は禁じられている。報復はともかく、殺人は人の命がかかってるから当たり前だけどな。だが、俺たち聖火騎士はそれが許されている」

「当たり前でしょう。私たち聖火騎士は、いいえ、福音省は法的機関よ。法の名の下、人を守り、時に裁くのが責務だわ」


 リュシアンは半眼になった。


「オマエ、典型的な聖火騎士だよな」

「……何が言いたいのよ」


 アルフィナがじっとりと聞き返してくる。

 どうでもよさそうなリュシアンは口調で語り出した。


「オマエ、さも、法典と福音省が正しいように語るが、それらは手段であって目的じゃねぇだろ。目的は道理が通れば正当化されるが、手段は正当化されねぇ。そもそも、単なる手段に正当化もクソもねぇから議論の対象になりゃしねぇってのが俺の持論だが。そのくせ、オマエやティアのようにそこに論点を合わせて正当性を語りたがるやつが一定数いる。目的と手段の逆転現象でも生じてんのか?」

「言いたいことがいまいちわからないわね」

「ティアと俺じゃ話の論点がズレてるから、いつまで経っても話がかみ合わないっていう話」


 今のお前ともな、と心の中で付け加える。

 嘆息するでもなく、リュシアンは続ける。


「ティアは王都グラ・ソノルの治安維持の手段として設けられている殺人を絶対悪としている。俺は目的の話してるのに、ティアはその手前の手段のところであーだこーだ言ってるから話が進まねぇ」


 単純な殺人の是非を問うなら、リュシアンもティアと同じ考えで基本的には非だ。もっとも、ティアと同じような感情的理由からではないが。

 手段についてのみ論じるなら、話はそこで終わる。

 だが、リュシアンは手段の是非も善悪も問うていない――だから、ティアと話がかみ合わないのだ。

 意見の相違や衝突というのは、考え方や価値観の違いなんていう大層な話ではなく、案外、論点がズレたまま会話していることを当人たちが理解していないだけではないだろうか。

 あるいは、切り分けて考えるべきものを一緒くたにして考えている、か。

 自己犠牲の尊さと、それを享受して生きる醜さは分けて考えるべきだ。そう唱えた為政者は誰だったか。


「例えば、この自動四輪車オートモービル。運転する時、交通規則があるだろ。あれは人の命や安全を守るのを目的したものだ。これについては異論はないな?」

「ええ」

「交通規則は安全確保という目的を達成するための手段だ。それ以上でもそれ以下でもねぇ」


 ずばりリュシアンは言い切る。


「安全に運転してくださいね、つっても、あまりにも漠然としてて抽象的だから、具体的な交通規制が敷かれる。まあ、普通のことだな」


 くあ、とあくびをしながら。


「自分たちは日々、平和と安全のために手段ルールを守ってます。立派なこって。けど、守ってないやつが平和と安全を享受してるのは許せません、どうしてあいつらも平和と安全を享受してるんですか。なんのための手段ルールですかっていうのは、違ぇだろ」


 交通規制は、目的のための具体的な手段として例示されているだけだ。

 それを法と名付けるから話がややこしくなる。


「重要なのは目的であって、手段じゃねぇだろ。手段を順守していなくても、平和と安全のためにそれ以外の方法で目的が達成されても、それでいいじゃねぇか。何か非人道的なことしてねぇならなおさら」

「過程をないがしろにしかねない発言ね。過程の先に結果があるのよ」

「ほれみろ。論点があっさりズレた」


 呆れて突っ込む。


「繰り返すが、俺は手段の是非も、ましてや正当性も論じてねぇって言ってんの」


 おまけに、いくらその正当性を主張したところで、手段はその先にある目的の達成を保証してくれるもんじゃねぇんだぜ?そう付け加える。


 手段という具体性は、抽象概念の理解に乏しい人間に必要な装置だ。

 リュシアンはそう思っている。


 目的だけぽーんと与えて、そこにたどり着く手段は自分で考えてください、というのは、雑だというのはリュシアンも理解できる。

 だからといって、具体例である手段を提示すれば、今度は手段を大義名分に、手段を守らない者に対する反発が生まれるらしい。時として、制裁すら許されてしまうように。

 交通規制がなぜあるのか、その目的を忘れているからだ。本末転倒である。

 

「安全という目的が達成されるなら、手段に固執する必要も、それをどうこう言われてもいいじゃねぇか」


 でもそれは無理だろうな。冷静に考えながら、わざと刺激してやる。


 本来、人間は命を奪うという行為を忌避するはずだ。リュシアンはそう思っている。

 たとえ、相手が罪人であろうが、因果応報だろうが、法的処置だとしても。

 その一線を理屈だけで飛び越えられるほど、人は合理的ではない。

 命のやり取りが常態化していない場所で生活していないのならなおのこと。

 あるいは、目的のために講じられる手段が極端である場合、心理的に何かしらのブレーキがかかっていいと思っている。


 だが、アルフィナは――正確にはアルフィナを含めた市民は、聖火騎士による犯罪者の処刑は、正当な処置だと考えている。平和という目的のため、王都グラ・ソノルが講じた、極端と呼べるべき手段を。

 異邦人であるティアに反発されても、だ。


 ――当たり前だ。そのための、王都グラ・ソノルの宗教なのだから。


 王都グラ・ソノルに浸透する教え――法典、聖王、あるいは聖火騎士は、王都グラ・ソノルにおける宗教だ。

 目的達成のため、手段は肯定されていた方が都合がいい。

 リュシアンは宗教というものに肯定的だ。

 抽象概念を目的に置き、それを達成するための手段として、これ以上に有効な装置もそうないだろう。ならば使わない手はない。


 因果応報なんていう、もっともらしい言葉も手伝えば、なおのこと聖火騎士による犯罪者の処刑は当然の報いとして浸透する。

 人は人に何かの報いを受けさせたくて仕方ないのか、非道な行いを含めた極端な言動を行う相手を罰することにそれなりに肯定的だ。

 また、善行を働いた人間や、努力を怠らない人間には、相応の報いがあってしかるべきと、そう主張する。

 言いたいことは理解するが、因果応報の理論はリュシアンとは異なる思想だ。


 別に手段は宗教でなくてもいい。敬愛や信仰、もしくは信頼を寄せられる装置があればそれで。

 人は自分が敬い、信じたものを尊重する。親しくなった相手にそうするように。

 たとえ、自分とは異なる意見、自分の理解が及ばないことがあったとしても、自分の視点からは見えない背後の事情を汲んだり、相手の意志や目的次第では理解し、時に同調すらする――人間関係と同じだ。


 しかも、人間関係という手段が基本的に一対一に作用するのに対し、宗教という装置は、一つで広範囲、かつ多数の人間に同時に作用する。

 作用し、その思考に、手段に慣れさせることができる。

 そう、人間は慣れる。

 価値観すら、容易に染まる。

 何も影響を受けずにいられる人間などどこにもいないのだから。


 人はみな、自分の考え方を持っているとか、自分は大多数の人間とは異なる考えを持っているとか、そう口を揃えて言うが、リュシアンはいずれにも懐疑的だ。


 元々、自分ではない他の誰かが生み出したいくつもの考え方を、生きていく上で獲得し、組み合わせているだけ。リュシアンが今こうして考えていること含めて。

 自分を含めた人が持つ思想や考えは、外から獲得するのか、もともと内にあるものが何かを引き金に発露しているだけなのか。そのどちらもか。


 時に、ここではないどこかに、いくつもの異なる考え方を大量に集めた場所があるのかもしれない。そう思うことがある。

 そこにある異なる思考をランダムに組み合わせたもの——それが人の形となって、この世界フィールドに現出している。

 だから、同じ意見を持つ人間が、あるいは自分とは異なる意見を持つ存在が、少数であれ多数であれ存在する。一つ一つがオリジナルの思考を持つことはない。

 というのは、話が飛躍しすぎだろうか。


 などと、論点がまさしく脱線したところで、リュシアンは思考を巻き戻す。


 宗教は手段にして装置だ。リュシアンはそう思っている。

 手段も装置も目的を達成するためにある。リュシアンはそう思っている。

 そして、ここ王都グラ・ソノルにおいて、宗教や聖火騎士は、平和と安全と統治を目的とした装置だ。リュシアンはそう思っている。


 では、その先。

 リュシアンが今頭の中で論じている部分について問おう。


 ――王都グラ・ソノルに、法典を、聖王を、宗教という装置を持ち込んだのは、誰だ?

 平和と安全と統治の目的で、装置を今も動かしている人物、その人物の真の目的は――?


(……国家の平和と治安のためっていうには、装置の規模が少し大掛かりすぎんだよなぁ)


 今まで、考えても自分では到達できないと思考停止させていた部分。

 王都グラ・ソノルの外から来た、異邦人であるティアの全力の反発を引き金に、自分の思考が再び動き出そうとしているのをリュシアンは感じていた。

 あるいは、これすらも俺の考えではないのかもしれない、とも。

 それを愉快に思う自分がいるのを自覚しながら、リュシアンは内心でひそかにほほ笑んだ。

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ヴィエラ・コード ~ディオスの夢を見る少女に、聖断にして断罪の剣を~ 久遠悠 @alshert

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