Ton.03 平和な風景

 アルフィナと別れた後、リュシアンはエルベ広場を目指して橋を渡っていた。

 白い石と赤い煉瓦の調和が美しい橋には穏やかな風が流れている。

 冬は終わったものの、空気はまだ肌寒い。

 川を挟んで作られた王都グラ・ソノルの整然とした町には川の水面をなぞるような風が吹き抜ける。そのため、余計に寒く感じられるのだろう。橋の途中、川辺から遠方に確認できる二本の塔はホーラの館だ。町並みは赤茶けた煉瓦の外観が古風な面持ちで、茶色の石を丁寧に加工した工芸品が並んでいるように見える。晴れ渡る紺青の空の下、河口まで川沿いに続く煉瓦色の建物は整然としていて美しい。式典前に関わらず、毎年大勢の観光客が訪れるのも十分うなずけた。


 が、人が集まれば騒ぎが起こるのは必然。


 賑わった大通りへやって来たリュシアンは、とんとん拍子に事件に巻き込まれた。


 昼間から飲んだくれの男たちが、肩がぶつかったという理由だけでにらみ合う場面に遭遇。一悶着の後、厳重注意。

 直後、建物の間にロープを渡して、命綱も、下にマットもなく綱渡りを演じて注目を浴びている命知らずの冒険家――もとい馬鹿野郎を発見。格闘の末に逮捕。

 賭け拳闘の開催場所をおおっぴらに宣伝している男を発見。開催場所だけしっかり覚え、男はきっちり補導。

 誰かが店の前に荷物を置いていったために通行妨害が生じて迷惑している、と通りがかった露店の店主から苦情が届く。店主の愚痴をにこやかに聞き、解決。


「……平和だ」


 リュシアンは街角に背中を預けながら空を見上げた。心が洗われるほど美しい快晴である。眩しいほど光り輝く太陽の近くを鳥の群れが飛んでいくのが逆光の中に見えた。

 少しの休憩を挟んで、リュシアンは再び歩き出した。

 すると、視界の端。人目に付きにくい路地の片隅。そこでリュシアンと似たような年頃の年若い青年が、不健康そうな肌色をした男から誘いを受けているのが見える。青年は何度か首を振って断ろうとしたようだが、男に強引に手首をつかまれ、そのまま暗がりへと連れ込まれてしまう。

 不穏な気配。

 犯罪臭のようなものを嗅ぎ取ったリュシアンの瞳が、すぅっと細められる。

 リュシアンは青年と男を追って薄暗い路地に入り込んだ。

 ほんの少しばかり大通りから離れただけのそこは、驚くほど静まり返っていた。大通りの喧騒が壁で隔てられたように遠く感じられる。人気もほとんどない。

 リュシアンは周囲に人がいないことを確認してから、聖火騎士の証である黒いコートを脱いだ。その下には白いシャツを着ている。それから紐で中途半端に伸びた銀色の髪を束ね、度の入っていないメガネを装着。コートは、裏返して脇に抱えている分には、聖火騎士の制服と分かりづらい。

 石畳の細い道をゆっくりと進みながら、リュシアンは両脇に並ぶ扉の奥の気配を注意深く探った。

 何枚目かの扉を通り過ぎたところで、複数の人の声を聞きつけた彼は足を止めて横を向く。

 そこには、赤茶色の石壁が――否、石壁と一体化したような分厚い木製の扉が立っている。声はそこから漏れているらしい。

 リュシアンは一つ息を吸い込むと気を引き締めた。

 扉に手を押し当て、ゆっくりと扉を開く。

 その先にあったものを見て、更にリュシアンの瞳が鋭く細められた。

 室内は暗幕によって暗くなっていた。天井からつりさげられた橙色をしたガス灯が室内を照らす中、男女の様々な性愛芸術の「資料」が展示されている。嬉しくもないむさくるしい男の匂いが充満する部屋の隅を見ると、人間の女性とほとんど変わらない人形が足を組んで座っていた。

 リュシアンは入り口にぶら下がった看板の文字を確認した。そこにはこう書いてある。


 ――「世界の神秘秘宝館」。


 入り口のあたりで立ち止まっていたリュシアンのそばに、恰幅の良い男が手をすりあわせながら近づいてくる。


「やあやあ、同志よ。今日は何をお求めで?」

「……いや、えーと」


 リュシアンは言いよどんだ。目の前にあったのが、予想とは異なる現場――ある意味これはこれで、取り押さえるべき現場だが――だったため、肩透かしを食らった気分だ。

 展示室としてさほど広くない室内には、よく見ると成人の儀を終えていないような年齢の子供も混じっている。

 一応、王都グラ・ソノルには青少年保護法や猥褻物陳列罪という罪状がある。

 おまけにリュシアンは聖火騎士だ。

 例え、この展示が式典の催し物として正式に許可されていたとしても、十分処罰対象だろう。

 さて、どうするべきか。

 リュシアンは少し考えた。脳内で桃色の妄想を膨らませている阿呆たちを一網打尽にするのも面白そうだが、捕り物としては少々味気ない気もする。

 すると、入口付近が急に騒がしくなる。白い衣装に身を包んだ人々が制止する人々を押しのけて中に入ってくる。オスティナート大陸各地に支部を持つ、治安委員会だった。

 清潔な印象の白の制服を着た彼らは、笛を鳴らしながら「秘宝館」の資料を次々と片づけ、撤収作業に入ろうとする。

 開催者の一人らしい男が勘弁と言うように声をあげた。


「ちょっと待った! そりゃあんまりです」

「だがねぇ、ちょっとこいつはまずいよ」


 治安委員の一人が難しい顔でうなる。

 しかし相手の男は気楽に笑ってみせた。


「いや、こんなのは娯楽ですって。娯楽。飢え渇いた日常に潤いを。要するに一服の清涼剤ってやつです。あるいは心の癒しオアシスですね」


 などと、言いだした。


「お気に召さないようでしたら、これなんかどうです?」


 男はそう言うと、いやらしい笑みを浮かべながら怪しげな一冊の本を治安委員に差し出した。治安委員の一人がやや迷うような気配を見せながらも、本を受け取る。彼が本をゆっくりと開くと、他の治安委員が本を開いた治安委員の傍まで寄ってきて、ちらちらと本の中身を覗き見している。よく見れば全員男だった。

 彼らは一枚、更に一枚とページをめくり、中を丁寧かつ仔細に調べた後、考え直すように、


「ふむ」


 とうなずいてメガネの位置を直した。

 本の中身を確認し終わった治安委員の一人は、棚に並べられた別の「資料」を手に取り、興味深そうに考え込む。

 その治安委員の興味津々な様子を見ていた別の一人が、さっと別の資料を奥から持って来て、彼に手渡す。


「こっちもどうですか?」


 今度は本を抵抗なく受け取り、治安委員は無言で資料を確認した。

 そして。

 がっし、と治安委員と男の一人が熱く、固い握手を交わした。途端、息を飲んで見守っていた観衆の間から、わっと歓声のような声が湧き上がる。まるで新たな同志を歓迎するように、笑顔を浮かべながら治安委員の周りを取り囲んだ。

 おい仕事しろ治安委員会。自分のことを棚に上げながらリュシアンは内心で突っ込んだ。

 公務をほったらかしにして「資料」について熱い論議を交わす人々を放ってリュシアンは外に出た。これ以上、長居したところで無意味だ。

 外に出たリュシアンは大通りに戻ってきた。薄暗い路地と違って、開けた通りは燦々とした日の光に照らされてひどく明るく見えた。

 世の中の汚れなど何も知らない純粋無垢な子供が無邪気に笑いあいながらリュシアンの前を通り過ぎていく。彼らを「秘宝館」に連れて行ったら、双方ともどのような反応をするのか。ふと好奇心がうずく。

 晴れ渡る青空を見上げながら、


「……平和だ」


 リュシアンはもう一度繰り返した。

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