第16話


 スゥハの風邪が治った。薬が効いたようで良かった。

 だけど、風邪が治ったスゥハはちょっと変わった?

 病み上がりのころ、お湯の入った桶を持って大樹寝室に入ったとき。


「スゥハ、汗を拭こうか。寝巻きを脱いで」

「いやです」


 あれ?


「でも、お風呂に入れないなら身体を拭くしかないんじゃない? 拭いてあげるから」


 近づくとタオルを取り上げられて、


「いやです。恥ずかしいです。叩きますよ? これぐらい自分でできますから」

「スゥハ、はっきり言うようになったね」

「ユノン様には、はっきり言わないと伝わらないじゃ無いですか?」


 それもそうか。


 すっかり元気になったスゥハが布を織ったり服を作ったり。

 ズボンを穿いたスゥハの足の足枷をヤスリで削って外したり。そのときにスゥハの足の裏を指でムニムニしたら、手をペチンと叩かれたり。

 そんな日々。

 雪がスゥハの膝の下まで積もったころ、魔狼のひとりがやって来た。


「スゥハ、ひとり来たぞ」

「すぐに行きます。ユノン様は気にせずいつもどうり過ごしてください」


 熊の毛皮のコートを羽織って、スゥハは魔狼の背中に乗って行ってしまった。

 雪の森の中、風のように走る白い狼に乗るスゥハ。たくましくなったなぁ。

 お菓子で魔狼を手懐けたスゥハは、森の奥に村人が入って来たら警告しに行く。魔狼もお菓子目当てにスゥハに知らせに来る。

 こんなことはたまにしか無いけど、僕の住み処の警戒網がいつのまにかできていた。


 で、僕の方はというと、洞窟の中で魔狼の長フイルとお茶をする。

 ソルガムで作ったパンケーキにリンゴのジャムで。


「おぉ、甘味、甘味……」

「気にいった?」

「スゥハの菓子はうまい」

「で、今回は?」

「迷って森の奥に来たのでは無い。その村人の男の話では、妹が寝込み熱が下がらずなんとかならないかと薬を欲しがっていた。ドラゴンの角が万病に効くと知り、ユノンの角を欠片でもいいから手に入らないか、と」

「その男はドラゴンの角で病を治した人を、見たことあるのかな?」

「無いだろう。ドラゴンの角を手に入れられる人間など、まずいない。スゥハは山刀でその男を帰るように脅して、追い返した」

「スゥハは無事なんだろうね?」

「我ら一族の守りがある。ただ、森の中で薬草を探しているからまだ帰っていないだけだ」

「雪の森を彷徨いてたら、また風邪ひいちゃうよ」

「遅くならないうちに一族の者が連れてくる」

「ありがとう。そのパンケーキは全部持ってっていいよ。僕はやることができた」


 スゥハについて行ってもいいんだけど、スゥハが村の人間を僕に近づけないように頑張っているので、お留守番。

 さて、エルダーフラワーの実がまだ残っていたっけ。


「遅くなりました」

「お帰りスゥハ。まずはお茶でも飲んであったまってね」


 人の姿で大樹に隣接する家屋の二階。すりこぎでゴリゴリゴリゴリ。


「ユノン様は何を作っているんですか?」

「またスゥハが熱を出したときのために薬を作っておこうかと。前にとったエルダーフラワーの実が残ってるし、洞窟奥で青カビ培養してみたらいい感じに増えたから」

「……ユノン様、もしかして後をつけて見てました?」

「なんのこと? あ、スゥハも手伝ってくれる?」

「はい。それと森でマロゥとエキナセアを摘んできました」

「じゃ、それも入れちゃおう」

「ユノン様、ありがとうございます」

「いちいちお礼を言わなくてもいいよ。これ、煮出してくれない?」


 翌日、できた薬と倉庫の失敗作を持ってスゥハは村に行った。魔狼の背に乗って。

 これが見慣れた光景になるとはね。

 魔狼って誇り高き幻獣のはずだったのに。弱点が甘いお菓子とは知らなかった。


 雪が積もると外に出づらくなる。

 ある日の夜、外が吹雪いて雪が斜めに降る寒い夜。

 時期として今夜は満月。

 このときのために作った湯たんぽ。お湯を入れて布で巻いて腹巻きに入れたら暖かい。他にも防寒具、帽子に靴下、顔の鼻から下を覆うマスク、マフラー、手袋。そして毛皮のコート。

 思い付く限りの防寒装備でスゥハをモコモコにする。


「こんなに厚着をしないといけないんですか?」

「かなり寒いはずだからね」


 毛皮のコートの上から革のベルトをたすき掛けにしてぎゅっと締める。ベルトの端の金具を確認。


「これでよし、夜の散歩に出掛けよう」


 スゥハに見せたい景色がある。


 外に出てドラゴンの姿に戻る。用意しておいた鞍を背中に。翼の付け根の間、首の根本で固定するようにベルトで固定。胸の前でバツ印にベルトを回して鞍がふらついてないかを確認して。


「スゥハ、背中に乗って」


 僕の手を踏み台にしてスゥハを背中に登らせる。スゥハは僕の背中でベルトの金具をパチンと鞍に繋げて、鞍から伸びるロープを腰に巻く。

 首を曲げてスゥハが振り落とされないか、ちゃんとベルトが締まっているかを見る。スゥハは鞍についてる取っ手を両手で掴んで、


「準備できました」

「じゃ、行くよ」


 雪の降る夜の中、空に向かって雲を目指して飛び上がる。

 

 暗い雲の中に入って上に上に。急激に高度を上げるのはスゥハの身体に良くないので、上昇速度を調整して。

 雲の上に突き抜けて、スゥハに見せたい景色にたどり着く。

 スゥハの感想はどうかな?

 あれ? 何も言わない?

 まさか気圧の変化で気絶しちゃった?

 片目で背中を見ると、スゥハは気絶はしていなかった。あたりの景色を見て呆然と言葉を無くしていたみたい。

 そのままゆっくりと空を飛ぶ。僕の好きな景色のひとつ。地上が大雨とか大雪とか、雲の厚い夜の満月の景色。


「これが、天上の光景……」


 スゥハの漏らした言葉に僕は嬉しくなる。

 冬の澄んだ空気の中、雲の上は遮るものの無い満天の星空。白く明るい満月が地上で見るより大きく見える。見下ろせば一面の雲の海。風になびく白い雲が月の光に照らされて、波のようにうねり綿のように浮かぶ。


「一面の雲の原……、雲の上に乗って歩けたり、できますか?」

「ちょっと無理だね。僕たちを支えられるほど丈夫じゃ無いから」

「雲の上では、雪は降らないのですね」

「雪も雨も雲から降るからね」

「星も月も、いつもより近くに見えます」

「冬は空気が澄んでいるし、邪魔になる雲の上だから」

「まるで神話の天の世界……」


 楽しんでるかな? 夜の雲の上、ゆっくりゆっくり飛行する。


「この景色から見下ろせば、人などちっぽけな存在なのですね」

「ふーむ。なるほど、ドラゴンにプライドが高いのが多いのは、こうやって他の生き物を見下ろす視点の影響もあるのかもね」

「やはり、人とドラゴンは違う生き物なのですね。最近はユノン様が人の姿でいることが多いので、つい人のように接してしまいます」

「人間も蟻とか他の生き物を見下ろしているじゃない。それに立場が上の奴が他を見下すのは、似たようなものじゃないの?」

「そうかも知れません。ユノン様は人をどう思いますか?」

「うーん、いろいろあるけど、スゥハは僕をどう思う?」

「ユノン様は……、ユノン様です」

「じゃあ、僕もスゥハはスゥハ、だ」

「それは、なんだかずるいです」

「あはは」


 雲の上には月の光でできた僕の影が映る。ドラゴンの影をひとつ連れて、浮かぶように空を飛ぶ。雲の海の上、二人っきりの夜の散歩。


「スゥハ、寒くない?」

「湯たんぽのおかげでお腹が暖かいです」

「それならもう少し飛んでようか」


 雲に近づいたり、離れたり、のんびりゆっくりと。

 静かな世界に歌声が聞こえる。


 月よ、星よ、夜よ

 怖い夢を連れて行って

 悲しい夢を遠ざけて


 スゥハが小さく歌う。耳を澄ませてスゥハの歌を聞く。


 月よ、星よ、夜よ

 優しい夢を連れてきて

 優しい朝を迎えるために


 月よ、星よ、夜よ

 眠りの守り手よ

 夢の運び手よ

 愛し子の枕元に降りて来て

 愛し子の目蓋に口づけを


 スゥハの声は綺麗だ。布織機で布を織るときもスゥハは歌う。

 もう少し大きい声で歌ってと言ったら、恥ずかしがって歌うのを止めてしまった。

 なので今も僕は黙ってスゥハの歌を聞く。

 白い満月を目指して飛ぶ。

 一面の雲の海の上を、星の光を反射する白い雲の波の上を。

 星空の下にスゥハの歌がそっと流れる。


 夢の中で出会わせて

 今は遠く離れても

 月よ、星よ、夜よ

 見上げればそこにあるように

 心はそばにいるように

 眠りの守り手よ

 夢の運び手よ

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