第12話


 スゥハといっしょにご飯を食べて、いろいろ話をした。

 スゥハにはドラゴンの僕の考えてることはわからない。僕には人間のスゥハの考えてることがわからない。

 なのでお互いにちゃんと言いたいことは言うようにしようか、ということになり。

 スゥハからのお願いは、僕が人間に変化しているときはなるべく服を着るようにしてほしい、と。

 僕からスゥハへのお願いは、僕を叩いたり蹴ったりしてもいいけど、股間にパンチだけはやめてほしい、と。


「こか、は、はい。わかりました」


 あのときのことを思い出したのか、赤くなったスゥハは指でちぎったわたあめをモソモソ食べる。

 あの部位以外ならスゥハの力では僕にはダメージは無い。

 ただあの名状しがたき激痛はかんべんして。思い出すだけで身体がきゅっとなる。


「それと、もうひとつお願いがあります」


 ん? なんだろ。


 ドラゴンの姿に戻ってスゥハについて行く。手には布に包んだ荷物を持って。

 スゥハも両手で布に包んだ荷物を持ってる。重くてふらふらしている。


「やっぱり僕が運ぼうか?」

「いえ、そこまで持ってもらえればあとはなんとかなります」

「スゥハ一人でこれ持って村まで行けないじゃない」

「私のわがままですし、あてもありますから」


 森の中に入ったところでスゥハが荷物を下ろす。中身は鍋とかフライパンとか包丁とかお玉とか。僕が持ってる方には山刀とか草刈り鎌、スコップにシャベル、保存食の燻製肉と野菜の漬け物など。


 茂みからガサガサと音がして魔狼が現れる。魔狼の一族の長ではなくて、魔狼の一族のひとり。白い毛並みの大きな狼、長の半分くらいの大きさだけど、並みより大きな白い狼。


「おぉ、スゥハ、息災か」

「魔狼さん、こんにちわ」


 魔狼さんて、いつのまに仲良くなってたの。


「ユノン殿もお久しぶりです」

「お久しぶり。ところで、君達ってこっそりとスゥハを護衛してるんじゃなかったっけ?」

「そのう、これには訳が……」


 魔狼がなにやらボソボソと言ってる。その魔狼に近づいたスゥハは取り出したハンカチを開いて、


「魔狼さん。私と荷物を村まで運んでくださいますか?」


 と、ハンカチの中身を魔狼に差し出す。中身はスゥハの作ったクッキー、え? この魔狼、お菓子に釣られて出てきちゃったの?


「なるほど、そういうことか」


 そう言いながら出てきたのは魔狼の一族の長。のっしのっしと近づいて来る。


「フイル、隠れて見てたの?」

「一族の者がなにか様子がおかしかったのでな。それがこのようなことになっていたとは。スゥハといったか、我ら魔狼をたぶらかすとは。ドラゴンが目をかけるだけのことはある」

「そんな、たぶらかすなんて、してません!」


 スゥハが魔狼の長フイルに抗議してるけど、手にはクッキー持ったまま。

 スゥハ、それじゃ説得力無いよ。

 魔狼が一族の長に平伏して、


「長よ、申し訳ありません。魔狼の誇りに傷をつけたのはそれがしの意思の弱さゆえのこと。スゥハによこしまな思いなどありませぬ。全てそれがしの不徳であります」


 と謝りだした。えーと、何? この状況。


「フイル、ちょっとどういうことなのか説明して欲しいんだけど、いいかな?」


 フイルはその場に座りスゥハを見下ろしながら、うむ、と。


「そこの人間の娘、スゥハは我ら魔狼の一族をたらしこんだのだ。魔薬を使って」

「魔薬ぅ?」


 スゥハ、いつのまに魔薬なんて作って使ってたの?

 スゥハは平伏する魔狼を庇うように、フイルの前に毅然と立つ。


「魔薬とはなんでしょうか? そのようないかがわしいものなんて知りません」

「その手に持った菓子の中に入っている。禁断の白い粉、砂糖のことだ」


 砂糖が魔薬だって? 


「フイル、砂糖が魔薬というのがよくわからない。魔狼にとって砂糖ってなにか特別な効果とかあるの? 僕も知らないんだけど」

「む? ドラゴンのユノンも知らなかったのか? 魔狼だけでは無い。森の獣にとって砂糖は魔薬に等しいものだ」

「僕にも解るように教えてくれない?」

「ふむ。人間の娘、スゥハよ、お前も知らないのか? 知らずに使っていたというのか?」


 スゥハは頷く。


「はい、私にもご教授して下さい。魔狼の長様」

「むー、人にも分かりやすく説明か、どこから話すべきか」


 教えてください、フイル先生。砂糖は魔狼にとって危険なものなの?


「自然の森に砂糖は存在しない。砂糖は魔狼にとってだけでは無く、他の森の獣にとっても一生口にすることの無いものだ」

「ちょっと待った。大抵の果実は糖を含んでいる。森には糖を含んだものは多いだろう? 花の蜜とか」

「だが、その糖を集めて抽出して結晶としたものは存在しない。似たものとしては蜂の巣の中にあるが、これが唯一と言ってもいいだろう」

「森の中では蜂蜜が一番甘い食べ物というのは分かるよ。でも甘味のある果物は他にもあるだろう」

「その通り。では、植物が造り出す蜜は獣や虫を誘う。これは知っているか?」


 スゥハが、


「鳥が木に実る果実を食べるのは知っています。樹液に虫が集まるのも見たことがあります」


 僕も続けて、


「鳥を誘って実を食べさせてその鳥に種を運ばせる。花は蜜で虫を誘って受粉を手伝わせる。自分で動けない植物が獣や虫を使って繁殖する手段だよね」


「鳥や虫を使うために植物が造り出す魅了の物質、それが糖だ。あらゆる森の獣が求めるその魅惑を集め抽出したものが禁断の白い粉、砂糖だ。植物が獣を誘う物質を凝縮したものだぞ、口にすれば恍惚と多幸感を呼び起こす。この強烈な甘味に抗える獣はいない、魔狼であっても。そして強すぎる甘味には依存性がある。常用すれば中毒を起こし禁断症状も出る」

「なんだって? スゥハ、君はなんて恐ろしいことを」

「えぇ? 私? ユノン様が台所の砂糖は好きに使っていいって言ったんじゃないですか! あの、魔狼の長様。すみません、砂糖がそのようなものとは知らなかったのです」


 スゥハはペコペコとフイルに謝っている。

 砂糖は僕が創物魔法で作れるから気にしてなかったけど、スゥハが言うには人間にも貴重で高価な品だってことだし。創物魔法以外で作ろうとしたらその手間とか、想像してみるとかなりの労力が必要だ。


「フイル、これは僕の知識の不足と配慮の無さから招いた事態だ。君の一族とスゥハを責めないでくれないか」

「砂糖を含む菓子の危険性を知った上で気をつけてくれれば、それでいい。その上で」


 フイルはずいっとスゥハに顔を近づける。


「我もそのクッキー、ひとつ食べたい」


 君もお菓子に釣られて出て来たんじゃないか。


「ドングリで作ったクッキーです。お口にあえばいいのですが」


 フイルはスゥハの前であーんと口を開ける。スゥハを一口で食べられそうだ。

 他の人間ならそのまま卒倒しそうだけどスゥハはわりと平然としてる。僕を相手にしてたから大きな生き物に慣れたのかな。


 スゥハはドングリのクッキーを二枚手にとる。僕もスゥハの作るお菓子を食べさせてもらったことある。あのクッキーも甘くて美味しくてサクッとした歯応えの楽しい一品。

 スゥハはそのクッキーをフイルの口に入れようとして、クッキーを持ったままの手でフイルのピンク色の舌を指でチョンチョンと触る。

 魔狼の長の大きく開けた口に頭を入れて、興味津々でその舌を触るスゥハ。

 うん、こんな魔狼と人間は見たことが無い。

 人間にしたら魔狼の口の中を触る機会なんて無いか。スゥハのこういうところは年相応というか子供っぽい。

 フイルを見ると口を開けたまま目で、まだ?まだ?と訴えている。


「スゥハ、焦らさないであげて」

「は、はい。すみません」


 スゥハはフイルの舌の上にそっとクッキーを置く。


「おぉ、甘味、甘味……」


 狼ってかぶりついたら丸飲みだと思ってたけど、フイルはどうやら舌と上顎でクッキーを挟んでいる様子。

 唾液で溶け出した甘さを目をつぶってじっくりと味わっている。


「で、フイル、スゥハのお菓子は今後はどうしようか?」

「魔狼への与え過ぎに注意してくれればそれでいい。特に子供には。虫歯とか怖いからな」

「わかりました。今後は気をつけます」

「我ら魔狼の一族はこの森で最も強いユノンに従う。そのユノンの頼みでスゥハ、お前の護衛をしていたが、我らは人の下についた憶えは無い。菓子に釣られたとはいえ魔狼を下僕のように使えるなどと勘違いはするな」

「そんなことは考えていません。魔狼さんが私を守ってくれていたと知りなにかお礼ができないかとお菓子を作りました。魔狼さんと仲良くなれたつもりだったのですが、砂糖のせいとは知りませんでした」

「だが、まぁ、スゥハが菓子を捧げて魔狼の助力を願うということなら、やぶさかではない」

「あの、魔狼の長様?」

「フイルという。スゥハよ、我のことは名で呼ぶがいい。スゥハには我が一族の者を使うことを特別に許そう」


 フイル、カッコつけてるけど、お菓子を食べたいだけだよね? すると茂みガサガサと鳴る。


「長の許しが出たぞ」

「なんと、我らにも甘味を口にする機会が」

「スゥハよ、拙者は足が早いぞ」

「いや、力ならばそれがしの方が」

「鳥を狩ることには我輩が一族いちぞ」


 茂みから次々と魔狼の一族が現れる。そしてスゥハに自分のことをアピールしてる。

 君たち、お菓子を食べたいだけだよね?

 砂糖、恐るべし。


 お菓子で魔狼の心を掴む娘、スゥハ。

 のちに魔狼を従えしドラゴンの聖女とか呼ばれたりすることは、僕もフイルもスゥハもこのときには分からなかった。


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