第5話 殿上院様①

 翌日、詩音はいつもどおり――というか本来の身分通り――学校で授業を受けいていた。文系の高校二年生と言えば、理科がなくなりヒャッホーと思う反面、ああ来年から受験か、と遠近感のつかみにくい未来を考え無くてはならない厄介な頃合いでもある。


 そういった意味合いでは付属高校に入籍している詩音はエレベーター方式で大学に入れるわけだから恵まれていると言えば恵まれていた。まして名門と謳われる御堂法成大学であればなのことだ。


 そんな付属高校で午後の五限目の数学Ⅱという非常に眠くなる授業を受けながら、ふと詩音は昨日交戦した仮面男について考えていた。


 身のこなしは鮮やか、勘も良く、何より高い戦闘技術を身に着けているなど、気にならない方がおかしいくらいだ。


 仮面という視界が狭まるものを付けておきながら、こちらの動きをすべて察している、と言わんばかりの運動性能には恐れ入ってしまう。げに恐ろしいのは彼が高い実力を持つ術師二人を相手取ってほぼ無傷である、という点だ。淳平はいざ知らず、自分もそれなりの腕前だ、と自負している詩音にとって刀の風圧がかすった程度というのは信じられないことだった。


 何より相手はこちらと違って技を一つも使っていない。呪術式もだ。純粋な戦闘技能のみでの敗北というのは受け入れがたい屈辱でもあった。


 詩音や淳平、その他多くの呪術師が使用する「斬術」はそれだけ個人の力量に左右されやすい。剣術や棒術、槍術など特定の武器に焦点を当てた武芸ではなく、ただただ殺すための技が斬術だ。徒手空拳に近いが、あくまでそこは斬術であり、斬ることが技の主体となる。


 刀や槍、斧などのもとから刃が付いている武器での切断は言うにおよばず、手刀や棒、三節棍、果ては紙切れや布切れ、スマホなんかですら斬ることを可能にしてしまう技、それが斬術だ。


 もっとも、スマホで人を斬るなど自分はおろか、日本中の斬術の使い手を探してもまずいないだろう、と詩音はほくそ笑む。要はどんなものでも必殺の武器にするための技術ということだ。


 あの仮面男の武器はカスタムガン。銃剣と呼ぶには小さすぎ、ナイフや銃と呼ぶにはどこか歪な形をしている。一見すれば中距離と近距離、どちらもこなせそうな武器だが、銃剣があまり普及しなかった理由の通り、使い勝手が悪すぎる。


 銃を右手に、ナイフを左手に持てば相手がナイフの射程にいても銃を射ってしまうのと同じようにやはり威力が高く、簡単な武器に人間は頼ってしまう。まして仮面男の武装では近距離だと余計にナイフが扱いにくい。ナイフだってただ刺せばいい、というものではなく、戦闘においてのナイフとは相手の筋などを斬り、無力化あるいは即死させるための武器だ。


 銃剣と同じく、小銃に付けるメリットはほぼないのだ。だからこそ今の世界は銃とナイフを分別して使っているし、どちらの長所も活かそうとしている。


 ――だからこそ。


 だからこそ、仮面男は恐ろしい。


 あの時、と詩音は昨日淳平を斬った時の光景を鮮明に思い返した。仮面男は淳平の腹をマカロフカスタムのナイフで裂いた。銃でも良かっただろう、しかし敢えてナイフで腹を裂いた。


 あの時、銃で射たなかったのは銃口を淳平に向けるよりも、振り返りざまにナイフで裂いた方がだったから、と詩音は推察する。自分に向けていた銃口を一度引き戻し、そして淳平に向けるとなれば数秒ほど時間がかかる。


 それに照準を当てるのも面倒だからな。


 兎にも角にも、仮面男の力量は自分達二人がかりでも勝てない、と思わせるほどには高かった。またあの手の輩と会わなくてはいけないのか、と思うと辟易してしまう。


 考えても結論などでない。午後の空気も相まって、自然とまぶたが重くなっていく。


 「おい七夕、聞いているのか?」


 唐突に詩音の頭部に衝撃が走った。まどろみの中に落ちそうだった彼の意識を覚醒させ、自分を叩いた人間を凝視する。


 「は、はい!」


 「そうかそうか。いやぁ、先生は嬉しいなぁ。じゃぁ、ホワイトボードに書いてある問題解いてみろ?」


 数学教師は笑顔のまま、ホワイトボードを指差した。そこには明らかに発展問題と思しき図形問題が書いてあった。直視してすぐに詩音の脳みそはホワイトアウトする。そもそも文系の人間が発展問題など解けるわけがない、国立に行くわけでもないのだから。


 「えー。アレ解けるんですか?」

 「発展問題だが先生の話を聞いているんだったら解けるよな?」

 「え……ええ……?」


 試しに解こうとしてみるが、全く手も足も出ない。円の方程式がx2条+y2条=r2条で……そのために中心を求めるわけだから……この場合は平方完成?、と。彼の頭の中で公式がダンスを踊っていた。


 わからない。


 ふと背後へ視線を向けると、例の数学教師がニヤニヤしながら見ていた。心なしか、クラスメイトもニヤニヤ笑っているように見えた。


 「すいません、ちょっとこれh」

 「よぉ、詩音。ちょーっと失礼するぜ?」

 「え、矢野さん?」


 詩音が誠心誠意込めて謝罪しようとした矢先、勢い良く教室の扉が開き、黒スーツを着た淳平がにょきっと姿を現した。いきなりの乱入者にクラス内が騒然となる。生徒はもちろん、教師までもが開いた口が塞がらなかった。


 かく言う詩音もなんでここに淳平が、と目を丸くしていた。付属高校はもちろん大学の生徒ですらない矢野が校内にいることに驚かないはずがなかった。


 「いやごめんよ?せーっかく青春ハッピーライフ送ってたのにさ。ちょいと例の件で呼び出されちまったってさ」


 「――ちょっと待ってくれ!なんだ、お前は!校内に何の用だ!」


 「ああ、先生ですか?ちょっとすいませんね。あ、これ校長から預かってます早退届けです」

 「はぁ!?」


 数学教師は突然教室の扉を開けた淳平に食って掛かるが、突き出された校長の印鑑付きの早退届けを見て眉をひそめる。私立の教師とはつまるところ会社員だ。上の定めたルールには従わなければならない。


 まして校長の印鑑が入った早退届けともあれば受け止めなければならなかった。言いたいことは山のようにある、と恨めしげな目で数学教師は淳平を睨むが、当の本人は我関せずとばかりにズカズカと教室へ土足で入っていくと、詩音を教室から連れ出した。


 詩音にしても状況が理解できない。淳平の例の件という口ぶりから昨日の仮面男のことだろう、と予想はできたが、それでなんで『宮殿みやどの』に呼び出されるか皆目見当がつかなかった。


 「ちょっと矢野さん!なんで俺ら宮殿に呼び出されたんですか?なんか変なこと書いたんですか、報告書に」


 「なんで宮殿だって思うんだよ?」

 「そりゃ、まがりなりにも社会人やってる矢野さんが校長の印鑑使ってまで俺を早退させりゃそれくらいしかないんだろうな、と思いますって。


 関東圏の呪術師にとってそれほど宮殿は重要な立ち位置にある。


 その創設は時代は平安末期、平将門の乱にまで遡る。当時平将門の怨霊は関東を始め日本全土へ及んでいた。末法思想がはびこる世となり、民は喘ぎ諸国では反乱や一揆、飢餓が蔓延していた。


 そんな中、ふと現れた天女と見まごうばかりの女性により、将門の怨霊は封印された。彼女の名は不明だが、その地の民はこぞって彼女の神々しさから殿上院と呼んだ。


 殿上院は将門の怨霊の持つ力を関東平定のための源とすべく社を築き、以来その社の中で生涯を送ったという。彼女の死後、将門の怨霊の復活を畏れた関東圏の呪術師は大掛かりな神殿を作り、その供養をかかさず行ったという。


 いつしか神殿は宮殿と呼ばれるようになり、関東圏の呪術師の活動の中心部となった。その後の鎌倉、室町、江戸、帝制日本、戦後東京と宮殿は形を変えながら、現在まで存在している。


 無論、殿上院も。


 「――聞いた話じゃ殿上院様自らのご指名だそうだ」

 「あの仮面男、そんなに危険な男だったんですか?」


 「というより、俺らが狩る予定だった怪異だろうな。俺としてはそっちの方がしっくりとくる。ただ1人の呪術師のために人手が少ない呪術師を呼び出すのもちょっと効率悪いだろ?」


 だが、と詩音は昨日のレノンの解剖結果を淳平に伝える。淳平がもう知っている内容だったが、詩音にしても特に異常がない個体をわざわざ注視するなど愚行としか言いようがなかった。


 「それとも殿上院様には俺らに見えないものがみえているんですかね?」


 「殿上院様は世代を追うごとにその力を増しておられる。怪異などと似たような法則だな。怪異もまた潜在能力と時間により力量が増す。――そう考えれば、おっと。これ以上は不敬に当たるな」


 「でも今代が歴代随一であることの確たる理由でもあります。衆知の事実ですし、次代のあの方もまた……」


 「潜在能力に底がない、と言われる所以だな。初代でさえあの将門公を沈められたのだ。果たして今代の殿上院様はどれほどの力を有しているのやら」


 そんな会話をしている二人だが、今彼らは東京都千代田区大手町、すなわち将門塚と呼ばれる塚の前に立っていた。周囲に高層建築物、そして皇居という風情と現代的趣の両方を感じさせる場所だ。


 平日の昼頃にもかかわらず、人通りと車通りが激しく、都会ならでは騒音が心地よいスポット。


 そんな人目のある中、二人の呪術師は手首の銀色の時計の針を午前0時にセットし、墓石の前に立つ。


 刹那、紅色の円陣が彼らの足元に出現した。円陣は一瞬光を発すると、二人の体を周囲の人間の視界からかき消した。


 そして次に二人が目にしたのは、寝殿造りの紅の館だった。

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