第3話 解剖する死体愛好者

 詩音が連絡してものの十数分で彼らがいる賃貸ビルの前に清掃業者のシールを貼った一台の大型車が到着した。中から出てくるのは清掃用のモップやバケツを持った清掃員の出で立ちの人間。数は5,6人だろうか。

 全員がハンチングと大きいマスクで目以外を隠しているため、男なのか女なのかを判別することはできない。彼らは重い荷物をもっているのにもかかわらずスイスイと階段を登っていく。五階に到着するまで一分もかからなかったのではなかろうか。


 彼らは部屋に到着すると、早速中の掃除を始めた。部屋中に飛び散った血はモップがけや雑巾がけといった古典的手法で拭い取られ、死体はすべて大きめの寝袋の中に放り込まれていく。

 とにかく作業が速かった。丁寧さとはかけ離れていて、とにかく手早くを隠蔽していくための作業が行われていた。


 怪異の腕もいくつかの封印用の札を貼ったりと徹底して大きなポリ袋で包んでいく。平安時代の悪鬼である茨木童子のような例もあり、怪異の体の一部というのは総じて害しかないからだ。

 やがて室内の汚れをすべて取り除き、今度は倒れた机や椅子などを元の位置へと戻していく。いつしか室内はどこに出しても恥ずかしくないまっさらな人のいないオフィスへと変貌を遂げていた。


 仕事が終わると彼らは早々に退散していこうとする。そのあっさりとした態度がまた仕事人らしい。しかし、詩音がご苦労様です、と頭を下げると何人かはペコリとハンチングのつばを摘んで会釈したりと、人間味も感じさせる。


 「ざっと一時間ってところか?早すぎだろ」

 「いつものことじゃないですか。――それよりもこれからどうします?任務失敗しましたって報告しますか?」

 「失敗ってわけじゃないんだがな。まぁいい。とりあえず報告書は俺が書く。お前はあの腕が持ち込まれた『解剖室』に行ってこい」


 わかりました、とシドは応える。年齢が20代後半の淳平が行くよりも、付属校生の自分が行く方が自然だろう、と受け取ってのこと返答だ。

 淳平の言う『解剖室』とは東京都文京区に居を構える私立御堂法成大学のことだ。表向きは日本でも屈指の名門私立大学であり、また明治中期から存在する伝統と歴史ある学びのそのだ。


 しかし、その実態は付属高校も含めて関東圏の呪術師の学び舎であり、活動拠点だ。高校も含めて学生の三割が呪術師、教員も二割は呪術師であり、一般には開放されていない施設も数多くある。

 文京区という一等地にあって呪術師という少数派マイノリティーの加藤同拠点となっている理由は数多くあるが、やはり1番の理由は江戸から明治に至るどさくさに紛れて土地の権利書をでっちあげたのが大きいだろう。


 その後明治政府による学業推進の波に乗り、今の御堂法成大学が形成された。敷地内には付属高校もあり、その他多くの研究棟も完備していることから、相当の敷地を有している。

 その一角に設けられた他よりも少し古びた医学棟に『解剖室』は存在していた。地下へと続く石階段を降りていき、ドアを開けると暗い階段とは対照的に明かりがいっぱいに照らされた巨大な空間がひょっこり顔を出した。


 東京の地下に造られ、電子的、呪術的セキュリティに守られたそこは関東圏の呪術研究における宝庫と言っても過言ではない。

 エントランスから入ると、すぐに巨大な穴が目に入ることだろう。物理法則など当然無視して、その穴は形成されている。中を覗けばいくつもの階層が連なっており、施設の巨大さに目を疑ってしまう。


 穴の底は見えず、またどこまで続いているのか、見当もつかない。一説には穴の底には伯の上をはるかに超える化け物が拘留されている、と言われていたりもする。

 だが、今の詩音にそんなことは関係なく、彼はいつもお世話になっているとある呪術師兼法医学医解剖医のもとを訪れていた。呪術師によって担当する法医学医は違い、詩音と淳平が殺した怪異はすべてのところへと担ぎ込まれる。


 呪術師によって担当医を変えているのは怪異の解剖の際、連絡の取り次ぎなどで生じる時間の誤差をなくすためだ。簡潔なら病院で「〜さんはどこの病室?」「少々お待ちください」という作業をなくすためといったところだろう。


 「――というお題目を並べちゃいるが、真実はもっと野心的なものでね。呪術師ってのは欲が深い。少しでも多くの怪異の体を研究するために欲深かサディスト集団が暴走しないように怪異の死体とか一部を与えてこうやってあやしているんだよ、少年」


 外の明るさとは対照的に彼女の解剖室は暗い。天上へ向けられた大きめの懐中電灯が発するブルーライトの光のお陰でかろうじて室内を覗き見ることができるほどだ。

 部屋は階段教室のようで、スロープ状の部屋の最下層に置かれた手術台の上に彼女は座っていた。


 年齢は20代後半ほど。肩にかかる程度の長さの金髪を持ち、瞳はコバルトブルー。空色のワイシャツと黒いジーンズ、そして白い白衣を着ているという研究者っぽい服装の美人だ。

 理知的なメガネをかけているが、態度はどこか尊大であり残念な手術狂美人の印象を与える。


 彼女、レノン・水戸・ヴィエスノフは空のマグカップ片手に詩音を出迎えた。この解剖室の女王であり、またれっきとした呪術研究の第一線で戦う彼女は無言のままマグカップを揺らし、詩音にねだる。

 部屋に入って早々マグカップにコーヒーを淹れることになるとは、とシドはため息をついた。


 「少年、2日振りの再開だって言うのに連れない表情をしているじゃないか。何か辛いことでもあったかい?」

 「そうですね。今ありましたね。まさか怪異のこと聞きに来て、コーヒーを淹れるとは思いませんでしたよ。ていうか、自分で淹れようとは思わなかったんですか?」

 「知らないのかい?他人に奢らせたメシはうまい。他人につくらせたメシは微妙。しかし他人に淹れさせたコーヒーは味が最低でも普通になるそうだ」


 前半2ついりますか、と詩音が問うと、レノンはいらないね、と断言した。

 詩音がお湯をポットで沸かしている間、レノンはついさっき届いたばかりの怪異の腕をポリ袋から取り出し観察した。

 邪魔なお札などすべて外し、生の状態でだ。コーヒーを淹れながら内心どぎまぎしながら詩音は彼女の解剖の様子を見守った。


 「少年、君は怪異の等級がどういう基準で設けられるか知っているかい?」

 解剖をする中、ふと思いついたようにレノンは詩音へ問いを投げかけた。とっさの質問に詩音は首をひねる。強さではないか、と思ったがそんな安易な答えなのだろうか。怪異を研究している人間の質問なのだから、思いもよらない答えなのだろう、と詩音は回答を求めた。


 「君が思ったであろう、強さだよ」

 なんだよ、と詩音は乱雑に豆を炒りながら舌打ちする。その表情が面白かったのか、レノンはせせら笑った。

 「だが強さというのはやはり漠然としているよね?なんでそんなに強さを得たのか、とか興味がないかい?」


 レノンは詩音から手渡されたコーヒーを口に運びながら、解説を始める。いつの間にかプロジェクターが手術台の後ろの壁にスクリーンを作り出し、図が表示されていた。


 「まず、広く一般的に知られていることだが、より強い怪異になる条件は2つ。許容量と時間だ。順番に説明すると、許容量は単一の怪異がためこめるエネルギー量、時間は文字通り、存在していた時間だね。

 いくつかの例外は存在するけど、大抵の怪異は溜め込める負のエネルギーに上限が存在してる。一定以上の強さにはなれないんだ。潜在能力、と言ってもいいかもしれんがね。

 次に時間だが、もうこれはね。経験とかそういうのだよ。潜在能力に限界はあっても、技術を得るとかはできるからね」


 マグカップ片手に解剖をこなし、なおかつ解説までやってのけるとは器用だな、と詩音は嘆息した。だがレノンの解説は呪術師の間では一般常識もいいところだ。彼女の説明した2つを合算し、算出された等級が怪異の相対的な強さとなる。

 一体どこに疑問の余地があるのか、と詩音は小首をかしげた。


 「だが、時として元々膨大なエネルギー量を保って出現する怪異なんてのが存在する。先の2つの条件に当てはまらない。怪異だって生命体だからね。赤ん坊の頃から最強でした、とはいかんさ。

 例をあげるとすれば『空亡そらなき』なんかが有名だね。アレは歴史が浅いにもかかわらず、突如として出現した伯以上の怪異だ。出現した仮説はいくつかあるが、有力なのは当時普及したインターネットの掲示板だろうね。


 怨嗟とか怨念とかとはまた違う、なんていうのかな。人の意志の指向性みたいな存在さ」


 「人間の意志から生まれた怪異である、と?どちらかと言えばに近いんですかね」

 「いい着眼点だ。空亡の出自は妖怪とかとよく似ている。――ふむ、とまぁ無駄話はさておいて、だ。そろそろ終わったよ」


 無駄話にしては随分と長かったな、と思いつつも詩音はレノンの終了宣言にとりあえず安堵の吐息をこぼした。このまま延々ぐだぐだと彼女とお話するなど疲れてしまう。

 ただでさえ今日は忙しかったのに、変態解剖医の仮説などに付き合った日には朝まで返してもらえないかもしれない。


 「で、だ。一応初見だが等級は祐の中。体内構造は大抵の獣型怪異と同じで、実物のゴリラとかとあんま変わんなかったよ。切られてからかなり時間が経ってる割にはまだ新鮮だし、もう一仕事くらいはできるかな」


 つまり異常なし、と。

 怪しい仮面の男が負っているようだったので気になったが蓋を開けてみればなんの代わり映えもしない怪異とは拍子抜けもいいところだ。これじゃぁわざわざ足を運んだ甲斐がない、と詩音はうなだれた。


 そんな詩音のうなだれっぷりを見てレノンは彼に笑いかける。彼女はなんで詩音がうなだれているのかは知らないが、この怪異の腕に何らかの思い入れがあったのであろう、ことは理解していた。

 だからこそ、自分の趣味を我慢して、ためになるレクチャーをしていた。とはいえ、彼女の温情プレイもここまでで、


 「少年よ、大志をいだき給え。たまにはこういう日もあるさ」

 「慰めてます?」

 「もちろん慰めているとも。しかして、もう君の用件は済んだのだろう?ならば帰り給え」


 打って変わって辛辣な口ぶりでレノンは詩音を叩き出すことにした。出ていこうとする彼のケツをかかとが尖ったローファーで蹴り飛ばし、彼を文字通り自分の聖域から蹴り出した。

 いつものことだが、と詩音は自分のケツをなでながら頭をかく。

 今日は抑えているようだったが、いつもなら怪異の腕を舐め回すくらいのことはする死体愛好者ネクロフィリアのレノンにはつくづく手を焼かされる。


 呪術師としての腕、法医学医としての腕は一流なのに、性格と嗜好だけはひどく残念なのがレノンという女性だ。


 「あ、矢野さんですか?今暇ですか?……はい、そうです。ええ、特に異常はない、と先生は……。はい。わかりました」

 気を取り直して淳平に解剖の結果を伝え終わると、本当にやることが何もなくなった。


 はぁ、と大きく息をこぼす。

 やることがなくなると同時に今日一気にたまった疲労感が彼に押し寄せてきた。筋肉痛がひどいな、と肩を回しながら感じた。


 「帰るか」


 その一言を皮切りに彼のその日の呪術師としての活動は終わった。


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